James Setouchi
ヴァージニア・ウルフ『船出』川西進 訳、岩波文庫 赤 291-2,3
Virginia Woolf 〝THE VOYAGE OUT〟
1 ヴァージニア・ウルフ 1882~1941
ロンドン生まれ。家族は知的エリートだが複雑で兄弟姉妹が8人いた。文芸評論や翻訳を行う。ケインズを含むケンブリッジの若手文化人と交遊。レナード・ウルフと結婚。病と戦いながら執筆活動。第2次大戦中 1941年没。代表作『船出』『夜と昼』『ジェイコブの部屋』『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『オーランドー』『自分ひとりの部屋』『波』『歳月』『三ギニー』『幕間』など。ヴィクトリア朝以前の英国文学の作風とは異なる新しい作風、と言われる。しばしばジョイスの『ユリシーズ』同様「意識の流れ文学」の中に位置づけられる。
2 『船出』1913 年(作者 31 歳)最終稿完成、1915 年(作者 33 歳)出版
(ネタバレあり)
ウルフの長編小説第一作。当初『メリンブロウジア(Melymbrosia)』という題名で書き始められ、幾度となく修正が加えられ、数年の歳月を経てやっと出版。この間にウルフは肉親の死、結婚(相手はユダヤ人の社会主義者)、自殺未遂などを経験。(岩波文庫解説の木下未果子や集英社世界文学事典の出淵敬子の記事による。)
主人公レイチェル・ヴィレンスは24歳未婚。特技はピアノ。幼くして母を亡くし伯母たちに育てられる。多感な女性。父親のウィロビー・ヴィレンスは船舶会社経営の実業家。大英帝国の繁栄期を反映した設定だ。
伯母はヘレン・アンブローズ。夫のリドリー・アンブローズ氏はアリストテレスの註解書も出した古典ギリシア語の文献学者。
彼らはロンドンから「船出」し、大西洋を渡って南米のサンタ・マリーナ(架空の地)へ向かう。同行のペパー氏はリドリー・アンブローズ氏とケンブリッジ以来の友人で学者。
また、乗客にダロウェイ夫妻がいる。ダロウェイ氏は国会議員。夫人も貴族の血筋で、ふたりは上流階級の住人だ。(ウルフののちの作品『ダロウェイ夫人』につながる。)船中での彼らの会話は、大英帝国の繁栄に裏打ちされ、上品で知的で、政治や実業の世界と学問や芸実の世界の違いに言及し、また当時議論されていた女性参政権(女性の社会進出)に触れたりするが、どこかかみ合わず欺瞞的でもある。
船は南米のサンタ・マリーナに着く。そこからレイチェルたちの滞在するヴィラへ。ヴィラの近くにイギリス人の宿泊するホテルがあった。ホテルの宿泊客たちとの出会い。宿泊客には若者もいる。ハースト(スン・ジョン)は全英屈指の秀才を自認する変わり者で、学者になるか法曹になるかを迷っている。その友人ヒューウェット(テレンス)。スーザンはアーサーと婚約。エヴリンは感情が不安定で複数の男性と結婚の約束をする。宿泊客には老夫婦たちもいる。彼らはロンドンを遠く離れた南米のホテルで交流する。
滞在客のフラッシング夫妻の提案で、大河を遡り密林の奥地へと行ってみることにした。2回目の「船出」。
レイチェルはテレンスと恋に落ち、結婚の約束をする。それは異性を知らずに育ったレイチェルにとって感情と精神の初めての「船出」でもある。
奥地への旅から戻り、一行はヴィラとホテルへ。ロンドンでの結婚生活を夢想するレイチェルとテレンス。
だが、(ネタバレです!)レイチェルは突然熱病に襲われ急死。ホテルを襲う南米の嵐。残された人々の反応。
こうして物語は突然終わる。
各種解説によると、ウルフの処女作で読みにくいが、後の文学史上に残るウルフらしさの萌芽が見られるという。私自身は、⑴前半のダロウェイ夫妻との会話は面白い。⑵途中のホテルの人々との交流は長くて退屈だった。⑶ラストでの急転直下のレイチェルの死と、それに対する人々の反応が、強く印象に残った。婚約者テレンスと伯母のヘレンの嘆き。高齢のソールズベリー夫人はレイチェルを思い、「もし自分がレイチェルと同じ年齢で死んでいたら」と人生を回想し、全体として自分の長かった人生を肯定する(下 p.296)。エヴリンは求婚されるが結婚しないことを選択し帰国(下 p.309 これも一つの「船出」であろうか。)ハースト(スン・ジョン)は「すべきことが何も無かった」「何もできなくて」と絶句(下 p.319)。レイチェルの死は彼らを少しずつ変えたと言える。レイチェルの死と周囲の動揺の描写は、ウルフ自身が幼いときから愛する人たちとの死別の経験があって書き得たものと思う。
(イギリス文学)古くは『アーサー王物語』やチョーサー『カンタベリー物語』など。ウィリアム・シェイクスピア(1600 年頃)『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『リヤ王』『マクベス』『ベニスの商人』『オセロ』『リチャード三世』『アントニーとクレオパトラ』また『真夏の夜の夢』『お気に召すまま』『じゃじゃ馬ならし』『あらし』など。18 世紀スウィフト『ガリバー旅行記』、デフォー『ロビンソン・クルーソー』、19 世紀ワーズワース、コールリッジ、バイロンらロマン派詩人、E・ブロンテ『嵐が丘』、C・ブロンテ『ジェー
ン・エア』、ディケンズ『デビッド・コパフィールド』『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』、スティーブンソン『宝島』、オスカー・ワイルド『サロメ』『ドリアン・グレイの肖像』、コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』、ウェルズ『タイムマシン』、20 世紀クローニン『人生の途上にて』、モーム『人間の絆』、ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』、ジョイス『ユリシーズ』、ウルフ『灯台へ』、ミルン『くまのプーさん』、オーウェル『1984』、ボンド『くまのパディントン』、クリスティ『オリエント急行の殺人』、現代ではJKローリング『ハリー・ポッター』、カズオ・イシグロ『日の名残り』『私を離さないで』などなど。イギリス文学に学んだ日本人は、北村透谷・坪内逍遥・上田敏・夏目漱石・芥川龍之介・上林暁・中野好夫・福田恒存・荒正人・江藤淳・丸谷才一・小田島雄志をはじめとして、多数。