James Setouchi

 

スコット・フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』(各種文庫に訳がある)

 

F. Scott Fitzgerald〝The Great Gatsby〟

 

1 フィッツジェラルド 1896~1940

 フィッツジェラルドは、アメリカの作家で、ヘミングウェイらとともに「失われた世代」(Lost Generation)と呼ばれるグループに属する。代表作『華麗なるギャツビー』『夜は優し』『富豪青年』『バビロン再訪』など。

 ミネソタ州生まれ。両親ともアイルランド系。父親が事業に失敗し経済的に恵まれない環境に育った。スコットはプリンストン大学に学ぶも、第一次世界大戦に従軍すべく大学を中退、少尉となる。除隊後結婚。妻ゼルダも含め夫婦そろって浪費家で、社交生活につぎ込む金を稼ぐためにフィッツジェラルドは作品を執筆し続けた。1930年以降は不遇で、1940年死亡。1950年代に本格的に再評価され、今では文学史上不動の作家となっている。(以上、集英社世界文学事典から。)

 

2 「失われた世代(ロスト・ジェネレイション)」とは何か

 1890年代に生まれ、第一次大戦中に成年期を迎えた世代で、第一次大戦を経験し、既存の思想、道徳、価値観に不信の念を抱き、自我だけをより所にして新しい生き方を求めた知識人、文学者たち。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、フォークナーらを代表とする。「迷える世代」「喪失の世代」「幻滅の世代」などとも訳される。(集英社世界文学事典による。)

 

 彼らは1920年代のアメリカで活躍した。当時のアメリカは第一次世界大戦の好景気のため極めて豊かだった。例えばニューヨークの摩天楼は1920年代から建設ラッシュが始まった。それなのに、彼らはなぜ「失われた」「迷える」「喪失の」…などと言われるのだろうか? それは、19世紀まで営々と積み上げてきたヨーロッパ的価値が、第一次大戦で無惨にも崩壊したのを目の当たりにし、人間として生きる確かなより所を失った、という喪失感に彼らが充ち満ちているからだろうか。つまり、金があってビルが建ち並んでも、人間としての大切な生きるべきより所を見失ってもがいていたから、「失われた世代」「迷える世代」などと言われるのだろうか。

 

 では、今の我々は、どうであろうか。

 

3 『華麗なるギャツビー』1925年

 語り手はニック・キャラウェイ。中西部の名門の出身だが今は東部ニューヨーク州へ出てきて債権の仕事をしている。そう、今注目の≪株屋≫なのだ。ニックがあこがれるものは≪金≫と≪富≫だ。

 

 ニックは、またいとこのデイジー(女)とその夫トム・ビュキャナン(大学時代の親友)と親しい。トムは不倫をしていてデイジーはつらい立場だ。そこにギャツビーが現われる。ギャツビーはなぜかわからないが大金持ちで、大邸宅で毎夜毎夜パーティーを開いている。ギャツビーは≪金≫と≪富≫を握っている。だが、ギャツビーの仕事には黒い噂もある。でもギャツビーは本当は純情ないいやつなのだ。ギャツビーは昔… 

 

 以下は読んでのお楽しみ。最後は悲劇だ。実に残念な悲劇だ。ニックは東部にすっかり失望し、西部に帰ることを決意する。

 

 この小説は1925年に書かれた。金持ちのアメリカにおける≪華麗なる≫ギャツビーの悲劇。その後アメリカを見舞うのは1929年の大恐慌だ。ギャツビーの悲劇はアメリカの悲劇を先取りしているようにさえ見える

 

 だが、別の見方もできる。多くの人が≪金≫と≪富≫に浮かれ、何が大切かわからなくなっている時代において、それでもなおギャツビーはたった一つの≪最も大切なもの≫にこだわり、手に入れ、守ろうとしたのだとすれば? そのためには≪金≫と≪富≫を惜しまず、蕩尽(とうじん)してもかまわなかったのだとすれば? ギャツビーにとって≪最も大切なもの≫、それはデイジーへの(との)愛だった。だが、ギャツビーもまた、≪金≫と≪富≫に溺れ、自分にとって≪最も大切なもの≫が本当は何かわからなくなっていたのかもしれない。だから語り手ニックは東部に失望し、東部を離れる。価値観の混迷する現代にあって、何を求め何をよりどころとして人は生きるのか? フィッツジェラルドの作品は私たちにこの問いを考えさせてくれる。

 

 ここで越智道雄『WASP』(中公新書、1998年)(なお、WASPとは、WhiteAnglo-SaxonProtestants)を参考に、少し注釈をすると、トム・ブキャナンはスコッチ・アイリッシュで代々の上流階級(オールド・マネー)。ギャツビーは新興の上流階級(ニュー・マネー)。同じWASPでも違いがある。ギャツビーを金持ちにしたのはメイヤー・ウォルフズハイムというユダヤ系の男だ。ブキャナンのモデルはトミー・ヒチコックやリチャード・ホイットニーというWASP。ギャツビーのモデルはマックス・フォン・ガーラックという酒の密造販売者という噂のあったドイツ・ユダヤ系の成金。ウォルフズハイムのモデルはロシア・ユダヤであるアーノルド・ロススタイン。(同書16~17頁)すなわち、当時の社会背景を踏まえ、同じ白人上流階級でも、先発の富裕層と、あとから成り上がった富裕層との違いが、描き込まれている。ブキャナンはマディスン・グラントの『偉大な人種の死』(1916)なる書を読んでいた。この書は「後発移民の侵攻に風前の灯となったワスプという危機感をあおり、ワスプ保守派の間ではバイブル視され」ていた(同書25頁)。

 

 フィッツジェラルド自身に戻すと、彼はアイルランド系の家庭に生れた。父方は名門のプロテスタントだが、没落。母方はカトリックで富裕層。スコット自身は名門プリンストン大学に学ぶが、中退。プリンストン大学は東部アイヴィ・リーグでは最も差別色が濃い大学だった(同書25頁)。フィッツジェラルドは、最上流富裕層に対する複雑なコンプレックスを抱いていたとしばしば言われる

 

 だが、『ギャツビー』においても語り手ニック・キャラウェイは東部の狂騒に嫌気がさす。ブキャナンの汚いやりかたを作家は嫌悪している。後年の『夜はやさし』(1934年)においては、金持ち階層に使い捨てられる医師ディック・ダイヴァー(清貧な牧師の子)に対し作家は同情的だ。富裕層の華やかな生活への憧れはあったが、それは本当の人間の生き方ではない、とするまなざしが作家・フィッツジェラルドには常にあったのではないか。『バビロン再訪』(1930年)では享楽の街・パリをバビロンと呼んでいる。では、フィッツジェラルドはどこへ行くのか? 清貧で敬虔な信仰心を持った生活に作家自身は最後のよりどころを持っていたのではないか、という気がするが、それはフィッツジェラルド論全体の課題となる