James Setouchi
安岡章太郎『海辺の光景』 新潮文庫で読める
1 安岡章太郎 1920~2013。
高知県生まれ。軍の獣医の子ゆえ京城(ソウル)や東京など各地を転々として育つ。慶応義塾大学文学部予科入学、陸軍に応召、満州に送られるが肺結核で除隊、戦後復学するが、脊椎カリエスが悪化。51年『ガラスの靴』で芥川賞候補。「第三の新人」と呼ばれる。53年『悪い仲間』『陰気な愉しみ』で芥川賞。脊椎カリエスも全治。53年『海辺の光景』で野間文芸賞。他に『幕が下りてから』『走れトマホーク』『流離譚』『僕の昭和史』(2度目の野間文芸賞)『果てもない道中記』『鏡川』など。(講談社文芸文庫の著者紹介などを参照した。)
2 『海辺(かいへん)の光景』昭和34年発表。新潮文庫『海辺の光景』に入っている。
半ば自伝風の作品。『宿題』や『遁走』などが重いテーマを扱いながらもどこかユーモラスな描き方であるのに比べ、本作はテーマも描写も重く、苦しい。
限りなく作者・安岡章太郎を思わせる(しかしイコールではない)信太郎は、老耄(ろうもう)性痴呆症(今なら重い認知症とも言うべきものか?)を発症した母親を、一年前に故郷・高知郊外の病院に預けた。いよいよ母が危ないというので、信太郎は東京から二十時間汽車に揺られ海を越え山をいくつも越えさらに高知の町並みから外れた海辺の隔絶された場所にある病院に再びやって来た。そこで母とともに最後の数日間を過ごしつつ、過去を回想するという筋立てになっている。母を預けた病院は、信太郎が暮らしている東京の日常からはるかに隔たった、言わば非日常の特殊な世界なのだった。そこのケアは決して十分に良いものとは言えない。そこに信太郎は母親を言わばおばすてのように捨てて、暮らしてきたのだった。
母親は、銀行員の娘で東京で生まれて大阪で育った。父親は高知県のY村出身で、軍の獣医で各地を転勤し家を留守にすることが多かった。母親は父親を嫌っていた。父親の悪口を息子の信太郎に吹き込み続けていた。敗戦後父親が帰還するまでの短い間、信太郎は重い病で寝たきりで、食糧も乏しかったが、その間母と子は言わば幸福な一体感のある日々を暮らしていた。
敗戦後帰還した父親は職業軍人(獣医)であって、その給料のおかげでそれまで信太郎たちは暮らしていたのだが、敗戦で失職し、帰還後はすっかり気力を失っていた。戦後すぐの食糧難の時代、外で働かず家に居てニワトリを飼おうとしては無様に失敗する。
三人は神奈川の鵠沼(くげぬま)海岸に母の実家筋から家を借りて暮らしていたが、トラブルから追い出されることになった。敗戦、父の失職と失意、住宅の喪失などが重なったためか、母親は病を発症する。父と母は、仕方なく父の実家である高知のY村を頼って住んでいたが、母の病が重く、ついに高知郊外の病院に母を預けたというわけだ。
母は親戚の伯母が自分を裸にして薪(まき)で殴ると訴える。父はそんなことはないと言う。伯母は会ってみるといい人のように見える。伯母は、父親の信吉が病気の妻の面倒をよく見る、まれに見るいい人だと言う。母親は、夫の信吉が若い娘と浮気をしていると訴える。母親が妄想に憑りつかれているのか、それともみんなが嘘を言っているのか? 一体何が真実なのか?
高知の郊外のその病院は、海に面している。そこから見えるのはまさしく絵に描いたような風景だ。だがそこにいるのは精神を病んだ病人たちだ。朝日がいっぱいに差し込んで眩しい。
母親は裸にされ褥瘡(じょくそう)のガーゼをはがされながら「痛い、痛い」と泣く。息子は母親の手を握る。だが、「痛い、痛い」と言っていた母親が眠りに落ちようとして呟いたのは「おとうさん…」という言葉だった。信太郎は「母の手を握った掌の中で何か落し物でもしたような気がした。」
やがて看護人のミスもあって母は死ぬ。伯母が泣く。父が頭を両手に抱えこむ。看護人が走り回る。信太郎は白々しい気持ちになり、立ち上がって屋外に出る。「すべてのことは終わってしまったーという気持ちから、いまはこうやって誰にも遠慮も気兼ねもなく、病室の分厚い壁をくりぬいた窓から眺めた〝風景〟の中を自由に歩きまわれることが、たとえようもなく愉しかった。」
信太郎の前に突如印象的な光景が出現する。人が死ぬときは干潮の時だと言う。潮の引いた海岸で、「幾百本とも知れぬ杙(くい)が黒ぐろと、見わたすかぎり眼の前いっぱいに突き立っていた」。「歯を立てた櫛のような、墓標のような、杙の列をながめながら彼は、たしかに一つの〝死〟が自分の手の中に捉えられたのをみた。」
これがラストである。この海の底から露出した無数の杙は何を象徴しているのか。普段は意識下に隠して蓋をして見ないようにしているが否応なく存在する、信太郎においては老いた母親の存在であり、自分を規定する現実の家族関係であり、あるいは人間の生と死のむき出しのリアルな姿そのものであるのか。それは普段は隠れているが確かに存在し、いざと言う時にこのように姿を現し彼を脅かす。ここから彼は新たに自分の生を始めることになる。