James Setoushi
ティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ』村上春樹訳 文春文庫
Tim O’brien〝The Nuclear Age〟
1 ティム・オブライエン(1946~ )
ミネソタ州生まれ。ベトナム戦争に歩兵として従軍。著書『ぼくが戦場で死んだら』『カチアートを追跡して』『本当の戦争の話をしよう』『世界のすべての七月』『失踪』『ニュークリア・エイジ』など。(文庫の作者紹介から)
2 『ニュークリア・エイジ』
核時代をいかに生きるか? を問うた小説。時代背景はキューバ危機、ベトナム戦争など1960年代を中心に、1958年ころから1995年までを扱う。本作が発表されたのは1985年なので、1995年についての記述は、1985年の読者から見れば、言わば近未来SF小説ということになる。
語り手はウィリアム。1995年に妻子と暮らしているが、強い強迫観念を持って穴を掘っている。穴が命じる、「掘れ!」と。ウィリアムにはカンザスが炎上するのが見える。すでに世界最終核戦争は行われている。それはリアルな感覚だ。核ミサイルは次々と発射され、あたりは炎上している。シェルターを掘るしかない。妻と子を守るために。その行為は、他の人からは狂気に見える。だが、ウィリアムだけが正気なのかもしれない。この核の恐怖の時代には。
同時進行で、ウィリアムの過去が語られる。モンタナ州の田舎町に生まれた。スイートハート山脈が見える。感じやすい子だった。核の恐怖に囚われ、地下室にピンポン台で手製のシェルターを作る。父親と母親は子どもの行動を心配し、医師やカウンセラーに見せる。だが、大人たちは見誤っていた。ウィリアムの感覚が正しいのだ。(この話を、感受性の強い平和主義の少年の物語と読むこともできる。集団の熱狂を嫌い静かに暮らすことを愛好する少年。)
ウィリアムはハイスクール、また大学でも感じやすい変わり者として周囲から見られつつ、現に起きている戦争や核爆弾の脅威をリアルに感じて過ごす。ある時ウィリアムは「爆弾は実在する」と書いたポスターを掲げカフェテリアの正面に立つ。周囲の冷笑。しかし、彼は忍耐強く立ち続ける。やがて彼の周りにわずかな仲間ができる。爆弾魔のオリー。過食症のティナ。美人チアリーダーのサラ。そして筋肉男のネッド。
ここから先はネタバレ。
サラはチアリーダーとして過度の情熱を持ち、人々を扇動する能力を持っていた。やがてサラの主導で仲間たちは特殊な反軍グループに育っていく。ベトナム戦争の従軍の命令書がウィリアムに下る。これを機に事態は急展開。仲間たちはアメリカの表面から姿を消し、地下へもぐって反戦運動を行う。キューバで戦闘訓練を受ける。(戦争反対のはずなのに戦闘訓練とは?) 彼らはフロリダを拠点にベトナム反戦運動を行う。折しも全米で(また大学内でも)ベトナム反戦運動の燃え上がった時期であった。
それから? ウィリアムは兵士には向いていなかった。偶然出会った美しいフライトアテンダントのボビに恋をする。仲間たちとの隠密行動があり、ボビを恋い慕う夢想がある。サラにはサラの苦しみがあり、サラはウィリアムを求める。ネッドはサラを求めている。過激化する仲間たち。ウィリアムは身心を壊し故郷に戻り長い長い療養生活に入る。サラたちとはともにやっていけない…
ウィリアムは岩石学の専門家だ。ある時ウラニウムの鉱山を見つけ、仲間たちと巨万の富を得る。(核兵器を憎むはずなのにウラニウム鉱山を兵器産業に売って巨利を得るとは、矛盾ではないか?)富豪となったウィリアムは恋するボビを探し求め、ついに探し当てる。ウィリアムはボビに求愛する。ウィリアムはボビと静かに暮らし娘メリンダを育てる。そこには幸せがあるかに見えたが…
ウィリアムを求めていたサラは苦しみ、病で死ぬ。他の仲間たちはテロリストとして警官隊に襲撃され炎の中で死ぬ。ボビの浮気性が再発、ウィリアムはボビを失いそうになる。既に両親と仲間を失い妻子をも失いそうになるウィリアムを、再び核戦争の恐怖が襲う。自らの財産もウラニウム鉱山で築いた。そのウラニウムで作った核ミサイルが今まさに地上を滅ぼし尽くそうとしている。ウィリアムは狂気に囚われたかのように穴を掘り続ける。そして…
ここから先は読者ご自身がお読みになるほかはない。
核の恐怖からシェルターとして穴を掘るわけだが、いつしか穴が命令し始めている。「掘れ!」と。これは逆に言えば、人間が作り出したものに人間が支配され命令される恐怖を描いているとも言える。核兵器がまさにそれだ。「抑止力」「防衛」のために核武装し、気が付くと益々核兵器を増やし続けなければならない脅迫観念に捉えられてしまう人びと。人間はそこから自由になれるのか。真に大切にすべきものは、何であるのか。本作はそう問いかけている。
各種書評では、村上春樹の訳でさらに傑作になっている、と言う人が結構いた。
(アメリカの作家)ポー、エマソン、ソロー、ストウ、ホーソン、メルヴィル、ホイットマン、M・トゥエイン、オー・ヘンリー、ドライサー、ロンドン、エリオット、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、バック、フォークナー、スタインベック、カポーティ、ミラー、サリンジャー、メイラー、アップダイク、フィリップ・ロス、レイモンド・カーヴァー、ティム・オブライエンなどなど。