2024.8.4

 

James  Setouchi 

 

 佐多稲子4 『渓流』

 

1 佐多稲子1904(明治37)~1998(平成10)

 長崎生まれ。11歳のとき一家で上京、一家困窮のため少女時代から様々な仕事をした。堀辰雄、中野重治、窪川鶴次郎らと出会い、詩や小説を書く。プロレタリア作家同盟に入る。日本共産党に入る。当局から弾圧される。戦時中は大佛次郎や林芙美子らと戦地慰問をした。戦後は婦人民主クラブを創立し、新日本文学会に所属。共産党からは、除名・復党・再除名を繰り返した。社会活動も行いつつ作品多数。(集英社日本文学全集の小田切進の年譜などを参考にした。)

 

2 『渓流』昭和38(1963)年、59歳の時発表。

 佐多は昭和26年共産党から除名処分を受けた。その直後のことを扱っている。佐多は昭和30年7月に共産党に復党、その後昭和39年にまた除名された。『渓流』はその直前に発表したもので、昭和26年頃のことがらを扱いつつ、昭和38年当時の思いが反映されている、と考えられる。(以下、ネタバレ有り。)

 

 佐多に近いと思われる作家・安川友江は、戦前から日本共産党(戦前は非合法)で活動し、戦中は国策に従い戦地での慰問活動を行い、戦後はそのことを反省し、共産党の活動に従いつつ、大衆運動としての婦人団体・文学団体に携わっていた。

 

 が、彼女は党中央から分派活動をする裏切り者と見なされ、党から除名されてしまう。さらにアメリカ大使館に裏金を貰っているという根も葉もない噂を立てられたり、党の仲間との付き合いを制限されたり、彼女自身の社会活動に横やりが入ったりする。もちろん警察からもマークされている。

 

 戦前から長年共産党の活動を共にしてきた仲間たちを、家族のように思いそこにこそ自分の居場所があると実感してきた彼女にとって、政治的な(もしくは感情的な)対立によって仲間から引き裂かれることは、大変辛いことだった。彼女は思う「なんと人間は、信頼と裏切りと、傷つけ合いと協力とをごっちゃに持って、交りあっているのだろう」と。

 

 このことは党の仲間に対する関係だけにあるのではない。彼女には家族・親戚・友人・知人がある。長女のちかえ(ちかえだけが最初の夫との子)が病弱で甘えてくるが、彼女はつい冷たく当たってしまう。長男の謙作は智子という恋人ができこれはひとまず安心だ。(そこに次世代への希望がある。)次女のかおるはバレエを踊っており、最初の彼と破局、次の彼とも破局、かおるは大泣きするが、今は三人目の彼が家に来ている。ある女優の自死を巡り、関係者たちの話し合いは「悲しく、荒っぽく、死者をさえ傷つけるものがあった」。親戚の松田義夫は財閥系の会社の重役に出世し、「理想的な家庭」を築いたと見えたが、しかし失踪し、一年八カ月後に高野山の奥で死体となって発見された。友江は、告別式に臨み、「何か、ひろい混沌のなかにいるような自分を感じた。」党には「無条件復帰」が決まったが、彼女の誹謗をした犯人の追及もなされないままだ。「無条件復帰、それが安直なひびきと、重いひびきを併せ持って、彼女の胸の中で、カタカタと鳴った。」これがラストの一文だ。

 

 佐多稲子は本作の後昭和39年に再び党から除名される。佐多稲子はその後も作品を書き、社会活動も行い、1998(平成10)年まで生きた。94歳で没。

 

 本作は、共産党の正史ではないが、その戦前からのメンバーだった佐多稲子から見た共産党の歴史の一面を書いたもの、とも言える。少なくとも共産党員としてのアイデンティティを持とうとした佐多稲子の内面史のある一面の証言ではある。そこでは党中央への不信に揺れる気持ちが描かれている。(今の共産党がどういう状態であるか、私は知らない。)また、佐多稲子の家族との関係を(これも大小なり虚構化しているだろうが)描いている。彼女もまた母親であり、娘や息子たちとの関係に無関心ではいられない。

 

 本作は1951=昭和26年以降を扱う。朝鮮戦争、吉田内閣、「血のメーデー事件」(1952=昭和27年5月1日)、アイゼンハワー大統領、ビキニ環礁水爆実験と第三福竜丸事件(1954=昭和29年3月1日)などが同時代で、出てくる。1955=昭和30年のいわゆる「六全協」や1960=昭和35年の「60年安保闘争」よりも前だ。

 

 「六全協」時代については、柴田翔『されどわれらが日々』(1964=昭和39年)が有名だ。私より上の世代の人は、これに同時代で立ち会い、痛みがあるようだ。

 

*念のため申し添えるが、私は共産党員でも何でもないが、今の(令和はじめの)議会内の合法的政党である共産党について、「あの人は共産党だからダメ」といったレッテル貼りと排除をするのは、明らかにおかしい。議論は議論として取り上げるべきだ。共産党は、他の政党が見落としている点を指摘するなど、いい議論も展開している(と思う)。少なくとも全否定すべきではない。但し、ごく最近松竹伸行氏が党を批判したら直ちに除名された、という事態は、(内部でどのようないきさつがあったか知らないが、)おかしなことだと感じる。ここでも、議論は議論として取り上げるべきだ。