James Setouchi
橋場弦『賄賂と民主政 古代ギリシアの美徳と犯罪』講談社学術文庫2024年7月 (古代ギリシア史)
[1] 著者 橋場弦(ゆずる)
1961年札幌市生れ。東大文学部、大学院を経て博士(文学)。東京大学大学院人文社会系研究科教授。著書『アテナイ公職者弾劾制度の研究』『民主主義の源流―古代アテネの実験』『古代ギリシアの民主政』『西洋古代史研究入門』(共著)など。(講談社学術文庫の著者紹介などを参照した。)
[2] 『賄賂と民主政 古代ギリシアの美徳と犯罪』
2008年に山川出版社から『賄賂とアテナイ民主政―美徳から犯罪へ』を、2024年に文庫化し改題した。「学術文庫版のためのあとがき」も添えてある。
目次は、
1 賄賂と贈与
2 贈り物は神々をも説得する
3 ペルシア戦争という転機
4 さまざまな賄賂
5 罪と法
6 賄賂と民主政
となっている。
いくつか(素人なので見当違いのこともあるだろうが)気のついたことを書いてみよう。
ア 従来、「アテナイ民主政が衆愚政治に陥ったころ、賄賂も横行した」といった見方があったが、本当はそうではない。例えば前339年のイソクラテスの『パンアテナイア祭演説』は父祖の時代を理想化し現代の役人の腐敗を嘆いて見せているが、こうした公的弁論は人々を説得するためのレトリックを使っているのであって、当時実際に賄賂が横行したことの証拠にはならない。むしろ贈収賄に対して法的にも厳しい態度を取るようになったことの現われと見るべきだ。(19~21頁)
イ そもそもギリシア語「ドーラ」は「贈収賄」という意味と「贈り物」という意味とを持っていた。(25頁)ポリスやギリシア人世界の枠を越えて賓客関係を結び歓待と互恵を行う習慣があった。(37頁)ホメロス作品には贈与の例が当たり前に出てくる(35頁)が犯罪としての賄賂を明示する語が一度も登場しない。(41頁)
ウ ソロンの改革でも貴族と平民の調停者の立場ゆえ、法的強制力で貴族を処罰することはできなかった。(46~47頁)
エ アレオパゴス評議会もアルコン出身者で構成されていたので、アルコンの贈収賄に対して厳しい処罰で臨んだとは考えにくい。(51頁)
オ クレイステネスの改革で民主政がスタートするが、それだけで賄賂を厳罰化したわけではない。ペルシア戦争という経験が大きい。(51~53頁)
カ アケメネス朝ペルシアは巨大な富でギリシア連合軍を買収しようとしていた、という危惧感をギリシア人は持った。(57頁)評議員のリュキデスはペルシアの将軍マルドニオスの和睦の申し出を受け入れようとしたが、評議会内外の人々が憤激してリュキデスとその家族を石打ちで殺害してしまった。(65頁)リュキデスは(事実は不明だが)ペルシアから賄賂を貰った、とみなされ、人々に憎まれたのだ。(67頁)
キ このように、ペルシア戦争を機に、「外国人」から「賄賂」を貰うことは犯罪、という意識となった。(71~79頁)
ク デロス同盟で巨額の貢納金が集まるようになると政治家が同盟諸市民から賄賂を貰っているのではないかという警戒心が強まった。(104頁)
ケ 外国人からも賄賂が渡り不正な提案や決議が行われるのではないかとの警戒心が強まった。(109頁)
コ 法廷の裁判員や訴訟当事者を買収することへの処罰感情も高まった。この場合贈賄側に対する処罰感情が発生している。(110頁)
サ もともと罪刑法定主義がなかったが、執務審査、贈収賄に関する公訴、弾劾裁判、国事犯級の収賄罪については死刑、法廷買収罪関連法、一般贈収賄関連法などが、紀元前4世紀後半には成立していた。(114~115頁)
シ 上記の「一般贈収賄関連法」だが、マクダウェルという研究者は前6世紀の成立と考えるが、著者(橋場氏)は前五世紀中葉以降、完成は前5世紀末と考える。①洗練された立法のセンスがあり、②贈賄も犯罪とみなしており、③「ディアフテイレイン」という語が「破壊する」から「買収する」という用法に変わった時期がヘロドトス・クセノフォン以降だからだ。(126~133頁)
ス はじめアテナイ人は賄賂行為に対して個別に対応していたが、やがて前5世紀末にこの一般贈収賄関連法が完成したのでは。(133頁)
セ 現代日本では企業が公共事業の分配などをめぐり議員や官僚に贈賄するといった図式があるが、アテナイ民主政ではそれが起こりにくい。アテナイの役人はアマチュア役人で任期は1年、同僚団も10人いた。権力を細分化していたから、役人への贈賄工作は実効に乏しかった。(137~138頁)
ソ 法廷買収罪に対しては厳しかった。アテナイ民主政は貧富の差に関わらず成年男子が参加できた。富裕層が財力を用いて民主政の意思決定過程を歪めることは不正義とされた。(140~144頁)
[3] 不十分な紹介で申し訳ないので、わずかばかりの感想を少し
1 今の日本では外資(アメリカ資本か中国資本か知らないが)から金銭を受け取って便宜を図る政治家や官僚がいて時々告発されている。アテナイの人々なら彼らを「売国奴」と告発するということか。そう言えば、「漢」に対し「倭国王帥匠」という人が「生口」(奴婢?)160人を贈った(各種学説あり)。日本最初の「売国奴」いや「売国民奴」と言うべきか? どうなのだろうか。堤未果でなくても激怒しそうだ。
2 富裕層が財力を用いて正義を歪めるのはけしからん、とするのは同感。今の日本でも巨大企業は有能な弁護士を大勢雇って裁判を有利に進めると聞くが・・・? 最近の弁護士ドラマを見て育った人たちは、法廷闘争とはダーディーな「ディール」の場だという感覚が身についてしまうのだろうか? そこに正義はあるべきだが・・・?
3 田舎の高齢者には今も贈答文化が残っている。「貰ったらお返し」の応酬が延々と続く。都会の若い女子もやっていそうだ。「お誕生日のプレゼント」の類いで。それで行政・立法・司法などをゆがめてはいけないのは無論だが、少額で、いわゆる「儀礼・良識の範囲内」であれば、それで人と人が結びつくのは、よしとするべきか。でも、学校の生徒の「お誕生日の贈り物」も、お金がないとできない。クリスマスプレゼントやバレンタインチョコもお金がないとできない。スクールカースト上位の富裕層の女子が高額なプレゼントを贈り合う、そこから貧しい人は排除されている。厳密に見ればよろしくない、と私は感じる。大人の贈答も同じだ。高価なプレゼントを贈り合う同士で社交サークルを作る。娘を贈り合う場合、閨閥という派閥を形成することになる。その社交サークルが有形無形で政治や社会を歪める。神(正義の)の目から見たら歪んだ事態だ。
4 そんなことも考えさせてくれた。この本はコンパクトにまとまっていて勉強にもなるのでお勧めします。文体も迫力があって魅力的です。高校の世界史や公共の授業で紹介してくれればいいのでは?
*補足しておくが、「アテナイ民主政は、アテナイが衆愚政に陥りスパルタやテーベに覇権を奪われてからはすっかりだめになった」といった、高校世界史の時間に習ったか(かどうかわからないが)うろ覚えの思い込みは、実は誤りで、アテネイ民主政はしぶとく結構長く生き延びた、というのが正しいようだ。橋場氏の『民主主義の源流』『古代ギリシアの民主政』などを読むとよくわかる。また、共著『古代オリンピック』『学問としてのオリンピック』なども面白い。あまり勉強していないので偉そうに言えないが、大塚久雄、弓削達(ゆげとおる)、橋場弦といった、学問的にも人間的にも良心的で誠実な方々がおられたから我々(私)は学問や学者を尊敬・信頼できたし、日本の戦後社会もまずまずいいものになった、と私は感じている。 2024.7.19記