James Setouchi
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『ブロディーの報告書』 鼓直・訳 岩波文庫
Jorge Luis Borges“EL INFORME DE BRODIE” (アルゼンチン文学)
1 『ブロディーの報告書』EL INFORME DE BRODIE
短編集。巻末の解説によれば、主として1969年から1970年にかけて執筆・発表された作品。ボルヘスは70歳になっている。多くはアルゼンチンのブエノスアイレスの場末や郊外の農場が舞台で、無法者やガウチョ(南米のカウボーイ)が出てくる。暴力的でマッチョな世界だ。ただし語り手の都会の作家もしくは学者のような存在で、「わたし」が幼少の頃から見聞してきた、昔の話だが、というスタイルが多い。歴史上の政治的・軍事的闘争も引きずっており、アルゼンチンのある一面を垣間見させてくれる。ボルヘスは、南米アルゼンチンに暮らしつつ、その守備範囲は、現代から歴史を遡り古代や神話時代、またヨーロッパからオリエントへと、時空を超えた不思議な(「迷宮」に比せられる)作品群を書いたが、今や老年のボルヘスは、ひと昔前のアルゼンチンという時空にこだわっているように見える。ここに採録された話は、言わば土地の古老の昔語りの聞き書きのようなものか。但し昔のならず者たちを肯定してはいない。彼らがいなくなり何とか平和な秩序を維持している現在の立場から書いている。とりあえず平穏だ、だがその背後にはこれだけの暴力がある、ということか。いくつか紹介する。
『卑劣な男』は書店の主人の若い頃の話だ。若い頃、フェラリという地域の無法者の親分に気になぜか気に入られていた。自分もフェラリに憧れ、仕事の手伝いをしていた。だが、あるとき強盗に行くことになり・・・(以下略)
『ロセンド・ファレスの物語』も、ロセンドの若い頃の話。若気の至りでナイフを使い人を殺してしまうが、そのことで有力政治家に見込まれ、暴力的な仕事を請け負うことに。親友は女性をめぐる決闘で死んだ。ロセンドも知らない男たちにからまれ決闘を迫られるが・・・(以下略)
『めぐりあい』も決闘の話。但しこれは、歳月を経てナイフ同士がライバルと再会し決闘する。人間はナイフの魔力に呪われたように使役され命を落とす、という趣向だ。日本の刀剣の呪いのような話だ。
『マルコ福音書』は、別の意味で恐ろしい。医学生バルサタルは田舎の農場でグトレ一家と親しくなる。水害で孤立する農場。バルタサルは彼らにマルコ福音書を読んでやる。そのうち彼らの態度が妙なことにバルタサルは気付く・・・(以下略)
短編集の題名にもなっている『ブロディーの報告書』は、スコットランド人宣教師デイビッド・ブロディーの書いた、ヤフー族についての報告書、という体裁になっている。(ヤフー族とは、『ガリバー旅行記』の馬の国に出てくる、野蛮な人間たち。)ボルヘスはなぜこれを書いたのか? 人間社会に対する風刺であろうか?
2 ホルヘ・ルイス・ボルヘスJorge Luis Borges1899~1986
アルゼンチン生れ。詩人、作家。日本で言えば夏目漱石クラスの、中南米では最も有名な人。1914年からヨーロッパで過ごす。1921年帰国。『論議』『汚辱の世界史』『永遠の歴史』などで有名になっていく。市立図書館に勤務、『伝奇集』を出すも戦後ペロン政権により左遷され退職。のち『アレフ』『続・審問』を出す。ペロンが失脚すると国立国会図書館長に任命される。国民文学賞受賞、ブエノスアイレス大学文学部教授となる。1961年ベケットとともに国際出版社賞受賞。作品が海外でも翻訳され始める。失明したので詩集『他者、自身』から『陰謀者たち』までは口述筆記で創作。(集英社世界文学事典ほかを参照した。)
(中南米の文学)
フェンテス『アルテミオ・クルスの死』、ファン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』(メキシコ)、カブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』『族長の秋』(コロンビア、カリブ海)、バルガス=リョサ『緑の家』『密林の語り部』『ラ・カテドラルでの対話』(ペルー)、アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』(キューバ、ベネズエラ)、イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』(チリ)、コルタサル『追い求める男』(アルゼンチン)、ボルヘス『伝奇集』『アレフ』『七つの夜』(アルゼンチン)など。