James Setouchi

 

ピカード『ホメーロスのイーリアス物語』高杉一郎・訳 岩波少年文庫610

 

1        ホメーロス

 古代ギリシアの詩人。紀元前9~8世紀頃か? スミュルナで生まれ、キオス島に移り、イオス島で死んだとも言われるが、不明。紀元前5世紀頃のキオス島には、ホメーリダイ(目の不自由な人の息子たち)という氏族がいて、ホメーロスの叙事詩の吟唱をしていた、その本拠はデロース島に置かれていた、などと言われる。叙事詩『イーリアス』『オデュッセイア』で有名。(本書解説から)

 

2        バーバラ・レオニ・ピカード

 1917年~2011年。イングランド生まれ。父はフランス人、母はヴェネズエラ生まれのドイツ人。バークシャー州の聖キャサリン校で学び、図書館司書をしていた。1945年から著述を行う。短編集『人魚のおくりもの』やホメーロスをリライトした『イーリアス物語』『オデュッセイア物語』など。(本書の解説、カバーの著者紹介などから)

 

3        訳者:高杉一郎 1908年~2008年。

 静岡県生まれ、東京文理科大学英文科卒。和光台名誉教授。シベリア抑留経験があり、著書『極光のかげに』『征きて還りし兵の記録』など。クロポトキン、スメドレー、グレイヴズなどの訳書あり。児童文学も多く翻訳。(本書の訳者紹介などから)

 

4        『ホメーロスのイーリアス物語』

 世界的に有名なホメーロスの叙事詩『イーリアス』を、イギリスのピカードが子ども向けにわかりやすくリライトしたもの。原英文。

 

 『イーリアス』は、ホメーロスの長大な叙事詩で、トロイア戦争を扱っている。もともとは吟唱されたものだろう。私は中学の時に岩波文庫で『イーリアス』と『オデュッセイア』に挑戦しかけて挫折した経験がある。入門時には謙虚に入門書から入る方がよかった、と思うので、今これを紹介しておく。なお、イーリアスとはトロイアの都市。

 

 トロイア戦争は、紀元前13世紀頃に実在した戦争。長らくホメーロスの空想に過ぎないとされてきたが、ドイツのハインリッヒ・シュリーマンが大金をつぎ込んで遺跡を掘り当てた話は有名。(『古代への情熱』参照。)実際のトロイア戦争の原因は、ギリシアとトロイアの制海権を巡る対立抗争で、それまでトロイアが黒海貿易を独占していたが、ギリシアが航行権を主張して立ち上がり、戦争の結果ギリシアが勝利、アテーナイは黒海地方の安い穀物を買い占めて莫大な利益をあげるようになった、と言う。(本書解説から。)

 

 ホメーロスの『イーリアス』では、ギリシアの神々が登場する。神話によれば、ギリシアの女神ヘーラー、アテーナー、アプロディテーが美を競い、その判定をトロイア王の息子パリスが行う。パリスはアプロディテーを選び、見返りにアプロディテーは世界最高の美女と会わせてあげる、と約束。パリスは、あるとき、スパルタ王メネラーオスの妻、王妃ヘレネーに会い、一目惚れ、トロイアに連れて帰る。スパルタ王メネラーオスは怒り、兄のアガメムノンに訴えた。アガメムノンはミュケーナイの王。ギリシャ連合軍を組織し、トロイアを攻撃することになる。これが戦争の原因であり、女性の取り合いがきっかけだったのだ。これが前史。

 

 戦争は膠着し10年間もかかる。最強の戦士アキレウスは、総大将のアガメムノンと対立する。その理由も、女性の取り合いだ。

 

 しかし、親友のパトロクロスが戦死したと知り、アキレウスは激怒、突如として立ち上がり、敵のヘクトール(トロイア王子。英雄)を圧倒、勝利はギリシア軍に。その過程でアキレウスも死ぬが、トロイアは完全に敗北する。(有名なトロイの木馬は、『イーリアス』では語られない。)

 

 だが、この戦争の過程も、実は、女神テティス(アキレウスの母親)の懇願を入れた最高神ゼウスの意図に支配されていた。そこに女神アプロディテー男神アポロン、また女神アテーナらの力も加わる。神々も駆け引きをし、ひいきをする。神々と人間が交錯して物語は進展する。

 

 ピカード版は、早熟な人であれば小学校高学年くらいから読めるだろうが、高校生や大学生が入門用に読んでも悪くない。私は、戦闘シーンが多く辟易した。戦場では倒した相手の武具を略奪する。敗者は女性を含め奴隷になる。アキレウスが虐殺するシーンは残酷だ。アキレウスは、ギリシア軍にとって事態を打開するヒーローであると同時に、トロイア軍にとっては大量虐殺魔でもある。この話では戦争の理由は女性(持ち物としての)の取り合いや親友の敵討ちであり、戦争に巻き込まれて死んだ多数の人にはいい迷惑でもある。勇者としての面子をかけて戦場に行き、戦わずにはいられない、当時の人びとの日常における倫理観が戦場での悲劇を大きくしているとも言える。戦争と軍国主義はやはり空しい、と私は思った。

 

 「古代ギリシア人=えらい」、ことはない。戦争や競争ばかりしている。(今のギリシア人に恨みがあるわけではない、念のため。)古代ローマ人も同じ。古代中国人なども。他を滅ぼして富を奪い人間を奴隷にして高度な文明都市を築く。高度な文明都市やその遺跡を見たとき、これは搾取と略奪の結果ではないか!? と見る視点を持っておきたいものだ。昔は、「世界史の時間に出てくる人はみんな偉くて世界史の資料集に出てくる遺跡などはすべて人類の叡智の決勝だから素晴らしいんだ」と、何も考えず憧れていたのだったが・・・

 

 なお、橋場弦(ゆずる)(東大教授)氏の『民主主義の源流』『古代ギリシアの民主政』『賄賂と民主政』、桜井万里子・橋場弦編集『古代オリンピック』、橋場弦・村田奈々子編集『学問としてのオリンピック』などは非常に有益です。いつかご紹介します。