James Setouchi

 

 『指揮官たちの特攻』城山三郎著 新潮文庫  

 

著者

  城山三郎(1927~2007):名古屋生まれ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎えた。一橋大卒業後、愛知学芸大に奉職(ほうしょく)、景気論等を担当。1957(昭和32)年、『輸出』により文学界新人賞、翌年『総会屋錦城』で直木(なおき)賞を受け、経済小説の開拓(かいたく)者となる。吉川英治(よしかわえいじ)文学賞、毎日出版文化賞受賞の『落日(らくじつ)燃ゆ』や『毎日が日曜日』『もう、きみには頼まない』『指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとくー』等、多彩(たさい)な作品群は幅広い読者を持つ。2002(平成14)年、経済小説の分野を確立した業績で朝日賞を受賞。(文庫カバーの著者紹介から)

 

内容

  神風特別攻撃隊第一号に選ばれ、レイテ沖に散った関行男(せきゆきお)大尉。敗戦を知らされないまま、玉音(ぎょくおん)放送(注1:戦争を終結すると言う天皇陛下の放送。8月15日正午。)後に「最後の特攻隊員」として沖縄へ飛び立った中津留(なかつる)達雄大尉。すでに結婚をして家庭の幸せもつかんでいた青年指揮官たちは、その時をいかにして迎えたのか。海軍兵学校の同期生であった二人の人生を対比させながら、戦争と人間を描いた哀切(あいせつ)のドキュメントノベル。城山文学の集大成。(文庫カバーの内容紹介から)

 

コメント

  この本は、平成13年『小説新潮』に短期集中連載(れんさい)したものを大幅加筆訂正(かひつていせい)して単行本として刊行した、と著者あとがきにある。文庫になったのは平成16年(2004年)。城山三郎はその3年後に亡(な)くなるので、城山三郎の生涯の思いが込められた作品と言っていいかもしれない。

 

 関行男と中津留達雄という、二人の帝国軍人が出てくる。二人とも、昭和16年11月15日に海軍兵学校(注2:海軍エリートを育てる学校。広島の江田島にあった。)を卒業し(70期生)、さらに「飛行科を志願して飛行学生としても共に学び、さらに宇佐へ移ってからも、わずか五人にしぼられた艦爆仲間」である。

 

 関行男は愛媛県(西条)の出身で、昭和19年11月、神風特攻隊の第一号として出撃し、23歳で死亡した。「悠久(ゆうきゅう)ノ大義ニ殉(じゅん)ズ 忠烈(ちゅうれつ)万世(ばんせい)ニ燦(さん)タリ」「軍神」と讃(たた)えられた。(注3:後期水戸学以来の「忠孝一本」思想ではこれは親孝行ということになるが、孔子が聞いたら「なんという残虐なことか」と激怒することだろう。言っていることがわからない人は、孔子や儒教についての勉強の足りない人だ。)

 

 中津留達雄は大分県(津久見)の出身で、昭和20年8月15日(終戦の日)、午後4時近く、宇垣纏(うがきまとめ)司令長官(注4:この時鵜が宇垣中将は55歳)の命令で七○一航空隊の彗星(すいせい)に搭乗(とうじょう)して大分の基地を飛び立ち、夜、沖縄北部の伊平屋(いへや)島の前泊の米軍キャンプ(注5:すでに米軍キャンプでは終戦だということでのんびりしていたという。)近くに突入し、死亡。享年(きょうねん)23歳だった。中津留大尉はなぜ終戦の玉音放送(12時)のあと攻撃に飛び立ち、かつ米軍キャンプではなくそこで大きく左へ旋回(せんかい)してその近辺の岩礁(がんしょう)に突入したのか

 

 終戦の詔勅(しょうちょく)を中津留大尉は聞かされていなかった。宇垣司令長官の命令のままに飛び立ったが、あたりの様子からすでに戦争は終わっていると悟り、このまま米軍キャンプに突入してはならないと判断し、とっさに左へ操縦桿(そうじゅうかん)を切り、米軍キャンプを避けて突入したのではないか・・・これが、城山三郎の推理である(p.196)。中津留大尉の父親(長生きした)は宇垣中将の理不尽な命令を怒り悲しんでいた

 

 もし、終戦後であるにも関わらず中津留が米軍キャンプに突入していたら、日本の戦争は真珠湾の騙(だま)し討(う)ちに始まり、沖縄の騙し討ちに終わることになる。そうなっていたら、戦後の日本の立場はもっと危(あや)ういものになっていただろう。中津留のとっさの判断のおかげで、「日本は平和への軟着陸ができたといえるのではなかろうか」と城山三郎は記す。

 

 関は神風特攻の幕開けをし、中津留は神風特攻に幕を下ろした(p.198)。二人は同期だった。

 

 関にも中津留にも家族がいる。彼らの家族に対する世間のしうちについても、城山はしっかり書きとめている。

 

 この本を読んで、あなたは、どう考えますか。ぜひ読んで、考えていただきたいと思います。

 

他に薦める本

竹山道雄『ビルマの竪琴(たてごと)』、遠藤周作『海と毒薬』、森村誠一『悪魔の飽食』、石川達三『生きている兵隊』、日本戦没学生手記編集委員会『きけわだつみのこえ』、吉田満『戦艦大和の最期(さいご)』、曽野綾子『生贄(いけにえ)の島』、大岡昇平『俘虜(ふりょ)記』『野火』『レイテ戦記』、井伏鱒二(いぶせますじ)『黒い雨』、原民喜(たみき)『夏の花』、大江健三郎『ヒロシマ・ノート』、永井隆『長崎の鐘』、高史明(コ・サミョン)『生きることの意味』、坂口安吾(あんご)『白痴(はくち)』『堕落(だらく)論』、野坂昭如(あきゆき)『火垂(ほた)るの墓』、藤原てい『流れる星は生きている』、高杉一郎『極光のかげに』、共同通信社社会部『沈黙のファイル』、大内信也『帝国主義日本にNOと言った軍人 水野広徳(ひろのり)』、吉田裕『アジア・太平洋戦争』、半藤一利(はんどうかずとし)『昭和史』、早坂暁(あきら)『戦艦大和日記』、島尾敏雄『魚雷艇学生』などなど。