James Setouchi 

 

オスカー・ワイルド『サロメ』(新潮文庫なら福田恒存(つねあり)訳)

Oscar Wilde “Salome”

 

1 オスカー・ワイルド(1854~1900)

 イギリスの詩人・小説家・劇作家。代表作『幸福な王子』『パドゥア大公妃』『ドリアン・グレイの画像』『サロメ』『ウィンダミア夫人の扇』など。

 アイルランドのダブリンに生まれた。ダブリンのトリニティー・カレッジとオックスフォードのモードリン学寮で学ぶ。「芸術のための芸術」崇拝(すうはい)者を気取り、「唯美(ゆいび)主義の使徒」として文筆生活を行う。奇抜な服装で町を闊歩(かっぽ)したので有名。社交界の人気者、世紀末文学の寵児(ちょうじ)となった。アルフレッド・ダグラス卿との交友が原因で破滅した。(集英社世界文学事典による。)

 

2 『サロメ』

 戯曲(ぎきょく)。フランス語で書かれパリで発表されたが、各国語に翻訳(ほんやく)され、演劇やオペラになった。(リヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」の原典。)日本では森鴎外はじめ多くの人が翻訳・紹介し、演劇や映画にもなっている。

 

*内容(大幅に略。各自読まれたし。)

 舞台は古代イスラエル。エロド王の義理の娘サロメは踊りの褒美(ほうび)として預言者ヨカナーンの首を望み、手に入れる。エロド王はサロメを殺害する。

 

*コメント

 この話は聖書を下敷きにしている。聖書マルコ伝・マタイ伝に、ヘロデ・アンティパス(ヘロデ大王の子)とその妻ヘロデアとヘロデアの娘のエピソードが出てくる。

 

 聖書によれば、ヘロデ・アンティパスは兄弟ヘロデ・フィリポ1世の妻ヘロデアをめとったことで、洗礼者ヨハネから批判を受ける。あるときヘロデアの娘(歴史家ヨゼフスによればサロメ。ヘロデ・アンティパスにとっては義理の娘)が踊りを踊り、喜んだヘロデ・アンティパスは「願うものは何でも与えよう」と約束した。ヘロデアの娘(サロメ)は、母親ヘロデアにそそのかされて「洗礼者ヨハネの首を」と望む。こうして洗礼者ヨハネは殺害された。

 

 この聖書の話は、西洋人なら誰でも知っている。この話をもとに様々なヘロデとサロメとヨハネをめぐる話や絵画などが創作されてきた。オスカー・ワイルドの『サロメ』はそのバリエーションの一つだとも言える。

 

 聖書では母親ヘロデアが娘をそそのかすが、ワイルドでは母親エロディアスの制止にもかかわらず娘サロメがみずから預言者ヨカナーンの首を望む。サロメを止めることは母親にも王にもできない。サロメは情熱的で欲望の強い女だ。求めるものを手に入れないではおかない。この場合、世俗権力に屈せず王たちを批判し続ける預言者ヨカナーンに一目ぼれをしてしまい、暴走してしまった、ということだろうか。

 

 ワイルドのこの戯曲はきわめて反道徳的であり、おぞましい。ワイルドはあえてこの反道徳的な作品を提示した。ヴィクトリア朝の欺瞞(ぎまん)的な社会に挑戦してみせたのだという見方もある。

 

(イギリス文学)

 古くは『アーサー王物語』やチョーサー『カンタベリー物語』などもあり、世界史で学習する。ウィリアム・シェイクスピア(1600年頃)は『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『リヤ王』『マクベス』『ベニスの商人』『オセロ』『リチャード三世』『アントニーとクレオパトラ』などのほか『真夏の夜の夢』『お気に召すまま』『じゃじゃ馬ならし』『あらし』などもある。18世紀にはスウィフト『ガリバー旅行記』、デフォー『ロビンソン・クルーソー』、19世紀にはワーズワース、コールリッジ、バイロンらロマン派詩人、E・ブロンテ『嵐が丘』、C・ブロンテ『ジェーン・エア』、ディケンズ『デビッド・コパフィールド』『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』、スティーブンソン『宝島』、オスカー・ワイルド『サロメ』『ドリアン・グレイの肖像』、コナン・ドイル(医者でもある)『シャーロック・ホームズの冒険』、ウェルズ『タイムマシン』、20世紀にはクローニン(医者でもある)『人生の途上にて』、モーム『人間の絆』、ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』、ジョイス『ユリシーズ』、現代ではローリング『ハリー・ポッター』、カズオ・イシグロ『私を離さないで』などなど。

 イギリス文学に学んだ日本人は、北村透谷・坪内逍遥・夏目漱石をはじめとして、多数。商売の道具としての英語学習にとどまるのか、それとも英米文学の魂の深いところまで学ぶのか、の決着はいまだついていない。