James Setouchi

 

フォークナー『響きと怒り』  William Faulkner“The Sound and the Fury”

(岩波文庫は2巻本で平石貴樹・新納卓也 訳。講談社文芸文庫は高橋正雄 訳)

 

1 ウィリアム・フォークナー(1987~1962)

 ノーベル文学賞作家。ミシシッピ州の名門の家に生まれた。17歳で高校中退、空軍勤務、ミシシッピ大学での聴講生、大学内郵便局などでの勤務をしながら、絵や詩の創作を行う。いくつかの作品を発表したが、当初は注目されなかった。1926年から故郷のミシシッピ州オクスフォードをモデルとした架空の小都市ヨクナパトーファ郡ジェファソンを舞台とした作品を書いた。『響きと怒り』(1929)、『サンクチュアリ』(1931)、『八月の光』(1932)、『アブサロム、アブサロム!』(1936)などがそうである。1940年ころから、「南部的悲劇の実現から、困難な状況を生きぬき、生きのびる人物たちの現実的、道徳的強靭さを描き出す方向へとしだいに比重を移していった。」(集英社世界文学事典、坂内徳明による。)1950年ノーベル文学書。その後もヨクナパトーファの物語を書き継ぎ、また講演なども行う。(集英社世界文学事典を参考にした。)

 

2 『響きと怒り』“The Sound and the Fury”

 アメリカ南部の名門コンプソン家の没落を描く。語りの手法が独特。

 

 題名“The Sound and the Fury”は、シェイクスピア『マクベス』のマクベスの科白

“Life’s but a walking shadow, a poor player,

 That struts and frets his hour upon the stage,

 And then is heard no more;  it is a tale

 Told by an idiot, full of sound and fury,

 Signifying nothing. ”

から来ていることは知られている。

 

 読みにくい、と多くの人が感じるだろう。第二章から多少読め、面白くなるが、やはり第一章はわからない。通読後、岩波文庫に付いている地図、主要出来事年表、場面転換表などを見ながら精読する。それで多少分かった。まだ本当には分かっていない。ここで入門者用に読みやすく解説しておく。ネタバレになってしまうので、自分の初読を楽しみたい人は以下は読まないように。アメリカのディープ・サウスを知りたい人にはお薦めの作家だ。

 

 (以下ネタバレあり。)

 

 第一章は、1928年4月7日のできごと。場所は南部のコンプソン家。但しベンジャミン(ベンジー)というコンプソン家の三男の目を通して描かれる。ベンジーは33歳で、知的障がいがある。ものが言えず泣くばかりで、周囲の言葉も理解できないと周囲から思われている。だが本当はわかっている。かつ、過去の幾つもの場面と現在の出来事とが、ベンジーの意識に浮かんだ順番に描かれるので、一読しただけでは何が起こっているのか分からない、ということになる。ベンジーは、大事にしてくれる姉キャディーが好き。(ベンジーにとってキャディーは言わば母親のような存在だ。)

 

 第二章は、1910年6月2日にさかのぼる。これは、コンプソン家の長兄クウェンティンの語り。クウェンティンはボストンのハーヴァード大学にいる。知的で潔癖な人物。妹キャンダシー(キャディー)を愛しているが、大学のハーバートという信用ならない先輩に妹を取られ、対決する。そして…(クェンティンにとってキャディーは恋人か。)

 

 第三章は、1928年4月6日。つまり第一章の前日。場所はコンプソン家。語りはコンプソン家の次男のジェイソン。兄クェンティンがボストンで自殺し、弟ベンジーが障がいを持ち、姉キャディーとその娘クェンティン(長兄と同じ名前)も問題を抱えている(とジェイソンの目には見える)ので、ジェイソンは家にとどまり商売をして母親を支えている(父親は故人)。だが、ジェイソンには不満があり…(ジェイソンにとってはキャディーは言わば恥さらしの娼婦。)

 

 第四章は、1928年4月8日。つまり第一章の翌日。描写は客観描写。長年積もってきたコンプソン家の矛盾がついに爆発し事件になる。コンプソン家で働く黒人たちは真実を見つめていたが…

 

 「付録―コンプソン一族」には、一族の祖先と、キャディーらのその後が描かれている。

 

 この物語の本当の中心人物は、キャディーかもしれない。長兄クェンティンに愛され、末弟ベンジーをかわいがり、誰かの子を妊娠し、婚約者ハーバートに捨てられ、弟ジェイソンには憎まれる。娘クェンティンを愛しているが実家に戻ることは許されない。南部の誇り高くあまりにも狭い倫理と人々の手前勝手な欲望の前に犠牲になった。