James Setouchi
村上 龍『歌うクジラ』(上下2巻) 講談社文庫
1 村上龍(1952~ ):長崎県佐世保市生まれ。武蔵野美大中退。1976年『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞。『コインロッカー・ベイビーズ』『イン・ザ・ミソスープ』『共生虫』『半島を出よ』『歌うクジラ』『愛と幻想のファシズム』『五分後の世界』『新13歳のハローワーク』『55歳からのハローワーク』『日本の伝統行事』など。(文庫の著者紹介から)
2 『歌うクジラ』2010年10月発表
近未来ディストピア小説。ジョージ・オーゥエル『1984』やオルダス・ハクスリー『素晴らしい新世界』を思わせる。
舞台は2100年代の日本(宇宙も出てくる)。日本は(人類は)科学技術の力で不老不死(テロメアを長くする方法による)を手に入れ、反対に老化促進の方法(テロメアを切断する)も手に入れた。結果として完全な理想の社会が手に入った、ことになっている。
実態は、階層社会が固定化し、最上層の人が特権を持ち不老不死者として社会を支配、その下には上層・中間層・下層の他に最下層の人がいる。情報は完全にコントロールされ、想念もメモリアックという機械により読み取られまた増幅される。下位層の人びとは他の社会を知らぬまま「幸福」な状態に置かれる。総合精神安定剤という薬も使われる。文化経済効率化運動により、高度で複雑な言葉や思考は奪われている。読者にとって実に不愉快な階層社会だが、日本はそうなってしまうかもしれない、と恐怖を感じさせるリアリティのある物語だ。同時に、岡山・広島県境には、反乱移民の子孫が暮らすエリアがあり、他の日本と分断されている。これもリアリティがある。
アキラは新出島(しん・でじま)に生まれ育った。そこは恥ずべき犯罪により刑を受けた人とその子孫、つまり最下層の人の住む場所。アキラは他の場所に行ったことがない。だが、情報管理者だった父親の遺言により、体に埋め込まれたICチップをヨシマツという謎の人物に届けるため、新出島を脱出する。アキラは異様な世界を旅しながら異様な敵や味方と遭遇し、旅を続ける。そして最後は… という物語。
全体に暴力と性の描写が多く(しかもきわめて残忍な描写が多く)、読むのに苦労する。本作は映像化は無理だろう。(健全な青少年諸君には勧めにくい。)しかしこれを通じて村上龍が問おうとしているのは、人間とは何か、人間の生きる意味は何か、日本(人類)社会はこれからどこへ向かうのか、これでいいのか、という問いであろう。アキラは想像力と言葉で事態を打開し、ついにヨシマツに会う。アキラがそこで見出したものとは…?
いくつか書いておきたい。
・反乱移民の子孫たちは助詞をわざと間違えた日本語を使う。日本語の正規の文法に服従しないという自由への意思の表れであろうが、読者には読みにくい。「その人をどのくらいニッポンに反抗しているか、反乱に加わっているか、抵抗と示しているか、それだけが信頼を基準になっているの」(上p.132)は読みにくい。「その人がどのくらいニッポンに反抗しているか、反乱に加わっているか、抵抗を示しているか、それだけが信頼の基準になっているの」と読みながら変換する必要があり、時間がかかった。これが自明の日本だ、と多くの人が思っているものを、村上龍はあえて解体してみせる。
・性のモラルはホルモンに組み込まれているのではなく、後天的に社会の中で学習するものだ、との見方をヨシマツは述べるが、本当だろうか? 野生動物にも人間にも本来近親相姦をしない遺伝子が組み込まれているのではないか? 人間は群れを作り助け合う本能を有するのではないか?
(登場人物)
アキラ:「ぼく」。新出島の出身。最下層で、差別されている。父親の命令に従い、新出島を脱出し、足に埋め込まれたICチップを、最上層の老人であるヨシマツに届ける旅に出る。
サブロウさん:アキラの同行者。体から毒性の体液が出る、特異体質。
アン:同行者。女性。反乱移民の子孫。
ヤガラという人:アンの父親。反乱移民の子孫。
ネグダール:謎の女。サルとの混血を自称。
宋文:歓楽街の中国人マフィアのリーダー。
アンジョウ:アキラが会うべき相手。アンジョウに会えば、ヨシマツに会うための方法が分かる。
サツキという老女:最上級の老女。かつてアキラをある形で愛した。
ヨシマツ:最上級の老人。社会の最高支配者・設計者の一人。アキラを呼んでいる。が…
3 村上龍はこの作品を2010年10月に出している。この物語では(も)日本的なるものへの異議申し立てが繰り返される。が、2011年3月の東日本大震災の後、村上龍は日本の祭りなどを扱っていた。災害を超えて持続するものに注目する、ということだったと思う。すると、2011年以前の本作と、2011年以降とでは、村上龍は何かが変わった、ということか? いや、村上は変わってなどいない。人間を大切にしないシステムに対して村上は異議申し立てをしていたのであって、人間を大切にせよ、という村上の主張は一貫しているように思われる。