James Setouchi
大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』
1 大江健三郎 1935(昭和10)~ノーベル文学賞作家。
愛媛県大瀬村(大洲市内子町)に生まれる。内子高校から松山東高校に転校、伊丹十三と出会う。東大仏文科で渡辺一夫に学ぶ。在学中『死者の奢り』で東大五月祭賞。23歳で『飼育』で芥川賞。『個人的な体験』『ヒロシマ・ノート』『万延元年のフット・ボール』『沖縄ノート』『新しい人よ眼ざめよ』『静かな生活』『燃え上がる緑の木』『あいまいな日本の私』『取り替え子』『憂い顔の童子』『水死』『晩年様式集』など。1994(平成6)年ノーベル文学賞受賞。反核・護憲運動でも知られる。
2 『新しい人よ眼ざめよ』1983(昭和58)年講談社から刊行。講談社文庫でも読める。
連作短編集。初出は『群像』『新潮』『文藝春秋』『文学界』などに1982~1983年に発表したもの。大江健三郎の家族をモデルとする、私小説的な小説の一つ。どこまでが事実かはわからない。語り手「僕」は限りなく大江自身に近い。谷間の村の出身で、東大でフランス文学を学び、作家となり、既に多くの作品を発表している。世界の哲学者や文学者と交流があり、西洋にも出かける。成城の家に妻がおり、脳に障がいのある子ども・ヒカリ(イーヨーと呼ばれる)がおり、弟と妹がいる。「僕」はヒカリを強く愛しており、しかし脳に障がいのあるこの子は生きていけるのだろうかと心配を、しかも過度のと言っていいほどの心配をする。多くの場合「僕」の過剰な想像力に基づく取り越し苦労が多く、イーヨーは案外大丈夫なのだが。妻と弟と妹もそれぞれに立派だ。大江は家族をモデルとして描きつつ、妻や子どもたちを決して傷つけないように配慮して書いているに違いない。が、障がいのある子と共に生きる家族の一つの姿がここにはあり、この点からも読者には参考になるに違いない。
「僕」はウィリアム・ブレイクを愛読している。ウィリアム・ブレイク(1757~1827)はイギリスの詩人、画家。銅版画も作った。詩と装画を合わせた複合芸術作品を創造した。代表作『無垢の歌』『アルビオンは立ち上がった(喜びの日、グラッド・デイ)』『アメリカ』『四つのゾア(活物=いきもの)、古人アルビヨンの死と審判における愛と嫉みの苦悩』『ミルトン』『ジェルサレム』『蚤の幽霊』などは、本文中にも言及がある。宗教的、いや秘教的とも言うべき作品を描く。「僕」はブレイクの詩や絵画の表現に強く触発され、そこから自分の人生のありかたを探ろうとしている。ブレイクを読み取りつつ自分の人生の未来を考察していく記述は、知的に高度であり、ぼんやり読んでいると理解できないが、底流に流れているのは、生への強い祈りだろう。
誰にとっても面白いのは、イーヨーの言動だ。イーヨーのおかげで「僕」の心配は絶えないが、他方、イーヨーのおかげで一家には笑いが絶えない。イーヨーはまじめにやっているのか冗談なのか分からないが、ユーモラスな言動をする。(それは「僕」の大真面目な滑稽さと相似形である。)一例:泳ぎの練習のためにプールに連れていったが、泳ぎは全く下手であり、沈みかかり、見ていられない。あるとき本当に溺れかかり、周囲の者が必死で助けてくれた。息子を自力で助けることもできず疲れ切っていた「僕」が「まだ苦しいの?」と問うと、イーヨーは言う。「いいえ、すっかりなおりましたよ!」「僕は沈みました。これからは泳ぐことにしよう。僕はもう泳ごうと思います!」こうした笑いがこの作品には描かれている。障がい者家族との生活=苦しみ・不安というだけではない、ある種の明るさ・健康さがこの作品中にはある。
連作の最後『新しい人よ眼ざめよ』では、成長したイーヨーは「イーヨー」と呼ばれることを拒み。「光さん」と呼ばれることを選ぶ。それに気付いたのは弟の桜麻(さくらお)だ。「僕」は語りかける、「息子よ、確かにわれわれはいまきみを、イーヨーという幼児の呼び名でなく、光と呼びはじめねばならぬ。そのような年齢にきみは達したのだ。きみ、光と、そしてすぐにもきみの弟、桜麻(さくらお)とが、ふたりの若者としてわれわれの前に立つことになるだろう。」と。「僕」は夢想する、新時代の若者としての息子二人が並び立ち、その脇に、もうひとりの若者として、再生した「僕」自身が立っている姿を。このラストは感動的だ。
3 登場人物
僕:語り手。作家。東京の成城に在住。イーヨーを愛している。ブレイクを愛読する。文学者や哲学者と交流があり、世界を旅する。
妻:イーヨーの世話をする。
ヒカリ:「僕」の息子。生まれた時に頭に大きな瘤があった。知的障がいがある。養護学校の生徒。作曲の才と不思議なユーモアがある。『くまのプーさん』のキャラクターにちなんで「イーヨー」と呼ばれているが…
弟:「僕」の息子。イーヨーを大事にする。桜麻(さくらお)という名だと明らかにされる。「サクちゃん」。
妹:「僕」の娘。イーヨーを大事にする。