James Setouchi
安岡章太郎『宿題』『悪い仲間』『遁走』など 講談社文芸文庫
1 安岡章太郎 1920~2013。
高知県生まれ。軍の獣医の子ゆえ京城(ソウル)や東京など各地を転々として育つ。慶応義塾大学文学部予科入学、陸軍に応召、満州に送られるが肺結核で除隊、戦後復学するが、脊椎カリエスが悪化。51年『ガラスの靴』で芥川賞候補。「第三の新人」と呼ばれる。53年『悪い仲間』『陰気な愉しみ』で芥川賞。脊椎カリエスも全治。53年『海辺の光景』で野間文芸賞。他に『幕が下りてから』『走れトマホーク』『流離譚』『僕の昭和史』(2度目の野間文芸賞)『果てもない道中記』『鏡川』など。(講談社文芸文庫の著者紹介などを参照した。)
2 『宿題』昭和27年発表。新潮文庫『海辺の光景』に入っている。
作者が小学生のころをモデルにした半ば自伝風の小説。5年生の「僕」は青森県の弘前の小学校から東京青山の小学校に転校してきた。そこは府立中学へたくさん生徒を入れる有名な小学校だった。(当時すでに旧制中学を目指した受験競争が低年齢化した形で行われていたのだ。)青森とは違い東京では「僕」は落ちこぼれとなる。
長い夏休みの大量の宿題。夏休み最後の日、7月21日の日付から真っ白のままの宿題帳。母はギクリとし、泣き出す。「お前も死になさい。あたしも死ぬから」。そう言って母は鉛筆を持ち猛然と宿題を解き始める。…9月1日、先生は厳かに宣言する。「お前たちの休みはこれで終わった。再来年の春、お前たちのこれからの一生を左右する試験のすむまでは、もう休みはない」…「僕」はある時学校に行けなくなってしまう。「僕」はどうなってしまうのだろうか?
3 『悪い仲間』昭和28年発表。小学館の昭和文学全集で読める。
作者が慶応大学予科の学生だったころをモデルにした自伝風の小説。藤井高麗彦という不良の仲間に影響を受け「僕」も変わる。倉田真悟という旧来の仲間も影響を受ける。世の中は戦時「新体制」ムード。社会全体に怠惰な学生に対する監視と取締りが厳しくなってきた。憲兵や兵隊の姿が周囲に現れるようになる。「僕」たちはますます無気力になる。藤井は大学をやめる。倉田は失踪する。「僕」はどうすればいいのだろうか。その冬、また新しい国々との戦争が始まった…
4 『遁走』昭和31年発表。中公文庫『安岡章太郎 戦争小説集成』に入っている。
作者が陸軍の兵隊だったころをモデルにした小説。主人公・安木加介は陸軍兵士として満州の孫呉にやって来た。そこはハルピンのはるか北だ。鬼の伍長が駆け足の時尻を蹴り上げてくる。朝の点呼で寝床をたたまなかった者、気をつけの時笑った表情をした者は鉄拳で殴られる。その件で上等兵が初年兵全員を整列させスリッパで殴る。殴られると初年兵は不動の姿勢で「ありがたくあります」と礼を述べる。加介はほとんど毎日殴られる。加介は刺突の訓練もへたくそで何度もやり直しを命ぜられる。「ヤル気」がないと言われる。下痢もしてしまう。紛失した銃口蓋を寝ずに探すことを命ぜられる。軍隊内部では盗みが横行している。犯人探しで中隊の全員が疲労困憊してしまった…真犯人は石川とわかる。石川が脱走する。
…部隊は南方に行くことになった。加介は突然高熱を発し倒れる。過失性胸膜炎と診断され入院。しかし病院の中をも軍隊の論理が支配していた。そんな中、満州の舞台の仲間が南方に送られ上海から船出して沈没してほとんど死んだという話を聞かされる。加介は内地送還になる…
5 『ガラスの靴』昭和26年発表。本作で芥川賞候補となる。小学館の昭和文学全集で読める。
舞台は戦後。「僕」はN猟銃店の夜の店番だが、米軍軍医グレイゴー中佐の家にいるメイドの悦子と仲良くなる。昼間は暇なのでグレイゴー中佐が休暇で留守なのを幸い、悦子と会っては遊ぶのだが…
6 『陰気な愉しみ』昭和28年発表。『悪い仲間』と共に芥川賞の対象となる。小学館の昭和文学全集で読める。
舞台は戦後。神奈川県のK海岸に住む「私」は病弱で、労働に耐えられない体ゆえ横浜の役所にお金を貰いに行く。ほんの少し余分に金を握った「私」は、その金で何をしようかと考える…
(コメント)このように、安岡の「僕」は自信がなく落ちこぼれでいつも右往左往しているが、実は小さな自分の世界と、他に対する確かな観察眼・批評眼を持っている。そう、サリンジャーや大江健三郎、また村上春樹の「僕」に近い語り手なのだ。