James Setouchi

 

宇和川 雄『ベンヤミンの歴史哲学―ミクロロギーと普遍史』

              人文書院2023年3月

 

1 著者 宇和川 雄(ゆう)

 1985年松山市出身。京大文学部で美学を、同文学研究科でドイツ文学を学ぶ。京大文学研究科博士後期課程を出た後、博士号取得。関西学院大学准教授。専門はヴァルター・ベンヤミンと近現代ドイツ語圏の文学・思想。論文「文献学と歴史―グリムからベンヤミンへ」「聖槍としての貨幣」など。共訳書にクレマー『メディア・使者・伝達作用』、ツヴァイク『聖伝』。(本書の著者略歴を参照した)

 

2 『ベンヤミンの歴史哲学―ミクロロギーと普遍史』

 ヴァルター・ベンヤミン(1892~1940)に関する研究。ベンヤミンは、ドイツ系ユダヤ人の思想家、批評家で、ナチス・ドイツ勃興期に同時代のドイツの文化思潮と格闘しパリに亡命するがナチスに追われピレネー山中で自死した(コトバンクなどから)。1968年の学生運動の時代に『歴史哲学テーゼ』が再評価されたが、その後批判と再評価がなされている(本書「序章」から)。

 

 本書は、ベンヤミンの歴史哲学の展開をあとづけ、その理解を刷新することを狙いとする。そのためベンヤミンの「ミクロロギー的方法」と彼の求めた<真の普遍史>の理念に注目する(本書「序章」から)。かなりの労作である。

 

3 目次をみると:序章/第一章 形態(ゲシュタルト)と歴史―ベンヤミンのグンドルフ批判/第二章 文献学と歴史―グリムからベンヤミンへ/第3章 寓意(アレゴリー)と歴史―ベンヤミンにおける「救済史」の理念/第4章 原型と歴史―ベンヤミンのクラーゲス理解/第五章 技術と歴史―ルカーチからベンヤミンへ/第六章 言語と歴史―ベンヤミンにおける「普遍史」の理念/終章 一メシアニズムから救済史へ、そして普遍史へ 二 降伏の中に潜む救済を求めてー科学と神学のあいだで/あとがき

 

4 コメント:ベンヤミンは多くの思想家と対決して自己の思想を展開している。著者は、ベンヤミンが格闘した多くの思想家についても研究しつつ、先行研究も押さえた上で、ベンヤミンの思索の展開を追いかけている。大量で高度な内容を含む労作だと感じる。私はこの分野について全くの素人で、ベンヤミンという名前には、少しの知識しかなかった。ゆえにこの本に対して付け加えることはない。十分理解できたわけではないが、勉強になった、分かる範囲では面白かった、ベンヤミンは偉い人だ、というのが斜めに一読しての感想である。

 

 第一章:形態(ゲシュタルト)という概念をゲーテ理解でグンドルフが用いるが、これをベンヤミンは批判し、「歴史の屑」に注目し「歴史の構成」を把握すべきだとする(67頁)。彼は書簡集『ドイツの人々』を言わばノアの「方舟」として残そうとする(74頁)。

 第二章ヤーコプ・グリムの文献学は、「些末なもの」に注目するとして同時代には貶められた(98頁)が、逆にそれ故にこそヴィルヘルム・シェーラーが評価した(99頁)。但しシェーラー学派は「普遍史」の年表にドイツ文学を位置づけた(105頁)が、ベンヤミンは、そこからこぼれ落ちる「灰」を蒐集・分析しようとした(112頁)。

→JS記す(以下同様):日本では柳田国男が文字記録ではない口承文芸の収集をした。

 第三章ドイツバロック文学の例えばグリューフスの哀悼劇は、アレゴリー(寓意)に満ちている。ベンヤミンは、バロック文学とアレゴリーを再評価した(125頁)。17世紀バロック文学は三十年戦争を背景に受難史を描く(141頁)が、それは実は救済史のアレゴリーだ、とベンヤミンは見た(146頁)。

→JS:大本教などでも「三千世界一度に開く梅の花」として、苦しみ抜いた人々が救済される時が来る、という救済史の展望を示す。ある宗派の思想では、神国日本で起きることは世界で起きることの予兆(例えば、原爆の後の平和日本は、最終世界核戦争の後の完全な平和世界の実現の予兆、など)とする。終末論的ユートピア思想でいいのか、という問いは当然残るが・・

 

 第四章クラーゲスは、ロマン主義の詩人を愛し、近代を「精神」の支配によって「魂」の失われた時代だとみなし、先史時代の人間の持っていた「イメージの現実性」の学説を唱える(174頁)。ベンヤミンはこれに共感しつつ、写真において犯罪の証拠を読解するように、「真の歴史家」は過去のテクストのネガを未来の現像液を使って現像し未解読の「秘密の意味」を読み解くべきだ、とする(197頁)。

 

 第五章ファシズムが「血と土」のスローガンのもとで技術を利用していることを批判し、<技術を使って遊ぶ>必要を提唱する(223頁)。未来派の詩人マリネッティはファシズムの戦争を礼賛した(229頁)が、ベンヤミンは未来派は芸術至上主義に陥りファシズムの倒錯した美学と同じだと批判する(229頁)。ベンヤミンは「技術万能主義」また「技術の進歩」に幻惑された進歩思想をも批判する(234頁)。

→JS:技術の暴走が大量殺害や原発事故を生んでいる。この問いは当然問われるべき問いだ。

 

 第六章:古代以来のキリスト教的普遍史を批判して近代的普遍史が登場するが、ベンヤミンはこれを批判する(251頁)。いわゆる普遍史は、進歩史観と結びつき、「勝者」の側からの歴史となる。そうではなく歴史を「敗者」の側から見るべきだ(253頁)。またマイヤーの様々な民族の歴史の組み合わせとして普遍史を考えたが、単なる思考の怠惰だ(255頁)。「普遍史の真の概念」は「メシア的」なものである(256頁)。ロマン主義のシュレーゲルは「普遍詩」を唱えたがベンヤミンは「長編小説」を考えた(265頁)。メシア的な世界をイメージした先人にマルクスがある(267頁)。「普遍史」は「抑圧された者たち」「名もなき者たち」に対する「哀悼的想起」を行うべきだ(270頁)。均質で空虚な時間の足し算をやめ(273頁)、歴史の隠された細部を見つめつつも、真の普遍史をめざすべきだ(275頁)。このようにベンヤミンは言う。→JS:勝者の歴史ではなく、敗者の側から歴史を見るべきだというのは賛成。各国史を足し算すれば世界史になるのか? という問いは、西洋史の弓削達先生が言っておられた。

 

 終章:ベンヤミンは些末なもの・断片に注目し、人類の受難史を哀悼し、救済の可能性を模索し、最後には「普遍史のメシア的な理念」へとたどりつく(300頁)。さらに、歴史は、ただ過去を記録する「科学」ではなく、過去において未完にとどまっていた「幸福」を完結させる「神学」である、とベンヤミンは考えた(303頁)。過去の人々がかなえることの出来なかった悲願を受け継ぎそれを叶えるのは、同じ苦境に立つ「われわれ」だ。「われわれ」には、これまで実現されなかった救済を成就する「メシア的な力」が与えられている(307頁)。「われわれ」とは、苦境のなかで過去を振り返るすべての人々だ(309頁)

→JS:ここは著者はかなり力を入れて書いているようだ。過去にうめき声を上げて死んでいった人々はどのように救済されるのか? この問いは極めて重要だ。それは、今うめき声を上げて死のうとする人々を死なせず幸福にすることによってわずかでも可能となる。この見通しは、一つの答えではある。だが、私にはまだわからない。旧約「ヨブ記」では、神はヨブに試練を与え、最後は多くの子や家畜を与える。が、その過程で無残にも死んでいった子ら(や家畜)は、どのようにして救われるのか? この問いが残る。今日本や世界を平和にした。そうすれば過去において平和を願いながら戦争で死んだ人の願いは、わずかでも叶えられる。が、それでもなお、死んだ人は帰ってこない。では、どうすれば? キリスト(であればキリスト)がこの世に再臨して過去の人々をも地上に復活させ全ての人の涙を拭うか、もしくは死後の世界で全ての人の涙を拭うか、ではなかろうか? 私(JS)には答えがない。

 

 この本は、学者(プロ)の書く専門書で、素人の私には十分読めているとは思えない。が、著者は、序章や最章で筆を惜しまずまとめを作る。本文中でも「では、これはどういうことか」などと明確な問題提起を明記し、論証し、さらにまとめる、という作業を丁寧にしてくれている。おかげで素人の私にもわかりやすい叙述になっていた。著者の親切・誠実な人柄が偲ばれる。これからさらに成長・活躍する研究者だ。

 

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