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浅田次郎『母の待つ里』新潮社 2022年1月

 

1      作者 浅田次郎:1951年東京生まれ。各種職業を経験した後作家に。代表作『地下鉄(メトロ)に乗って』『鉄道員(ぽっぽや)』『壬生義士伝』『蒼穹の昴(すばる)』『中原の虹』『天子蒙塵』『プリズンホテル』など。(各種年譜他を参照した。)

 

2 『母の待つ里』(ややネタバレ)

 小説。実にうまい。「虚実皮膜(きょじつひにく)の間」という言葉があるが、まさに虚実皮膜の世界を描き最後はリアルな悲劇に至る。エンタメであるが同時に日本の現実についても考えさせる。

 

 松永徹は、六十代。日本屈指の大企業の社長だ。だが、過去に古里を捨ててきた。四十年の歳月を経て、東北の古里に帰る。静かな山里。純朴な村の人たち。年老いた母が待っている。母の温かいもてなし。静かに更ける夜。それらを経て、松永徹は、古里を後にする。一泊二日の帰郷。帰途、松永徹は、ユナイテッドカード・プレミアムクラブに連絡をする。サービス終了。実は、古里に帰り母の温かいもてなしを受ける一泊二日の旅は、全て、この会員制クラブの有料サービス、ユナイテッド・ホームタウン・サービスの演出だった。一泊二日で50万円の言わば古里・母親体験のアトラクション。母親も近所の人も皆がキャストだ。

 

 室田精一は、定年で妻に離婚された孤独な男。会社からも妻からも用無しとされ孤独に陥った室田精一も、このユナイテッド・ホームタウン・サービス申し込み、東北の「古里」と「母」を経験する。

 

 古賀夏生(なつお)(女性)は医者。多くの人の死を看取ってきた。やはり定年で、ユナイテッド・ホームタウン・サービスを利用する。

 

 「古里」の「母」は、「ちよ」と言う。八十代で、大きな邸を守り、「息子」や「娘」が帰って来れば歓待し、手料理を振る舞い、「えがか、・・何があっても、母(かが)はお前(め)の味方だがらの」と言う。虚構と分かっているが、ゲストたちはそこに真実の母を見た思いがする。ゲストたちはリピーターになる。そして・・・

 

 ここから先はネタバレしない。かれらの真実が交錯し、最後はリアルな、誰でも知っているあの悲劇が登場する。そこにあるのは悲劇だが、読者は、生きることの重みをずしんと受け止めることになる。浅田次郎は実に小説の巧者だ。「泣かせ屋」と誰かが浅田次郎を評した。

 

3 コメント

 扱われているのは、東北の田舎と東京の二項対立。前者(田舎)は過疎、自然があり、純朴な人々が住んでいる。田舎には実際には貧しく厳しい現実があるが、このサービスではそれは排除され、理想化され純粋化された典型としての「母」「古里」が演出される。後者(東京)は経済的には豊かだ。現実の東京は貧富の格差の大きい世界だが、本作に登場するゲストたちは全員ブラック・カードの持ち主だ。いわばセレブな階層だが、内面は孤独で満たされない。ゲストたちは、田舎に自然な、真実の生き方があった、自分が都会で金儲けをしてきたのは、不自然で、人間として不実な生き方だった、と考える。「母の待つ里」は、「母を喪失した都会」の虚妄を写し出す。

 同時に、「母の待つ里」すなわち日本列島の全ての過疎地の悲劇的な現実も、本作のもう一つの主人公だ。ラストに至り、キャストの真実の人生が明かされる。日本列島の現実は重い。「おめの考えてるほど、こごの暮らしはゆるぐねど」と「母」は言う。同時に、それでもなお生き抜く、賢く勇気ある人が確かにそこにいた、と感じさせてくれる。孤独に陥ってもなおそれを越える絆を人間は築きうる、という希望もラストにはかすかにだが描かれている。

 

 但し、「一泊二日で五十万円」のトラベルを、田舎の地域おこしとして使えるか? と言うと、富裕層しか利用できない。「富裕層のための田舎」という図式は何かいびつなものを感じる。

 

 また、この小説は「田舎賛歌」であり「田舎への移住の薦め」とも読めなくもない。が、浅田次郎自身は東京の出身で、東京で苦労してきたが、田舎に住む本当の苦労については知らないのかもしれない。田舎を支えるのは簡単ではない。東北なら雪下ろしをはじめ大変な作業がある。雪の降らないエリアでも、山林、河川、田畑の保全には時間と人手がかかる。だから多くの人が都会に逃げ出したとも言えるのだ。それらを放置し、あるいはゴルフ場や商業施設などにした挙げ句に、豪雨災害などが拡大したのではないか? それらは天災でもあるが、積年の日本社会の金もうけ至上主義がもたらした人災だと言えば言える。そんなことも考えていると(小説の感動とは別に)もやもやした気持ちになった。