James Setouchi
大江健三郎『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』
1 大江健三郎 1935(昭和10)~ノーベル文学賞作家。
愛媛県大瀬村(大洲市内子町)に生まれる。内子高校から松山東高校に転校、伊丹十三と出会う。東大仏文科で渡辺一夫に学ぶ。在学中『死者の奢り』で東大五月祭賞。23歳で『飼育』で芥川賞。『個人的な体験』『ヒロシマ・ノート』『万延元年のフット・ボール』『沖縄ノート』『新しい人よ眼ざめよ』『静かな生活』『燃え上がる緑の木』『あいまいな日本の私』『取り替え子』『憂い顔の童子』『水死』『晩年様式集』など。1994(平成6)年ノーベル文学賞受賞。反核・護憲運動でも知られる。
2 『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』2013年講談社から刊行。講談社文庫でも読める。
2011年3月11日の東日本大震災・福島原発事故を踏まえた作品。作者らしき語り手・長江古義人(ちょうこう こぎと)はすでに七十代半ばすぎの後期高齢者の作家。年来の友人・サイードの晩年の生き方に触発され、古義人はいかなる晩年の生きざまを見せるのか? 震災と原発事故以後の状況に対して、古義人は自分自身の生き方を全うするために、また後に続く世代のために、全身で格闘する。大江健三郎自身が若いころから一貫して思索し取り組んできたことへの自己批評を含む集大成と言える作品だろう。
この『晩年様式集』では、古義人はサイードの「晩年の様式について」に触発されて「晩年様式集」という作品を書きつづる。同時に、古義人の妻・妹・娘たちが古義人の生き方や作品に対する批判を行い「三人の女たちによる別の話」を書いていく。これらがドッキングされて私家版雑誌『「晩年様式集」+α』という作品が出来上がる。こういう入れ子型構造を取っている。
かつて古義人の人格形成期に影響を与えたギー兄さんは四国の谷間の村で非業の死を遂げた。だが、その息子であるギー・ジュニアがアメリカから日本に帰って来て、テレビ番組を制作するため長江古義人にインタビューをする。古義人の親友・吾郎(故人)の昔の恋人・シマ浦が現れる。吾郎の死についても自殺か事故かその真相を古義人は問い直そうとする。東京の反・原発集会に古義人は参加し、倒れるが、四国の谷間の村に戻る。古義人の社会活動は続く。『「晩年様式集」+α』のラストは、古義人の『形見の歌』の引用で終わる。
「・・・私は生き直すことができない。しかし
私らは生き直すことができる。」
ここには、「次の世代が生き延びうる世界を残す」べく奮闘する老作家・長江古義人の祈りが表れている。古義人は限りなく大江健三郎に近い存在であり、私小説的でありつつもそうではないとはいえ、実在する大江健三郎の悲願がここには表明されていると言えよう。大江はノーベル文学賞だが、ノーベル平和賞にも値する人物だとも言われている。
なお、講談社文庫に付された尾崎真理子「未来の扉は開くのだろうか」は出色の解説であり、必読である。
3 登場人物
語り手(長江古義人):老作家。東京在住。四国の谷間の村の出身。
千樫:古義人の妻。吾郎(古義人の友人)の妹。
アカリ:古義人の息子。知的障がいがあるが音楽の才能がある。
アグイー:アカリの友だち。空を飛んでいる。カンガルーほどの大きさ。
真木:古義人の娘。
アサ:古義人の妹。四国の谷間の村で家を守ってきた。
ギー兄さん(故人):四国の谷間の村で古義人に影響を与えた人。テン窪大池で謎の死を遂げる。
ギー・ジュニア:ギー兄さんの子。アメリカで育つ。テレビ番組制作のため来日。
リッチャン:谷間の村近くの高校の音楽教師。もと劇団員。
吾郎:古義人の親友。謎の死を遂げる。自殺と言われている。
シマ浦:吾郎(故人)のもと恋人。
サイード(故人):世界的に有名な文化評論家。エドワード・E・サイード。
4 付言。
大江は最初から核による森と海の死滅を恐れ警告していた。だが21世紀になって予言は的中してしまった。それでもなお大江は後世に希望を残そうとする。こういう人を真の文学者と私は呼ぶ。