James Setouchi

 

ドイツ文学 レマルク『西部戦線異状なし』 (ドイツ文学)

 

1 作者:エリヒ・マリア・レマルク(1898~1970) Erich Maria Remarque

 レマルクはドイツ西部のオスナブリュック出身。父親はフランス系製本屋。中学の時学徒出陣で第1次大戦に出征。戦後学生、小学校教師、会社員、ジャーナリストを経て、1929年『西部戦線異状なし』を発表、有名になる。アメリカで映画化された。1939年の『帰り行く道』も戦後の社会的荒廃を糾弾した作品。ナチス政権下禁書リストに入れられ独国籍も剥奪される。スイスを経てアメリカに亡命、アメリカ市民権取得。1946年『凱旋門』も大きな反響を得た。他に『愛するときと死するとき』『黒いオベリスク』『リスボンの夜』など。多くが映画化された。(集英社世界文学全集の解説および新潮文庫巻末の秦豊吉の解説を参考にした。)

 

2 『西部戦線異状なし』(1929年出版)“IM WESTEN NICHTS NEUES”( 新潮文庫、秦豊吉訳)

 

  第1次大戦、ドイツ西部の戦線を舞台にしドイツ軍兵士の目から描く。相手はフランス軍、イギリス軍、最後はアメリカ軍も来る。語り手のパウル・ボイメルは、学校の先生に扇動され志願兵となり、訓練を経て西部の前線に配置された、若い兵士だ。砲弾が炸裂し、銃弾が飛び交い、爆撃機が飛来する。装甲タンク、毒ガス。膠着した戦線。塹壕から塹壕へ、砲弾穴から砲弾穴へ、這いながら移動し、あるときは走る。白兵戦も。仲間が次々と死んでいく。語り手パウル・ボイメルはどうなるのか。それはここでは書かない。司令部の報告は「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」だった(411頁)。

 

 訓練時の上官、ヒムメルストースが理不尽なしごきをする。戦友ケムメリヒは足をなくして死ぬ。新兵がやってくるが右往左往するばかりだ。軍馬の死。毒ガス。新兵の発狂。食糧の不足。近隣の住民も飢えている。俘虜のロシア兵も飢え疫痢にかかり物乞いをする。実家の家族も病み疲弊している。カイゼル(ウィルヘルム2世)が視察に来る。

 

 「そもそも戦争ってものは、どういうわけで起るんだ」「国家というものと故郷というものは、こりゃ同じもんじゃねえ」「フランスの錠前屋や靴屋…だっておれたちと同じように、何が何なんだかさっぱり知りゃしねえんだ。要するに無我夢中で戦争に引っ張り出されたのよ」「そんなら一たい、どうして戦争なんてものがあるんだ」「戦争の裏にゃあ、確かに戦争で得をしようと思っている奴が隠れてるんだ」「だがおれは、戦争なんてものは、一種の熱病だと思うよ」(288~292頁)

 

 斥候(偵察)に出、弾丸飛び交う中で砲弾穴の中に身を縮めていると、フランス兵が落ち込んできた。ナイフで彼を刺した。目の前で彼が死んでいく。死の苦しみにある彼との不思議な共生感覚。相手はジェラール・デュヴァルという名で印刷業者と分かった。妻と娘がいる。ジェラールの死体に向かいパウル・ボイメルは語りかける。

 

 「おい、戦友、僕は決して君を殺そうとは思っていなかったんだ。…今になって初めて僕にはわかった。君だってやっぱり僕と同じような人間であることが。…戦友、どうぞ許してくれ、どうして君は僕の敵になったんだろう」「僕は君の細君に手紙を出してやろう」「おい、戦友、今日は他人の身、明日はわが身だ。けれどももし幸い僕が助かったら、僕はこのわれわれ二人を打ち砕いたものに対して闘おう。…戦友、僕は君に約束する。戦争は二度と再びあってはならない」(305~319頁)

 

 「砲弾と、毒ガスと、タンクの小艦隊が…踏み潰し、噛み破り、殺し尽くすのである。/疫痢と、悪性感冒と、チフスが…絞め殺し、焼き殺し、殺し尽くすのである。/塹壕と、野戦病院と、共同埋葬と、…一切がこれに尽きている。」(395頁)

 

*ドイツの作家・詩人と言えば、ゲーテ、シラー、グリム、リルケ、トマス=マン、ヘッセ、カロッサ、カフカ、レマルク、ブレヒト、エンデらがいる。最近では多和田葉子がドイツ語で小説を書いている。ドイツでは哲学者・社会科学者が有名。(カント、へ―ゲル、ショーペンハウエル、マルクス、ニーチェ、コーヘン、ヴィンデルバント、マックス=ウェーバー、ハイデッガー、ヤスパース、ハーバーマス、ルーマンなどなど。)心理学のフロイトもユングもアドラーもドイツ語圏の人。音楽家は多数いる。森鴎外、北杜夫、柴田翔らはドイツ文学に学んだ。