James Setouchi

 

『羊は安らかに草を食(は)み』宇佐美まこと 祥伝社 2021年1月

 

1 作者 宇佐美まこと

 1957年愛媛県生まれ。代表作『るんぴにの森』『愚者の毒』『展望塔のラプンツエル』『入らずの森』『死はすぐそこの影の中』『黒鳥の湖』など。(本書の作者紹介から。)

 愛媛県生まれ、松山市三津浜在住の女性。他のデータによると、東雲高校・松山商科大学に学んだそうだ。怪談や推理小説を得意とするが、本作は違う。

 ついでながら、『笑うマトリョーシカ』の福音学園のモデルは、東雲(しののめ)高校かもしれない? いや、愛光学園? 福音学園は男子校で、東雲高校は女子校、愛光学園は昔男子校、今共学なのだが・・・

 

2 『羊は安らかに草を食(は)み』(ネタバレします)

 小説。現代日本の高齢者女性3人が出てくる。同時に、その一人の過去(満州からの引き上げ体験)が出てくる。現代と敗戦時とが交互に語られる構成になっている。恐らく作者は、上の世代の満州からの引き揚げ体験を今書き残して置かなければ失われてしまう、との危機感から、本作を書いている。その体験は、一人のものではなく、複数の方から聞き取り、それに作者の想像力を交えて書いたものであろうが、非常に具体的で、リアリティーがある。これを、現代の平和な時代の高齢者女性の生活を対比することで、平和のありがたみを自然と感ずることが出来るようになっている。

 

 主人公の益恵は86才。東京在住で、認知症が進んでいる。過去を思い出せない。夫の三千男が、妻の過去を取り戻すべく、益恵の友人二人(アイ86才富士子77才)に、あることを依頼する。それは、益恵が過去に関わった土地と人々を、共に尋ねて欲しい、というものだった。アイと富士子は益恵を連れて、大津、松山、長崎と旅をすることになる。その過程で、益恵の過去が明らかに想起されていく。

 

 次の章では、益恵の満州での体験が語られる。益恵は開拓団の子どもとして満州北部にいた。日本は敗れ、関東軍は逃げ、ソ連兵がやってくる。逃亡の途中、父親は撃たれ、弟は満州人にさらわれ、もう一人の弟は餓死、ついに開拓団一行は集団自決を決行する。母親が益恵と乳児の妹・ふみ代をかばい死んでいた。生き残った益恵はどうするのか。益恵は、生き延びるために、乳児の妹を見捨て、ただ一人歩き始める…

 益恵は辛うじてハルピンの街に辿り着き、同じ立場の佳代ちゃんという少女と、コサック(ソ連と敵対)の少年・ユーリイと出会う。酷寒の街で彼らは身を寄せ合って生き延びようとする。

 

 不人情で冷たい日本人もいた。が、助けてくれる日本人もいた。満州人や中国人もいろいろだった。ユーリイはロシア兵に撃たれて死んだ。共産党八路軍の少年がリンゴをくれたが、彼も殺されていた。奉天では黄さんという中国人が助けてくれた。

 

 益恵と佳代は辛うじて帰国、長崎の離島でしばらく暮らす。その後益恵は松山、滋賀の大津と転居しながら戦後を生き延びる。益代の敗戦時の経験が明らかになると同時に、益恵の戦後の営みも明らかになる。

 

 (ラストにアクションシーンがある。高齢女性のアクションだ。ここはラノベだ。)

 

 推理の要素もあり、エンタメとしても楽しめるが、満州体験からの引き揚げ体験について、藤原てい『流れる星は生きている』とともに是非読んでおきたい作品だ。なお、開拓団の人々、関東軍、ソ連軍、中国国民党軍、共産党八路軍などについて、史実は正確にはどうであったか、については、別に歴史的な検証が必要であろう。

 

*薦める本

竹山道雄『ビルマの竪琴(たてごと)』、遠藤周作『海と毒薬』、森村誠一『悪魔の飽食』、石川達三『生きている兵隊』、日本戦没学生手記編集委員会『きけわだつみのこえ』、吉田満『戦艦大和の最期(さいご)』、曽野綾子『生贄(いけにえ)の島』、大岡昇平『俘虜(ふりょ)記』『野火』『レイテ戦記』、井伏鱒二(いぶせますじ)『黒い雨』、原民喜(たみき)『夏の花』、大江健三郎『ヒロシマ・ノート』、永井隆『長崎の鐘』、高史明(コ・サミョン)『生きることの意味』、坂口安吾(あんご)『白痴(はくち)』『堕落(だらく)論』、野坂昭如(あきゆき)『火垂(ほた)るの墓』、半藤一利(はんどうかずとし)『ノモンハンの夏』『ソ連が満洲に侵攻した夏』、藤原てい『流れる星は生きている』、宇佐美まこと『羊は安らかに草を食み』、高杉一郎『極光のかげに』、共同通信社社会部『沈黙のファイル』、大内信也『帝国主義日本にNOと言った軍人 水野広徳(ひろのり)』、吉田裕『アジア・太平洋戦争』、半藤一利『昭和史』、早坂暁(あきら)『戦艦大和日記』、島尾敏雄『魚雷艇学生』などなど。