James Setouchi

 

オー・ヘンリー『最後の一葉』各種文庫などにある.

 

(1)  オー・ヘンリー(O・ヘンリー)について

 1862年~1910年。本名ウィリアム・シドニー・ポーター。ノースカロライナ州の医師の子として生まれる。家が没落し、薬局の店員、テキサス州の銀行などに勤める。文筆生活に憧れ週刊誌『ローリング・ストーン』を創刊。経営に失敗し、銀行から横領罪で告訴され、ホンジュラスに逃げたが、妻の病気で帰国、自首して刑に服し、模範囚として3年で出所。服役中に書き始めた短編が注目され、出所後はニューヨークに出て作家活動に専念。処女作『キャベツと王様』(1904年)以降、多くの短編を出した。1910年死去。代表作『賢者の贈り物』『最後の一葉』など。短編小説の名手であり、短編作家に大きな影響を与えた。(集英社世界文学事典の井上謙治氏の解説を参考にした。)

 

(2)『最後の一葉』(1905年、作者43歳頃の作)

舞台:ニューヨーク、ワシントン・スクウェアの西側にある裏通り。とある三階建ての煉瓦造りの家。そのエリアは若く貧しい画家たちの集まる場所だった。

時代設定:不明だが、作品が1905年発表なのでその頃と考えてもよいだろう。季節は11月。寒く、肺炎になる人が多い。

 

登場人物:

 スウ(スウデイ);売れない貧しい画家(若い女性)

ジョンジー(ジョアンナ);売れない貧しい画家(若い女性)。スウと同室。

ベールマンさん;売れない貧しい画家(男性)。六十過ぎ。スウとジョンジーの住む建物の地下室に住んでいる。「今度こそ傑作を描くぞ」が口癖。

 訛りからドイツ系移民かと思われる。

医者;往診に来る。

 

少しコメント:

 『最後の一葉』は有名な短編で、小中学生でも読める。子どもの時に読んだ人もいるだろう。私も子どもの時に読んで、ラストのどんでん返しも含めて、なかなか面白いと感じ、短編集を買ってきて読んだ。クラスメートも同様にしていた。子どものとき読んだものを、高校や大学、また大人になって読むとまた印象が違うだろう。私自身今大人になって読み返してみて、この作品は非常に感動的で尊いことを書いている作品だと改めてわかった。それが何かはここでは書かない。各自考えて、読書会においでください。

 

  ここは大都会ニューヨークだ。ベールマンさんはなぜこのようなことをしたのだろうか? また、真実を知ったジョンジーは、これからどう生きるのだろうか? この問いも考えてみたい。

 

 なお、オー・ヘンリーはこの短編を1905年に発表した。1905年と言えば日本は日露戦争をしている時だ。日露が奉天会戦や日本海海戦を行い、アメリカのルーズベルト大統領の調停でポーツマス条約を結んでいる同じ時期に、ニューヨークの裏町で貧しい画家志望の人たちがこんな暮らしをしていたのかと思うと、また特別の感慨があった。

 

(3)参考 ニューヨークに関係の深い作家と言えば・・

①ハーマン・メルヴィル NY生まれ。『白鯨』(1851年)。

②ウォルター・ホイットマン NY州のロングアイランドで生まれブルックリンなどで働いた。アメリカ最初の民主主義詩人などと言われる。詩集『草の葉』(1855年)。

③オー・ヘンリー 1902年からNYに住む。『最後の一葉』(1905年)。

④スコット・フィッツジェラルド 『華麗なるギャツビー』(1925年)は傑作。ギャツビーと同様、フィッツジェラルドはNYで派手なパーティーをして遊んだと言われる。

⑤ヘンリー・ミラー NY生まれ。パリでボヘミアン的な生活を送る。『北回帰線』(1934年)。

⑥J.D.サリンジャー NY生まれ。『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)。主人公のホールデン君は大人の世界のいんちきが嫌いだ。

⑦トルーマン・カポーティ 『ティファニーで朝食を』(1958年)で有名。ティファニーはニューヨーク五番街にある宝石店。

⑧ジョン・アップダイク NY生まれ。『ニューヨーカー誌』のライターをしていた。『同じ一つのドア』(1959年)『走れウサギ』(1960年)など。

⑨村上春樹 『海辺のカフカ』(2002年)の英訳『Kafka on the Shore』は『ニューヨーク・タイムス』で2005年にベスト10に選ばれた。