James Setouchi

                               

村上龍

『コインロッカー・ベイビーズ』(講談社文庫)

『半島を出よ』(上・下)(幻冬舎文庫)

 

 村上龍(1952~)は『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞(1976年)、『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞(1981年)、『半島を出よ』で野間文芸賞・毎日出版文化賞(2005年)など数々の受賞歴のある作家だ。芥川賞の選考委員も務めている。政治や経済に関する発言もあり、旺盛な活動をしている。現代を代表する作家の一人、と言える。デビュー当時は若者代表という感じだったが、今や御御所である。

 

 村上春樹と同世代なので、しばしば「W(ダブル)村上」と併称されるが、小説の傾向や文体はずいぶん違う。村上春樹のは都会的でしゃれている。村上龍のは怒りと破壊願望に満ちており、脂ぎった中華料理のように、いやそれ以上に濃厚だ。

 

 村上龍の作品は暴力と破壊のオンパレードだ。十代前半の人には紹介しにくい。大学生くらいなら多少ものが分かってくると思うのでここで紹介するが、あくまで小説だと思って読んでほしい。実際にこういうことをしてはいけない。

 

 『限りなく透明に近いブルー』『69』は中編で読みやすいが、あまり薦める気にならない。『希望の国のエクソダス』は長編で、大学生は読むとよい。経済の話が中心で、結構難解だ。ここでは標記の2冊を紹介する。(以下にはネタばれが大量に含まれている。)

 

 『コインロッカー・ベイビーズ』は村上龍が30歳になる前に書いたものだ。主人公のキクとハシはそれぞれ生母によりコインロッカーに捨てられ死ぬところだったが奇跡的に助かった二人だ。二人は長崎の島で兄弟として育てられる。キクは筋肉の塊、インタハイ棒高跳びで全国2位になる。ハシは弱弱しく大人しい子どもだがある時家出し東京の闇社会で生き歌手としての才能を見出だされる。ハシがTV番組で生母と対面することになり怒ったキクが乱入するがそれは実はキクの生母だった。キクは生母を殺してしまい少年院に入る。ハシは超売れっ子歌手となるが精神のバランスを崩す。キクは少年院の仲間と、すべてを破壊する化学兵器「ダチュラ」を探しに太平洋の島へ行く。そして・・

 

 この話は残虐シーンと性的表現がこれでもかこれでもかと出てくる。村上龍は日本および私たちをとりまくすべてに対し怒りをぶつけているかのようだ。・・だが、この作品はそれだけではない。キクは生母を殺してしまうが、ある時母の言葉を理解し、母を許し尊敬する。全体を読み終えた後、「罪悪感は薄れ」「体の隅々までが清々しかった」と金原ひとみが「解説」に書いているが、うまく言ったものだ。毒気の塊のような小説だが、その毒は他の毒を消す薬として作用したかのようだ。今まであまり悩みのなかった人はわざわざ手を出して読まなくてもいいだろう。この世界(や人生)との調和がとれず悩んできた人には、この毒は薬として作用するかもしれない。ただし、劇薬ですぞ。受験生は読まないように。かつ、あくまでもフィクションであるので、決して真似をしないように(しないと思うけど)。(ちなみに、ラストでハシの救済の描写には失敗しているような印象がある。私が読み落としているのか知れないけれど。)私には結構面白かった。

 

 『半島を出よ』は2005年3月に刊行された。作者53歳のときである。舞台は2010~2014年に設定してある。2005年時点から見て、近未来空想小説と言える。

 

 2011年4月、日本経済は破綻しており、アメリカからも見捨てられている。北朝鮮のコマンドたちが福岡ドームを占拠する。人質は3万人。彼らは福岡市・福岡県・日本政府を恫喝する。すぐに500人の特殊戦部隊兵士が飛来、彼らは高麗(コリョ)遠征軍として福岡を占拠する。やがて12万人の兵員がやってくるだろう。日本政府は何もできず福岡を封鎖する。大阪府警の精鋭SATが急襲するが反撃され壊滅する。ここまではコリョの兵士たちは極めて強く冷酷だ。射撃は必ず相手の頭を正確に撃ち抜く。日本はこれに対し何もできない。日本人たちは全く無力だ。相手に迎合する者もあらわれる。・・

 

 ・・しかし、厚い厚いコリョの壁に立ち向かった少年たちがいた。少年たちは日本社会で反社会的とみなされ(いや、実際に反社会的であったので)見捨てられていた者たちだ。それぞれに奇妙な異能を持っている。彼らは社会から捨てられ、福岡の片隅で暮らしていたが、コリョの間隙を突いて潜入し、そして・・

 

 コリョの兵士たちをきわめて冷酷な戦闘ロボットのように描くが、他方で彼らにもまた故郷があり家族がありそれぞれの人間的な思いがあることが明らかにされていく。これと戦うはみ出し者の少年たちの背負ってきた過去も、半端ではない。村上龍得意の、残虐で過激な描写がこれでもかこれでもかと続く。だが、彼らにも人間としての心がある。この小説も、単なるバイオレンス小説ではない。この極限の状況設定の一番奥底にあるのは、人間とは何か? 人間的なものとは何か? 人間的なものを抑圧しているものは何か? 人間の自由はどこにあるのか? という大きな問いだ。(「半島を出よ」という言葉には深い形而上学的意味がある。コリョも日本人も半島や島国の偏狭な精神から脱して大きな世界に突きぬけろ、ということだろうか。)

 

 ただし、非常に差別的な表現に満ち満ちている。文学的効果を狙ったものとされているが、一歩間違えるとひどい差別小説だと言ってもよいくらいだ。読者は北朝鮮の人や障害のある人に偏見を持たないように意識しないといけない。「やはり北朝鮮は怖い」「日本は再武装すべきだ」と短絡してしまう人には薦めない。

 

 荒唐無稽でもあり、ゲーム(+映像)化することを想定して書いているのかなと思った。

 

 二作とも力作で、よくこんなにも書けたな、と感心する。『半島を出よ』の方が政治や経済の勉強を沢山して書いているとは思うが、そちらにエネルギーを取られ過ぎで、ストーリーに不自然なところがある。(福岡県民や日本政府や国際世論とりわけ韓国やアメリカがこんなことを許すはずがないなど。)『コインロッカー・ベイビーズ』も荒唐無稽なところがある。でもはじめからそう思って読み、なおかつ文学的表現によって与えられる文学的効果(強い印象、感動)を味わえばいいんだという立場から言えば、やはり傑作である。

 

 村上龍は変な人だ。アメリカのアフガニスタン爆撃が始まるより先に、パシュトゥーン人の存在を知っていて、『希望の国のエクソダス』に書きこんでいる。政治や経済の勉強も結構やっている。日本が嫌いで憎悪をぶつけているように見えたが、『半島を出よ』を見ると実は日本が好きなのかもしれない。 (2012頃に書いた。JS)