James Setouchi

 

サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』

J.D.Salinger NINE STORIES”(野崎孝訳、新潮文庫)

 

1 J.D.サリンジャー 1919年~2010 アメリカ

 アメリカの作家。代表作『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・インザ・ライ)』は一世を風靡した。他に『ナイン・ストーリーズ』『フラニーとズーイ』『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』『シーモアー序章ー』など。NY生まれ。父はポーランド系ユダヤ人、母はアイルランド系カトリック教徒。エリート校に学ぶが中退、田舎の軍隊の学校のようなところで学ぶ。職を転々とし作家に。陸軍でノルマンディー上陸作戦に参加。戦後ドイツにもいた。神経衰弱となる。『ライ麦畑』が人気爆発。1950年代からシーモアを長兄とするグラス家の物語を書き始める。晩年は人目を避け隠遁生活を送ったとされる。  (新潮社文庫カバーの作者紹介ほかを参考にした。)

 

『ナイン・ストーリーズ』(ネタバレします)1953年刊行。それまでに発表した短編から九編を選んだ。

 

(1)『バナナフィッシュにうってつけの日』“A Perfect Day for Bananafish ”1948年

  フロリダの海岸。1948年。ホテルに宿泊しているミュリエルにNYの母親から電話が入る。母親は娘のことを心配している。娘の夫・シーモアが奇矯な人物であるらしいからだ。精神分析の医師がどう言ったかを母は聞きたがる。娘はそれほど心配していないように見える。当のシーモアは、海岸で幼い少女シビルを相手にしている。「海にはバナナフィッシュというものがいる、バナナ穴の中に入ってバナナを食べるのに夢中になり、太って、外に出られなくなる。」そうシーモアは幼い少女シビルにでたらめを教える。シビルは「バナナフィッシュが見えた」と言う。シーモアは部屋に戻り、妻のミュリエルが眠っている横で、突然の拳銃自殺をする。

 

 シーモアがなぜ突然自殺したかの理由は、描かれていない。陸軍病院にいたらしいことが書かれているので、軍隊時代のトラウマがあったのかもしれない。シーモアは「足の入れ墨を見られたくない」とビーチでもバスローブを脱がない。入れ墨とは戦傷の比喩と解釈できる。エレベーターで乗り合わせた見知らぬ女に「僕の足を盗み見するな」「僕の足は二つともまともなんだ」と言うのは、戦傷があるからか。この女のつけている亜鉛華軟膏が戦場で火傷につける薬で、シーモアに戦場を想起させたとの見方がある。反戦作家・サリンジャーという概念で読めば、軍隊時代のトラウマがサリンジャーの心身を病ませている、となる。あるいは、バナナフィッシュのでたらめな話に何かしらのシーモアの真実の叫びが隠されているのかもしれない。それは、市場経済の虚栄と欺瞞に飲み込まれて暮らすアメリカの人々(その代表は妻やその母だ)への違和感であるのかもしれない。幼いシビルでさえも周囲のでたらめな言い草に付き合って嘘を言う。しかもその嘘はシーモア自身が提供したものだ。それらすべてが許せなかったのか。だが、きわめて優秀で常人を超えていた(はずの)シーモアは、ともかくも自殺した。そのトラウマを、弟や妹たち、また読者は、抱え込んで生きることになる。(参考:今井夏彦「J.D.Salingerについてーシーモアは価値かー」梅光女学院大学英米文学会『英米文学研究』1974年11月は、この短編はエリオットの「“荒地”の「真摯な」パロディ」)だと考察している。)

 

(2)『コネティカットのひょこひょこおじさん』

 “Uncle Wiggily in Connecticut”1948年

 メアリー・ジェーンとエロイーズは大学時代以来の友人だ。しかも同じく大学中退だ。メアリー・ジェーンは職業婦人、エロイーズは夫を持つ妻であり娘を持つ母だ。二人はエロイーズの家で昔の話に花が咲いている。だが、エロイーズは幸せではない。エロイーズの娘・ラモーナは夢想家だ。想像上のBF、ジミーについて語り母親を怒らせる。エロイーズには昔恋人がいた。ウォルト・グラスだ。そう、グラス家の双子の片割れだ。ウォルトは戦争で日本に駐屯中、事故で死んだ。彼はおもしろく、優しい人だった。昔エロイーズが足をくじいたとき、ウォルトは「かわいそうなひょこひょこおじさん」だな、と言った。だが、甘美な青春は失われ、二度と戻ってこない。今の夫の帰りは遅い。語られていないが、夫は浮気をしているのか? あるいは、「隊長風」をふかせたがる、軍人風の男なのか。エロイーズはみじめだ。エロイーズは泣く。エロイーズに救いは、安息の日は来るのか?

 

(3)『対エスキモー戦争の前夜』“Just Before the War with the Eskimos”1948年

 15才のジーナは級友のセリーナのことを嫌っている。金持ちの子のくせにケチで、タクシー代をいつも払わされるからだ。今日こそはお金を返してもらおうとセリーナの家に乗り込むが、そこで見たものは…セリーナの兄・フランクリンが出てくる。どうやらいい奴なのだが、まだ24才で、心臓を患い、大学は中退、軍ではなく飛行機工場(「ひどい所」)で3年以上働き、今は家でぶらぶらしている。窓の外では老人たちが徴兵され、対エスキモー戦争に行かされている、とフランクリンは嫌悪をあらわにする。フランクリンの友人も出てくる。同じ「ひどい」工場で働いていた。ジーナはセリーナに対し少し優しくなる。対エスキモー戦争というのは、フランクリンのでまかせなのか、架空の戦争であるのか、朝鮮戦争を予見しているのかわからないが、戦争への嫌悪は伝わる。善きサマリア人のたとえ話(新約聖書)が出てくるが、異文化理解の困難さの暗喩か?  

                          

(4)『笑い男』“The Laughing Man”1949年

 1928年、「私」は9才で、コマンチ団という少年団体に入っていた。そこでスポーツをしたり博物館や美術館に行ったりした。団長は二十過ぎの青年ジョン・ゲザツキーで、行き帰りのバスの中で「笑い男」についての話をしてくれた。「笑い男」とは、子どもの頃中国の山賊に誘拐され恐ろしい顔になった盗賊である。「笑い男」は自身は寡欲で、また動物と話ができる。この「笑い男」がフランスにやってきて、探偵デュファルジュと対決する。この作り話は非常に面白く、子どもたちは夢中になる。他方、現実の団長には美しいGFメアリ・ハドソンがいて、時々スポーツに参加したりした。やがて(子どもに事情は見えないながら)彼女と団長は喧嘩別れをしたらしい。そして…結末は印象的だ。話中話の「笑い男」が壮絶な死を遂げるシーンは、あるいは戦争中に作家が見たシーンかもしれない。(団長ジョンの体型はアメリカ先住民のもので、ジョンの語る「笑い男」の悲劇はアメリカ先住民の悲劇を象徴しているとする解釈がある。)

 

(5)『小舟のほとりで』“Down at the Dinghy”1949年

 グラス家の長女、シーモアの妹であるブーブーが出てくる。ブーブーは25才で、4才の息子ライオネルがいる。ライオネルはなぜか2才の頃から家出の常習犯だ。今日も湖の小舟に乗り、家に戻ろうとしない。メードのサンドラとミセス・スネルが心配してくれる。…ブーブーは息子に話しに行く。息子はなかなか心を開いてくれない。だが、息子はついに言った。「サンドラがねースネルさんにねーパパのことをーでかくて、だらしない、ユダ公だってーそう言ったの」…ブーブーは一瞬ひるむが、「坊や、ユダ公って何のことだか知っているの?」「ユダコってのはね、空に上げるタコの一種だよ」。ここでユダ公(kike)とタコ(kite)を4才のライオネルは区別できず、わからないまま、父親が侮辱されたらしいことを悲しんでいる。ブーブーは息子を優しく抱き寄せる。ブーブーはユダヤ人のライオネルと結婚した。ブーブー自身が(つまりグラス家の兄弟は)(作者サリンジャー自身も)ユダヤ人とアイルランド人の混血だ。この作品の発表された1949年という状況では、イスラエルはやっと1948年に建国したばかり、第1次中東戦争(1948~)も発生、という状況だった。作者がユダヤ人という当時差別された側の人間として抱いていた悲しみをこの作品に書きこんだとわかる。同時に優しい母親の愛を。(今日では、パレスティナ難民に対してイスラエルは何をしているのか、も問わねばならないが、当時はヒトラーが死んでまだ数年でありアメリカでもユダヤ人への差別があったのだ。)

 

(6)『エズミに捧ぐ』“For Esmé―with Love and Squalor”1950年

 一つの解釈を示す。①1950年、「私」はイギリスで行われる結婚式の招待状を受け取った。6年前に知り合った彼女の名は、明記されていないが、後で出てくるエズミだろう。彼女についての秘話を紹介する、として以下②③は示された、と考えられる。

②1944年、ノルマンディー上陸作戦直前、アメリカ兵である「私」はイギリスのデヴォン州にいた。そこでエズミという少女と知り合う。エズミは13才だが知的で心優しい少女だった。近い将来戦争で死ぬかもしれない「私」にエズミは、小説を書いてほしい、と依頼し、文通をしましょう、と誘う。

③1945年、見習曹長Xは、過酷なノルマンディー上陸とドイツに対する勝利を経て、精神に深い傷を負っている。そんなとき偶然、Xは、何度も転送されてきた一通の手紙を発見する。それは、X曹長の無事を祈るエズミからの手紙だった。エズミの手紙を読み、Xは、深い安心を覚えた。

 「エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、いいか、元のような、…無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね」が結語だ。

 

 ここで紹介した③1945年以下の部分は、おそらく、「私」が書いた短編小説であろう。作中で語られていないが、その後も「私」とエズミの文通は続き、冒頭のエズミの結婚式の招待状へとつながるのだろう。最後の2行は1950年時点でのエズミへのメッセージかもしれない。これはバッドエンドではない。人間は深い傷を負っても回復できるという期待と祈りを込めた作品だ。(参考:冒頭を丁寧に読むと、1950年現在語り手「私」は妻や義母との生活で必ずしも幸福ではなく戦争のPTSDを引きずっている、との見方もある。)

 

(7)『愛らしき目もと目は緑』“Pretty Mouth and Green My Eyes”1951年

  深夜、白髪交じりの男リーは女と一緒に室内にいる。そこに弁護士事務所の同僚のアーサーから電話がかかってくる。「妻のジョーニーが帰ってこない、浮気している」との訴えだ。実はジョーニーは(明言されていないが)リーの横にいる、と思われる。アーサーはホテルの南京虫事件をめぐる裁判でも敗訴し解雇されそうだ。アーサーは「軍隊に戻ろうか」「妻と別れればよかった」と錯乱する。が語るうち昔妻と出会った頃のことを思い出し愛の告白をしたりもする。電話はいったん切れる。ジョーニーはへこんでいる。そこに再び電話が入り、アーサーは「妻が帰ってきた、NYを出て一緒に暮らす、NYの連中はみんなノイローゼみたいなもんだ、裁判についても何とか対応する」と言う。今度はリーがへこむ番だった。:ジョーニーはリーの隣にいるのにアーサーが「妻は帰ってきた」と言ったとしたら、リーは錯乱している、または嘘をついている。(ジョーニーが本当にアーサーの所に帰ったのだとしたら、リーのそばにいるのは他の女ということになるが、ここはジョーニーだと考えたい。)アーサーは軍隊でPTSDを受け妻に浮気され裁判で敗れ会社も解雇されそうだが、それでもなお妻を愛し仕事と人生に再び立ち向かおうとしてあえて2回目の電話をかけた(もしかしたらジョーニーがリーのそばにいることも察知した上で)、それに対し、勝ち組人生で余裕がありそうに見えたリーの方がかえって脆弱で壊れそうな人生を送っている、という話であろうか? 

 

(8)『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』“De Daumier-Smith’s Blue Period”1952年

 語りの現在は1952年で、語り手「わたし」は32才。13年前の1939年、「わたし」はモントリオールの小さな美術学校の講師をしていた。両親が離婚し、継父ボブと母とともにフランスで過ごすが、母も死亡、継父とともにNYに戻ったのが19才。(その継父ボブも1947年に死亡。ボブの思い出にこの物語を捧げる、と冒頭に書いてある。)19才の「わたし」は「フランスの画家オノレ・ドミエの親族、29才、ピカソとも知人」と偽って、モントリオールの通信制美術学校に就職した。経営者はヨショト夫妻といい日本人だが長老派クリスチャンだ。「わたし」は世界の宗教思想に関する本を読み、仏教にも関心がある。何人かの受講生の絵を見るうち、トロントの修道女の絵が気に入る。いや、まだ見ぬその修道女に恋をする。火曜の朝、指導の体裁をとった熱烈な恋文を出す。木曜の夜、不気味な夜であった。どこか外出先(書いていない)から帰り、近所の医療器具店のショーウインドーを覗き、自分は世界に居場所のない人間だと痛感する。金曜日、神父から拒否の手紙が来る。「わたし」はやけを起こす。その夜、再び通りかかった医療器具店のショーウインドーの前で、「異常な」経験をする。太陽が突然現われて「わたし」の鼻柱めがけて飛来した。「わたし」は一時視力を失う。「わたし」は世界と和解する。やがて美術学校は閉校となり、「わたし」はロード・アイランドで継父ボブと合流した。:「青の時代」とはピカソが若い頃青を基調とした人物画を書いていたことを連想させる言葉だ。「わたし」の青春時代、というほどの意味か。今はそれを通り抜けて大人になっている。その通過儀礼のような転機が、このモントリオールの美術学校時代で、修道女への失恋と医療器具店での「異常な」経験、という位置づけだろう。この「異常な」経験で、強烈な光が飛来し一時的に視力を失うのは、新約聖書のパウロの回心体験と同じ。もっとも、「わたし」はこのあとロード・アイランドで若い女の子を追いかけ回すのだから、宗教的に真正な回心を遂げたわけでもない。ただこの世界で生きていていいという感覚をつかんだ、というほどのことであろうか。

 

(9)『テディ』“Teddy”1953年

 グラス家という名称は出てこないが、主人公のテディ(10才)は明らかに天才少年・シーモアと同じキャラクターだ。親はNYのラジオ番組の声優。テディが天才だと有名になり、イギリスの大学での討論会に参加した帰りの客船での出来事。テディは船中で話しかけてきたボブ・ニコルソンという青年学者との対話で次のように語る。「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」「この道や行く人なしに秋の暮」(これらは芭蕉の句で、生死は相対的なもので、世界は無常だ、とテディは言おうとしていると思われる)「感情的ということをどうして人はそんなに大事なことだと思うのか」「ぼくは(前世で)霊的にかなり進んだ人間だった」「すべてが神だと知って、髪の毛が逆立ったりしたのは六つのとき」「ときどき有限界から抜けだすことができたのは四つのとき」「有限界から抜け出すときには…真っ先に脱却しなきゃならないのが論理なんだ」「死んだら身体から飛び出せばいい、それだけのことだよ」テディは自分の死をほのめかす。そして、予告通りにテディは、水のないカラのプールに落下して死んだ。:西洋の文化・文明とは異なる東洋思想(仏教やヴェーダンタ哲学など)が注目された時期の作品である。サリンジャーは自分なりに研究したインド・輪廻思想をテディの口を借りて語っていると言える。テディ=シーモアだとすれば、『ナイン・ストーリーズ』第1話『バナナフィッシュ…』でシーモアが自殺した理由のヒントがここにある。つまりこの人生は仮の人生であり、死は次の人生への移行に過ぎないのであるから、テディは自分の死を従容として受け入れる。シーモアも従容として死を選んだ。そう解釈できる。もちろんそれは周囲の人間にとって容易に受け入れられることではない。テディの妹は叫び、父母は嘆くだろう。シーモアの妻ミュリエルは衝撃を受け、グラス家の弟妹たちは「なぜ…?」と問わずにいられないだろう。なおサリンジャー自身は90才以上の長寿だった。若い頃に書いたこれらの作品についてどう考えるか、本人に聞いてみたい気がする。

 

3 再び『ナイン・ストーリーズ』:全体として俯瞰すれば、1話の謎に対する一つのの解釈(謎解き)が9話、途中にあるのも、戦争の傷跡や消費文明の虚栄の中で本当に大切なものは何か、困難な状況にあっても人を愛し許し人生に立ち向かっていく姿勢だ、とする物語群だと言えるかもしれない。

 短編集ですぐ読めるように見え、個々の作品は人気もあるが、全体を通じてどうか? というのはかなりの知見がないと難しいかもしれない。野依昭子はリルケの『オルフェウスのソネット』との関係を考察している。(「J.D.サリンジャーの『九つの物語』の統一性について」神戸薬科大学研究論集10、2009年)

 

(アメリカ文学)ポー、エマソン、ソロー、ストウ、ホーソン、メルヴィル、ホイットマン、M・トゥエイン、オー・ヘンリー、ドライサー、J・ロンドン、エリオット、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、P・バック、フォークナー、スタインベック、カポーティ、H・ミラー、サリンジャー、メイラー、アップダイク、フィリップ・ロス、カーヴァー、T・オブライエンなどなどがある。

*サリンジャーについて補足

 

1 サリンジャーはユダヤ人だった。当時のアメリカではユダヤ人は差別されていた。かつ、サリンジャーは第二次大戦の対独戦で、ユダヤ人虐殺の収容所を見た、と言われる。その衝撃ははかりしれないほどだったろう。

 

2 サリンジャーの父親は富裕な商人だったという。グラス家の父親は俳優(芸人)なので、少し違う。ホールデンの父親は富裕な成功者だ。

 

3 サリンジャーは年若い少女と交際した。『ライ麦畑…』のホールデンが幼い妹に慰められる、『バナナフィッシュ…』のシーモアが海辺で幼い少女を相手にする、など、彼の作品にはしばしば少女が出てくる。もっとも、サリンジャーが交際した少女は幼い子どもではなく、十代後半以降だ。作品に出てくるのは、本当に幼い子どもだ。サリンジャーは無垢な存在を求めたのか? だが、…

 

4 サリンジャーはヘミングウェイと親交があったが、ヘミングウェイのようなマッチョな暴力好きのことはきらいだったようだ。『ライ麦畑…』で『武器よさらば』への言及が出てくる。

 

5 サリンジャーはNYで暮らし『ライ麦畑…』ほかで人気作家となるが、ニューハンプシャー州の山中に隠遁する。そこでの私生活を暴かれることを望まず、作品に対する各種の注釈などもつけられるのを嫌った、と言われる。つまりこの記事のような、作者自身についてのコメントをつけられるのを嫌がった、ということだ。

 

6 サリンジャーは東洋思想、特にインドのヴェーダンタ哲学などに関心を持った。また日本の俳句などにも思い入れを持っていた。作品に芭蕉の句や輪廻転生思想が出てきたりする。彼は隠遁して超越瞑想(Trans Meditation)でもしていたのだろうか?

 

7 サリンジャーは90年以上長生きして2010年に亡くなる。

 

8 サリンジャーの作品は若者に圧倒的人気を博した。毒舌を吐くホールデン君(『ライ麦畑…』)に、アメリカ社会に違和感を持ち反逆しようとする若者たちは、感情移入しやすかったのか。また反戦作家・サリンジャーという観点からは、朝鮮戦争やベトナム戦争に反対する気運で歓迎されたのか。サリンジャーに傾倒していた読者で奇妙な犯罪に走った人が複数いる。ジョン・レノンを暗殺したマーク・デヴィッド・チャップマンや、レーガン大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーはサリンジャーを読んでいた。(「サリンジャーの不思議な隠遁生活とその終わり」というサイトから。)