James Setouchi

 

パウロ・コエーリョ『第五の山』角川文庫 (ブラジル)

 

1 パウロ・コエーリョPaulo Coelho

 ブラジルの作家。1947年リオデジャネイロ生まれ。世界各地を放浪、一時流行歌の作詞家となる。1987年『星の巡礼』(スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラに至る巡礼の道を歩いた体験による)、1988年『アルケミスト』、1990年『ブリーダ』、1992年『ヴァルキリーズ』、1996年『第五の山』などを発表。ブラジル国内、欧米諸国に多数の読者がいる。敬虔なカトリック信者で、神秘主義的な教団RAM教団にも属している。(文庫巻末の訳者によるあとがきから)

 

2 『第五の山』“O MONTE CINCO”

 1996年ポルトガル語で書き、スペイン語、英語、フランス語、イタリア語などに翻訳された。主人公は旧約聖書の預言者エリヤで、エリヤがイスラエルでアハブ王を諫めるなどの活躍をする、その前史を扱っている。結構面白い。

 

 (注:預言者エリヤ:旧約聖書でも最も有名な預言者の一人。紀元前9世紀。イスラエルの南北分裂後の、北のイスラエル王国のアハブ王、アハジヤ王の時代に活躍した預言者。列王紀上17~19章、列王紀下1章に出てくる。エリヤとは、ヤハウェは我が神なり、という意味。イスラム教ではイルヤースと呼ぶ。アハブ王がツロ(フェニキヤつまり今のレバノンのあたりの通商都市)の王女イゼベルと結婚し、イゼベルの影響でイスラエルの神ヤハウェを捨て異教の神バアルを礼拝しヤハウェの預言者たちを多数殺したとき、エリヤがこれを批判しヤハウェ信仰に戻るよう主張。カルメル山上でバアルの預言者400人と対決し、エリヤが勝利した。イゼベルに脅迫され神の山ホレブに逃げた。後継者エリシャに油を注いだ。新約聖書のイエスはエリヤやモーゼと山上で語りあった。またエリヤの再来がバプテスマのヨハネあるいはイエス自身ではないかと人びとは噂した。旧約聖書で最も重要な預言者の一人。(日本基督教団『聖書事典』等から。)これらはキリスト教圏の人には常識である。)

 

 『第五の山』:旧約聖書の記事をヒントにした創作。若きエリヤは神の声を聞き、アハブ王を諫める。王妃イゼベルたちから国家の反逆者として追われ、北のフェニキア人のいる町・アクバル(ザレパテ)に逃亡、やもめ(寡婦)に養われる。アクバルでは、第五の山にいるという神々が信仰され、名門の出身である知事祭司長軍の司令官が支配権を握っていた。アクバルの人びとは多神教徒であり、富(金銭)に価値を置く人びとだった。そこにアッシリアの大軍が迫る。戦争か、和平か。この災厄をもたらしたのは異邦人エリヤではないか。人びとは混乱し、選択を迫られる。それぞれの思惑を超えてついにアッシリアの大軍が乱入し、アクバルの町は破壊された。人びとは殺され、あるいは逃亡した。エリヤは愛する人を奪われ、悲嘆の中で守護天使および主の天使と対話する。私は神の命令に従っただけなのに、なぜこの仕打ちがあるのか。神はなぜアクバルの人びとをこのような目に遭わせるのか、と。…(以下ネタバレ)エリヤは、ヤコブが神の使いと争った記述を思い出す。

 

 (注:ヤコブ:アブラハムの子であるイサクの子。エサウの弟。父親の祝福を勝ち得、神の使いと相撲を取り勝利し、「イスラエル」の名を貰う。その子ヨセフがエジプトで出世しヤコブはエジプトに移住。創世記に載っている。別名ジェイコブ、ジャック、ジェームズ、ジャイメ、ハイメ、シェイマス、シーマス、イアーゴ、ディエゴなど。『聖書事典』などから。)

 

 エリヤは、神が滅ぼした町・アクバルにとどまり、愛した女性のためにアクバルの町の再建に尽力する。これはエリヤにとって神への挑戦でもあった。絶望していたアクバルの人びとの中から、一人、また一人と賛同者が増える。彼らは廃墟の中から立ち上がり、自らの人生を選び直す。やがて美しい町・アクバルは再建された。エリヤは知った。全ては神の計画だったと。アクバルの再建を成し遂げたエリヤは、次にイスラエルに行き、イゼベルと対決しヤハウェ信仰をイスラエルに取り戻す戦いに臨むことになる。

 

 この小説は、決して強くはないエリヤ、迷いためらい神への不信に陥りそうになる若きエリヤを描いている。それでもエリヤは神との対話をやめない。我々の人生も、このようなものであるのかもしれない。