James Setouchi

 

 村上春樹『螢・納屋を焼く・その他の短編新潮文庫で読める

 

1 村上春樹(1949年1月~):作家。京都生れ、兵庫県芦屋の育ち、神戸高校から一浪後早稲田大学第一文学部(演劇学科)に進む。学生結婚をする。ジャズ喫茶を経営。大学卒業後1979年『風の歌を聴け』で群像新人賞。その後次々と作品を発表、日本で最も売れている作家の一人。代表作『風の歌を聴け』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』など。ノンフィクション『アンダーグラウンド』『約束された場所で』、翻訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『グレート・ギャツビー』などもある。

 

2 『螢・納屋を焼く・その他の短編』:初期短編集。単行本は昭和59(1984)年7月。文庫は昭和62年。初出は昭和57(1982)年~59(1984)年。内容は『螢』『納屋を焼く』『踊る小人』『めくらやなぎと眠る女』『三つのドイツ幻想』。これにあとがきがついている。初期「鼠」三部作の最後『羊をめぐる冒険』の直後くらいに書いた作品群だ。二つ紹介する。(ネタバレあり。)

 

3 『螢』(『中央公論』1983年1月号)

 語り手「僕」(限りなく作者・村上春樹を思わせるが、あくまでも虚構の「僕」だろう)は今から十四、五年前、大学に入学し、東京の文京区の高台にある学生寮に住んだ。そこでは毎日国旗掲揚があった。相部屋の男は地図が大好きな男で、将来は国土地理院に入ると言っていた。「僕」は彼女と四谷でデートをした。彼女、と言っても、厳密には高校時代の親友の恋人だった。三人は仲がよかったが、親友は突然自死した。「僕」は「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」と考えるに至る。彼女は東京の郊外の女子大生だったが、彼女もまた恋人(「僕」の親友)の死に対してどう考えてよいか、混乱しているようだった。

 

 ・・ある日を境に、彼女から突然別れの手紙が来る。彼女は京都の山中の療養所に入ると言う。「僕」は相部屋の男がくれた螢を、寮の屋上から逃がす。螢は闇の中に消えていった。

 

 →あとに続く『ノルウェイの森』の原型のような作品。切なく、悲しい。喪失感に満ちている。なお、実際の村上春樹は、早稲田大時代、一時目白台の和敬塾という男子寮に住んでいた。

 

4 『納屋を焼く』(『新潮』1983年1月号)

 三年前、語り手「僕」は三十一才、彼女は二十才だった。彼女はパントマイムの勉強をしながら、広告モデルをしている。複数のボーイフレンドがいる。アルジェリア旅行を経て、恋人を連れてきた。恋人は金持ちのようだが、どこかうさんくさい。彼は「時々納屋を焼くんです」と言う。「僕」には何のことか分からない。「僕」は地図を購入し、彼が次に焼く納屋がどこかを見張るために毎日ジョギングをすることになってしまう。再会した彼は、「納屋ですか? もちろん焼きましたよ」と言う。同時に、彼女とは連絡が取れない、彼女は突然いなくなった、と言う。彼女は消えてしまったのだ。「僕」は相変わらずジョギングをして、納屋が焼かれるかどうかを確認する毎日を繰り返す。

 

 →この話は、わからない。もしかしたら彼は嘘をついているのかもしれない。あるいは、語り手「僕」が嘘をついている(「信用ならざる語り手」)のかもしれない。「僕」の語りを信用するとして、彼女は少なくとも「僕」の前から消えてしまった。村上ワールドによくある、「いなくなる彼女」の話の一つだ。「僕」は捨てられたのか、彼女は何らかのトラブルに巻き込まれて死んだのか? アルジェリアで知り合った謎の「彼」がそこに関与しているのではないか? と読者は疑う。これは一種のホラーだ。

 

 「彼」は北アフリカに強い、石油産業関連の仕事をしているかもしれない、日本の資本主義の象徴であるが、同時に日本赤軍(注1)を連想させる。失踪した彼女は、不要な納屋と同様に、高度産業化社会の現実に不適応な存在の象徴である。このような示唆を髙橋龍夫がしていて、面白い。(『専修国文』102号(2018年2月)「村上春樹『納屋を焼く』論」)すると、体制化した高度資本主義と、たやすく失われる彼女(「僕」にとって大事な何か)との挟間で、身動きが取れない「僕」の閉塞感を描いているのかも知れない。

(注1 日本赤軍:左翼過激派。1977年ハイジャック事件でアルジェリアに着陸。)