ames Setouchi

 

 村上春樹『村上春樹雑文集』新潮文庫2015年(単行本2011年)

 

 「雑文集」と銘打っている。村上春樹が各所に書いてきて、他の単行本に載っていない文章を集めたもの。序文、受賞のあいさつ、音楽についての雑感、『アンダーグラウンド』をめぐる文章、翻訳について、人物評、小説を書くことについての思い、などなどが載っている。村上春樹は小説家であり、実際、短編や長編のフィクションが面白いのだが、これら随筆なども村上独特のスタイリッシュな文体で書いてあり面白い。いくつかのものは内容も深く、考えさせる。いくつか紹介する。各自自分で読んで堪能せられたし。

 

1  『「壁と卵」―エルサレム賞・受賞のあいさつ』

 2009年、エルサレム賞を受賞するときのあいさつ。イスラエルはパレスチナ難民に対し攻撃を加えているので、村上がエルサレム賞を受賞することを危惧する人もいた。が、村上はこのスピーチで、世界の人々を唸らせた。村上は言う「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。」ここで「壁」とは、まずは爆撃機、戦車、ロケット弾、白燐弾、機関銃であり、卵とは非武装市民だ。が、それだけではない。「我々は多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだ」、「壁」とは「システム」と呼ばれる大ものだ、それは「本来は我々を護るべきはずのもの」だが、「あるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させる」、と村上は言う。「国家や人種や宗教を超えて、我々はみんなひとりの人間です。システムという強固な壁を前にした、一つ一つの卵です」「我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。・・システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません・・」

 

2 『東京の地下のブラック・マジック』

 地下鉄サリン事件と『アンダーグラウンド』について書いた文章。アメリカの雑誌に掲載するつもりだったが不採用になったもの。村上春樹は1995年、アメリカ東海岸で神戸の大震災と地下鉄サリン事件のニュースを聞き、帰国を決めた。地下鉄サリン事件は日本人にとって未曽有のカタストロフだった。実行犯は高い教育を受けた知的「エリート」だった。「しらけ世代」であり、経済的な豊かさを背景に登場した新しい日本人のタイプと言えるかもしれない。「社会の経済的な発展が、そのまま幸福をもたらすものではない」ということを実感として悟った最初の世代。自らが安易に社会化されることを拒否し、彼らはオウム真理教に帰依した。彼らはフィクションの作用に対する免疫性を身につけていなかったのかもしれない。彼らは麻原彰晃が提示した世界観(フィクション)に呑み込まれてしまった。村上は、『アンダーグラウンド』の中で、サリン事件の被害者にも「生き生きとした顔と声がある」「彼らが交換不可能な個であり、それぞれ固有の物語を持っていきているかけがえのない存在である」ことを伝えようとした。それが小説家の役目のひとつだ。村上の文章をざっとまとめると以上のようになるが、ここは理解が不十分になってはいけないので、各自で必ずお読みください。

 

3 『スコット・フィッツジェラルドージャズ・エイジの旗手』『器量のある小説』

 フィッツジェラルド論。村上はフィッツジェラルドが大好きだ。前者はフィッツジェラルドの伝記と『ギャツビー』の紹介。後者は『ギャツビー』と対比して『夜はやさし』の紹介。フィッツジェラルドは1920年代のアメリカ好景気の中で時代の寵児となった。愛妻ゼルダと共に「湯水のように金を使い」「無軌道な生活を続けた」。

 

 『ギャツビー』は「アメリカ文学の輝かしい金字塔として、今も高くそびえ立っている。」だが、大恐慌で全てが変わり、人々はヘミングウェイを新しいヒーローにした。が、フィッツジェラルドは「文章に対する信頼感をほとんど失わなかった」「自分は書くことによって救済されるはずだと固く信じていた」読者はフィッツジェラルドの「滅びの美学」ではなくそれを凌駕する「救済の確信」に惹きつけられる。このように村上は言う。『夜はやさし』は、フィッツジェラルドにとって「信仰告白」だ、と作家自身が言っている。『夜はやさし』は「懐の深い小説」だ、「読者とテキストとのあいだの有機的な結びつきの豊かさ」を持つ魅力ある小説だ、と村上は讃える。・・・私も同感だ。『ギャツビー』は紛れもない傑作だ、だが『夜はやさし』も読みごたえがあり、人間の生き方を考えさせ、励ましてくれる。