James Setouchi

 

シュテファン・ツヴァイク『聖伝』宇和川雄・籠碧 訳 幻戯書房2020年9月

 

1 作者:シュテファン・ツヴァイクStefan Zweig 1881~1942

  1881 年ウィーンのユダヤ系の裕福な家庭に生まれる。ウィーンとベルリンの大学で学んだあと、作家として立つ。大学卒業後、フランス、オランダ、インド、アメリカを巡る。第一次大戦中はロマン・ロランとともに反戦活動を展開し、ヨーロッパの人々の連帯を説く。ヒトラー政権の樹立後、ロンドンに亡命し、さらにアメリカ、ブラジルへと転居。1942年2月逝去。自伝『昨日の世界』、伝記小説『人類の星の時間』『ジョセフ・フーシェ』、心理小説『不安』『チェス奇譚』など。ツヴァイク作品は世界各国で読まれている。(本書カバーの作者紹介などから)

 

2 訳者:宇和川雄は松山市出身、京大で学び関西学院大学准教授。文学博士。籠碧は松山市出身。京大で学び三重大学特任講師。文学博士。(本書の訳者略歴から。2020年現在。)

 

3 『聖伝』Legende”

 ツヴァイクには『聖伝』シリーズと呼ばれるいくつかの作品がある。そのうち4本を本書は訳出している。『第三の鳩の伝説』『永遠の兄の目』『埋められた燭台』『バベルの塔』である。すべて面白い。以下ネタバレあり。

 

(1)『第三の鳩の伝説』1916年:ノアの箱舟の話は有名だが、ノアは水が引いたかどうかを確認するために鳩を飛ばす。第一羽と第二羽は帰ってきたが、第三羽は帰ってこなかった。その後鳩はどうなったのか? 水は引いたが、再び世界は混乱し、今度は「火の洪水」すなわち戦争が地上を覆っている。鳩は平和の場所を求めて今でも飛び続けているのだ…というお話。この着眼は極めて刺激的だ。

 

(2)『永遠の兄の目』1921年:古代インド。勇敢な戦士ヴィラータは王のため兄を殺害、戦闘がいやになり文官(裁判官)になる。だがある受刑者の苦しみを知りヴィラータは自分には人を裁けないと思い、隠遁者となる。が聖者と呼ばれるヴィラータを模倣する者が現われ、自分が他の人に影響を与えずに生きることは不可能だと考え直し、王宮に戻り犬の世話係となる。周囲から蔑まれながら、しかし彼は幸福であった…というお話。他の人に迷惑をかけるまいとして引きこもりになる感受性の強い人の話とも読める。一人で森で暮らす、また犬と遊ぶ生き方を、大乗仏教(宮沢賢治や法然や道元など)やイエス様なら、何と言うだろうか。

 

(3)『埋められた燭台』1936年:5~6世紀、ローマとビザンツ。ユダヤ人たちの大切にする七枝燭台(メノラー。モーゼやソロモンが用いた聖なる燭台)を、ヴァンダル人たちが奪っていった。長老たちとともにベンヤミン少年がその行方を見守る。ユダヤ人の歴史が語り直される。時は流れ東ローマ皇帝ユスティニアヌスがヴァンダル人を倒し燭台をビザンツに運ぶ。ベンヤミンは87才となり皇帝に燭台を返してもらうよう請願に行く。燭台の行方は…というお話。流浪する民というテーマはバルガス=リョサの『密林の語り部』などにもあった。ユダヤ民族の希望である燭台は今もある秘密の場所で掘り出されるのを待っているのだろうか。

 

(4)『バベルの塔』1916年:現代。古代人がバベルの塔を建造しようとした時、神は人々の言語をバラバラにした。幾千年を経て、人々は再び、民族を超えて協力しようとしている、というお話。ツヴァイクはユダヤ民族主義を超える人類主義(国際協調主義)への傾斜があったのか。

 

*ドイツの作家・詩人と言えば、ゲーテ、シラー、グリム、リルケ、トマス=マン、ヘッセ、カフカ、ツヴァイク、ブレヒト、エンデらがいる。最近では多和田葉子がドイツ語で小説を書いている。哲学者・社会科学者ならカント、へ―ゲル、ショーペンハウエル、マルクス、ニーチェ、コーヘン、ヴィンデルバント、マックス=ウェーバー、ハイデッガー、ヤスパース、ハーバーマス、ルーマンなどなど。心理学のフロイトもユングもアドラーもドイツ語圏の人だ。