James Setouchi
シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』
Charlotte Brontё“Jane Eyre”
1 シャーロット・ブロンテ(1816~1855)イギリス
ブロンテ姉妹の一人。エミリー(『嵐ケ丘』)、アン(『アグネス・グレイ』)の姉。英国イングランド北部ウエストヨークシャー州ハワースの牧師館で育つ。父は英国聖公会の牧師。母は早く死に、叔母が家事を見た。叔母はメソジストで厳格だった。周囲はムーアといい高原のような地形で沼沢もある。姉妹たちと共に、聖公会の僧侶の娘の入る寄宿舎付きの学校に学ぶが、姉二人がそこで病死、シャーロットとエミリーは学校をやめて帰宅。家で勉強する。15歳の時女学校へ。19歳でそこの教師になる。21歳でまた帰宅して生活。住込み家庭教師として家計を支えた。26歳でベルギーのブリュッセルに留学、そこで教師もする。30歳の時妹たちの詩と併せ詩集を自費出版、出版社とつながりができる。エミリーの『嵐が丘』、アンの『アグネス・グレイ』とともにシャーロットの『ジェイン・エア』は世界文学史上の傑作となった。妹二人は次々と病死、シャーロットは38歳の時結婚するが、39歳で亡くなった。(集英社世界文学全集『ジェイン・エア』の吉田健一の解説などを参考にした。)
2 『ジェイン・エア』1847年出版。作者31歳の時の作品。
面白いメロドラマ(ラブ・ストーリー)でもあるが、それだけですませたくないという気持ちがある。
主人公ジェイン・エアは幼くして両親と死別、伯父(リード治安判事)の家に引き取られるが、伯父が死に、伯母およびその子供たちにいじめられ、不遇な子供時代を過ごす。
反抗もするジェインに手を焼いた伯母は、寄宿舎付きの女学校のジェインを預ける。そこは酷薄な経営者ブロックルハーストに支配されている学校だった。やさしい校長との心の交流もあったが、親友のヘレン(心清いキリスト者)が病死し、他にも多くの生徒が伝染病で死亡する。この事件を機に学校は改善されジェインはそこの教師になる。
ここまではいわば身寄りのない少女が理不尽な仕打ちを受ける話で、ここから逆転が始まると思うと、よくある「まま子いじめ」話のようでもある。
ジェインは母校の教師に飽き足りず、自ら家庭教師の職を求め新聞に求職広告を出す。たまたま申し出があったミルコット州ソーンフィールドのその屋敷に、ジェインは家庭教師として住み込むことになる。そこで優しいフェアファックス夫人やかわいいアデラ、奇妙な主人ロチェスターに出会う。ジェインはそこの暮らしに喜びを見出すが、そこの屋敷には不思議な謎があって…
ここから先はネタバレになるので書かない。ここから先は面白くで寝食を忘れるほど没入できるはずだ。
途中で一人ぼっちのジェインがとぼとぼと歩き飢え死にしそうになる所では、ディケンズのデヴィッド・コパフィールドがとぼとぼと歩くシーンを連想した。勝小吉(海舟の父)の自伝にも少年期の家出でとぼとぼと歩くシーンがある。人はどこかではたった一人で歩かないといけないのだろうか? ジェインは孤児で初めから一人ぼ
っちだった。
それでも助けてくれる人もあった。ジェインは家庭的な居場所を求めていたのだ。居場所。それは大事だ。
ジェインが出会ったシン・ジン(セイント・ジョン・エア・リバース)との対話も面白い。聖ヨハネの名(セイント・ジョン。当時はシン・ジンと発音)を持つこの人物は、熱狂的なキリスト者で、身を粉にして貧しい人々のために尽くしている。インドに伝道に行き生涯を捧げることを目指していて、それを助ける妻になれ、これは神の意志だ、とジェインに迫る。
ジェインはこれを断る。若い女性の目で見たとき、結婚相手にどんな相手がふさわしいかを考える一つの参考になるかもしれない。ジェインは、シン・ジンは立派な人だが、女性を人間として愛することはできず、伝道のための道具としてしか見ていない、と理解した。男女を問わず、人間にとって最も大切なものは何か? がここでも問われている。
この作品には多様なキリスト者が出てくる。作者はさすが牧師の娘である。学校経営者ブロックルハーストは、キリスト教の名のもとに女生徒たちを厳しく縛り付け「いい子にしないと地獄に落ちるぞ」と脅す。親友ヘレンは病死するが心清らかな信仰に生きた。シン・ジンは熱狂的で高潔だが何かが違う。この観点からも考えてみることができる。
注意点もある。ロチェスターの妻は精神に障がいがある。その描かれ方は、今日の観点からすると差別と偏見に満ちている。作者はこの点の見方は未熟だったようだ。(→ジーン・リース『サルガッソーの広い海』へ。)また、語りの時点は「十年後」になっているが、十年後の現在において語り手「私」はなぜこの語りを行う必然性があったのか? はわからない。私の読み方が足りないのかもしれないが。自立して働く女性の先駆として共感する向きもあるようだが、ジェインは専業主婦になるのであり、作者自身が基本的に故郷と家にほとんどいた人だ。
『嵐ケ丘』と比較して、『嵐ケ丘』は憎しみを主題として破滅に向かう作品だが、『ジェイン・エア』は建設に向かう作品だ、前者を書いたエミリーは天才だが、後者を書いたシャーロットは秀才で、自分の知恵と努力で道を切り開こうとするので、現代のわれわれに近しい、などとコメントする人もある。時代と舞台はおそらく作者自身の生活した19世紀イギリスの田舎に近いところ。周囲の自然は『嵐ケ丘』では荒涼たる荒地という印象だったが、『ジェイン・エア』では美しく感じられるのはなぜだろうか。
19世紀は地方から都市に人間が流入した時代だ。社会・経済的な理由が主だが、世界の作家も都市で有名になろうとした。が、ブロンテ姉妹はロンドンに出ず、ほとんどの生涯を故郷と家で過ごした。エミリーに至ってはひきこもりの元祖に近い。暮らせる家があったからか。現代の若者(地方と家が大好き)と考え合わせることもできる。