James Setouchi
石川達三『青春の蹉跌』(さてつ)』 新潮文庫
1 石川達三1905~1985
秋田県横手の生まれ。東京、岡山県高梁などで育つ。早大英文科中退。1930年移民船に乗りブラジルへ。1935年移民の実態を描いた『蒼氓(そうぼう)』で第1回芥川賞。日中戦争開始時南京事件を扱った『生きている兵隊』。他に『風にそよぐ葦』『人間の壁』『青春の蹉跌』『四十八歳の抵抗』『悪の愉(たの)しさ』など。最も有名な作家の一人。(新潮社の作家紹介などから)
2 『青春の蹉跌』
打算的で野心的な青年、江藤賢一郎の青春の蹉跌(つまずき)を描く小説。1968年毎日新聞連載、ベストセラーとなった。
江藤賢一郎は私大法学部の優秀な学生で、資産家の伯父から学資を得つつ司法試験また法学博士を目指している。きわめて打算的で、利害得失を計算し、自分が出世し社会の支配階層に食い込むことをもくろんでいる。周囲に左翼学生運動をする者もいるが、彼らとは考え方が違う。現実の資本主義社会に対応しつつ、法律を武器として人生の勝利者になりたいと考えている。家庭教師をした相手である教え子・大橋登美子と関係を結ぶが、貧しい彼女と結婚する気はない。会社社長で資産家の伯父の娘である気位の高い康子と結婚し、ゆくゆくはその資産分与にあずかりたいと考えている。物語は、江藤賢一郎が司法試験に合格し出世の展望が開けると同時に資産家の康子との縁談も進んでいく、他方貧しい大橋登美子との関係が重くのしかかる、という形で進んでいく。矛盾が拡大しついに悲劇が起きる。最後の最後にさらにどんでん返しがある。ネタバレになるからこれ以上は書かない。
佐賀県で1966年に実際に起きた刑事事件や、ドライサーの小説『アメリカの悲劇』にヒントを得て石川達三が描いた作品、と言われる。佐賀県の事件では、犯人の男子学生はエリートではなかった。ドライサーの小説でも、主人公は貧しい階層の出身で、学歴エリートではなかった。『青春の蹉跌』でも決定的な貧富の格差は描きこまれているが、主人公の江藤賢一郎は、法学部の優秀な学生で、難関の司法試験を突破する。ただし法律の知識は詳しいが、ほかのことについては幼く、未熟だった。特に人間としての道徳心は未熟で、自分の出世、野心しか眼中になく、他者に対して誠実にふるまうべきことを知らなかった。自分がもてあそんだ貧しい大橋登美子の胸中を思いやることができなかった。恋愛結婚し司法試験に落ち家庭を設けて貧しい生活に苦しむ小野精二郎の苦しみは見えたが、そこにある喜びや尊さを見ることができなかった。鮮やかなシーンがある。近所の火事ですべてを失った若い夫婦の会話を江藤賢一郎が耳にするところだ。泣いている妻に対して夫は「泣くな」「またやり直すんだ」「大丈夫だよ。心配するな」と励ます。若い夫婦の間には「深い信頼と愛情」がある。それは江藤賢一郎の持ち得ないものだった。いま改めて江藤は自分に何が足りなかったのかを思い知るが、その時はもう手遅れだった。語り手(作者石川達三らしき人物)は若い主人公江藤の生き方を批判している。同時に、社会の矛盾をも問うている。法律でできないことがある。ラストの刑事の言葉を見よ。「警察の力でその男を捜すわけには行かんね。…その男は何も悪いことをした訳ではないんだからな」。これは一例に過ぎない。
この小説は、野心家の青年の挫折を通して、人間の倫理と社会の在り方を問うている。現代にも通ずる作品だ。
なお、萩原健一主演で映画化されたが、映画では江藤は法学部生であると同時にアメリカン・フットボールの花形選手として設定されている。