James Setouchi 2024.8.11

 

 松元雅和『平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和』

                      岩波書店、2013年3月

 

(著者紹介)1978年東京生まれ。慶応義塾大学法学部卒。英国ヨーク大学大学院、慶応義塾大学大学院などに学ぶ。島根大学教育学部准教授(2013年3月現在)。著書『リベラルな多文化主義』『守る―境界線とセキュリティの政治学』『実践する政治哲学』など。

 

(目次)はじめに/第一章 愛する人が襲われたら―平和主義の輪郭/第二章 戦争の殺人は許されるか―義務論との対話/第三章 戦争はコストに見合うか―帰結主義との対話/第四章 正しい戦争はありうるか―正戦論との対話/第五章 平和主義は非現実的か―現実主義との対話/第六章 究明の武力行使は正当か―人道介入主義との対話/終章 結論と展望/あとがき/読書案内/引用文献

 

(内容からいくつか)

はじめに:平和主義という観念は多様な含意を持つ。平和主義の出自は、キリスト教、社会主義/無政府主義、功利主義と多様だ。非平和主義についても、正戦論、現実主義、人道介入主義などがある。本書ではこれらを対話させ論点を整理する。

 

第一章 愛する人が襲われたら:「あなたが愛する人を守ろうとするなら、国を守るために戦争に行くのは当然だ」という主張をどう考えるか?トルストイは無条件平和主義(p.18)。アウグステゥヌスは私的場面では暴力的手段を認めないが政治権力の必要悪としての暴力を認める(p.19)。ガンジーは、父親が暴力を受けたとき息子は暴力に訴えてでも父親を守るのが務めだ、としつつ、公的場面での暴力的手段は拒絶する(p.20)。ラッセルは国内政策としての警察活動は認めるが対外政策としての戦争には反対する(対ナチス戦は肯定)(p.23-24)。このように平和主義にも多様性がある。上記の問いに対しては「愛する人は力ずくでも助けるが国策としての戦争には反対だ。」「軍隊に参加したからといって自分の家族や恋人を守るために働くわけではない。」などと反論できる(p.24)。絶対平和主義(pacifism)と平和優先主義(pacificism)を分けて考えよう。後者には自由主義、功利主義、社会主義のルーツがある(p.30)。

 

第二章 戦争の殺人は許されるか:人を殺してはいけない理由は、カントなどの義務論では、悪いものは悪いからだ。正当防衛の場合はどうか。その状況の責任を負わない人物に対し正当防衛として殺人をすることは許されるか。例えば敵国の民間人、意に反して徴兵された兵士、貧困ゆえ兵士になった若者、壊滅させられて敗戦前夜に敗走する兵士たち。戦争を始めたのは政治や軍部の指導者なのに。(p.45~68)。

 

第三章 戦争はコストに見合うか:エラスムスは、戦争に要する面倒・苦痛・恐怖・危険・出費・流血の十分の一でたやすく平和は達成される、とする(p.73)。ベンサムも最大多数の最大幸福原理から、戦争を悪とした(p.74)。その後継者はコブデンやラッセルだ。国防以外にも、自殺や貧困対策にコストを必要とする事柄は多い(p.79)。戦争は中長期的に見れば次の戦争を引き起こすので甚大なコストを生み出す(p.80)。戦争は搾取の一形態であり、軍産複合体が利益を得、若い男性・貧困層・労働者階級・移民・不法移民が兵士になる。(p.87~89)。

 

第四章 正しい戦争はありうるか:キリスト教は本来非暴力だが、アウグスティヌスやトマス・アキナスらは正戦論を説いた(p.105~106)。自衛戦争は正戦か?だが、その国がその国民の唯一・最善の権利保障主体であるかどうかは定かでない(p.115)。また民族・文化のコミュニティも単一ではないし、国家の自衛の必要性も薄められることになる(p.117)。何が正戦かも定かではない(p.125)。ニーバーは非暴力は無責任だとしたが、良心的兵役拒否者は課徴金や社会奉仕により相応の責任を果たす。「無責任だ」の矛先を向けるべき相手は、特定の世代や身分、階層に山ほどいるはずだが(p.132)。

 

第五章 平和主義は非現実的か:国家の最大の目的は安全保障の追求なのか?だが、経済発展や遵法精神、人道支援や環境保全も重要な価値だ。近年では「人間の安全保障」という考え方も普及しつつある(~p.152)。また、パワーは国家が安全保障を追求するための重要で必要な手段なのか?だが、ある国が軍備を増強すれば周囲は脅威を感じ軍拡競争になり、結局安全は脅かされる(p.157)。アメリカが軍事力を増強するとキューバは脅威を感じるがカナダは感じない。カナダとアメリカに信頼関係があるからだ(p.158)。侵略が生じる状態で非暴力戦略に何があるか。ナチス占領下でデンマークやノルウェー、スウェーデンは市民的防衛を行った(p.167)。

 

第六章 救命の武力行使は正当か:従来のPKOは当事国からの同意に基づく支援だった(p.178)。近年は同意なくしてPKOが入る、国連の承認を欠いて多国籍軍が入る例もある(p.180)。善行原理と無危害原理(殺人をしない)のどちらを優先すべきか?だが、人道介入主義者は、民族紛争などの事例にばかり焦点を当てるのはおかしい。天災や飢饉などでも多くの人が死んでいる(p.196)。当事国の同意を得ない軍事介入は国際法上の根拠がない(p.197)。コソボ空爆は地上における虐殺を加速させた。(p.184.199)。非軍事介入は利点が大きい(p.203)。

 

終章:国内的な変革が国際的な協調につながる。戦争は国内的な条件が生み出すものであるから、国内条件を変革すればよい。これを民主的平和主義と呼ぼう(p.211)。勢力均衡や集団安全保障は対症療法でしかなく、原因療法で戦争を予防すべきだ(p.217)。

 

*夏は戦争と平和について思いを巡らせるべき時期でもある。この本は勉強になります。以下の本もどうぞ。

 

(政治学・法学関係)丸山真男『日本の思想』、石田雄『平和の政治学』、加藤節『南原繁』、明石康『国際連合』、林信吾『反戦軍事学』、孫崎享『日米同盟の正体』、岩下昭裕『北方領土・竹島・尖閣 これが解決策』、伊勢崎賢治『日本人は人を殺しに行くのか』、柳澤協二『自衛隊の転機』、豊下楢彦・古関彰一『集団的自衛権と安全保障』、池上彰『世界を動かす巨人たち』、伊藤真『憲法の力』、松竹伸幸『憲法九条の軍事戦略』、木村草太『憲法の創造力』、石破茂『国防』、中島武志・西部邁『パール判決を問い直す』、望月衣塑子『武器輸出と日本企業』などなど。