James Setouchi 2024.4.10
カズオ・イシグロ『クララとお日さま』土屋政雄訳、ハヤカワ文庫
Kazuo Ishiguro 〝Klara And The Sun〟
1 カズオ・イシグロ 1954~
日本人石黒一雄として長崎に生まれた。5歳の時父の仕事で渡英。ケント大学、イースト・アングリア大学大学院で英文学、創作を学ぶ。1982年『遠い山なみの光』で王立文学協会賞。1983年イギリス国籍取得。1986年の『浮世の画家』でウィットブレッド賞、1989年『日の名残り』でブッカー賞。1995年『充たされざる者』でシェルテンハム賞、2000年『わたしたちが孤児だったころ』、2005年『私を離さないで』、2015年『忘れられた巨人』。2017年ノーベル文学賞受賞。2021年『クララとお日さま』(ハヤカワ文庫表紙の著者紹介、集英社世界文学事典などを参照した。)
2 『クララとお日さま』〝Klara And The Sun 〟読み取りの補助のための登場人物確認(ややネタバレあり)
クララ:AF。人工知能搭載の人型ロボット。B2型でやや古い型だが、抜群の学習能力を有する。ジョジーという少
女の家に引き取られ、家族の相手をする。本作の語り手。
ローザ:AF。クララと同じ店に売られている人型ロボット。
店長さん:クララを販売する店の店長さん。
ジョジー:クララを購入する少女。体調が悪い。
母親(ミセス・アーサー。クリシー):ジョジーの母親。娘の病が重いので苦しんでいる。
サリー:ジョジーの姉。「向上処置」の副作用で死亡した。
父親(ポール):ジョジーの父親。高度な技術者だが今は町の外に出てコミュニティーに暮らしている。
メラニアスさん:ジョジーの家のお手伝いさん。恐らくは移民。
リック:ジョジーの隣に住む少年。「向上処置」を受けていない。
リックの母(ヘレン):リックの母親。リックに「向上処置」を受けさせない選択をしたが、リックの才能を信じ、
大学に行かせようとしている。貧しい。
ガバルディさん:画家。ジョジーの肖像画を描く。
バンス:ヘレンの昔の恋人。理系の研究者で、大学の重要人物。
3 コメント(ネタバレあり)
AIを搭載した人型ロボットのクララの目を通して語られる。イギリスではないどこか。時代設定は科学技術の進歩した近未来。しかし貧富の差があり、町から出て独特のコミュニティを形成して暮らす人もある。ファシストもいる。工事に伴う大気汚染もある。子どもたちの能力を開発する「向上処置」があり、それには激甚な副作用(生命の危険)もあるが、これを受けていない者は差別される。これらの社会問題はほのめかされるが深くは追究されない。人型ロボットクララは優秀だがまだ学習を始めたばかりで、しかも日頃は主に子どもの相手だから、まだ複雑な社会問題は知らされていないのかもしれない。
問題の中心は、「向上処置」を受けたために死の病に冒されている少女・ジョジー(ゆえにジョジーには現代の文明社会の問題が集約している)と、それを取り巻く人々の愛と葛藤にある。中学生が読めばジョジーとリックの関係に注目するだろう。私は母親の悲しみが印象に残った。以下ネタバレする。ジョジーは死ぬ可能性が高い。クララはジョジーの寂しさを紛らわせる相手としてのみこの家に来たのではなかった。ジョジーの死後ジョジーの全ての情報を集めジョジーの身がわりとして、いやジョジーそのものとして母親の心を慰めるためにこの家に来たのだ。クララはすべてを理解し、家族のためになることをすべて行おうとする。自己を犠牲にしても。
クララは賢い。かつ希望を語る。母親や医師が絶望していても、クララは言う、「それでも、いずれジョジーの状態がよくなるという希望を持っています」「いまは・・・たぶん、ただの希望です。でも、現実的な希望です。ジョジーはやがてよくなると信じます」(第二部末尾あたり。)その言葉は母親の心を打つ。
この物語は自己犠牲と信仰の物語でもある。クララ(太陽エネルギーで動く)はお日さまに祈る。それは子供らしい幼い祈りだし勘違いも甚だしい祈りだ。だが、人間もこうした勘違いかもしれないが切実な祈りを神に捧げないではいられない。そして神は応える、あるいは応えない。クララの祈りに対して、お日さまは応えるのか?
大人たちの男女・価値観の葛藤もからみ、考えるヒントは沢山ある。人間とロボットの違いについては、クララは末尾で答を出している。クララはまことに献身的なロボットだ。人間の鑑と言ってもいいほどだ。だが、ロボットに再現できない、人間にしかない特別な何かが確かにある。それは、ジョジーの中にではなく、ジョジーを愛する人々の中にあったのだ。
最初は平たい筆致で子ども向けの話なのかと思ったが、そうではなく、人間の人間たる所以に作者が挑戦した傑作なのだと考えるに至った。
(イギリス文学)
古くは『アーサー王物語』やチョーサー『カンタベリー物語』などもあり、世界史で学習する。ウィリアム・シェイクスピア(1600年頃)は『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『リヤ王』『マクベス』『ベニスの商人』『オセロ』『リチャード三世』『アントニーとクレオパトラ』などのほか『真夏の夜の夢』『お気に召すまま』『じゃじゃ馬ならし』『あらし』などもある。18世紀にはスウィフト『ガリバー旅行記』、デフォー『ロビンソン・クルーソー』、19世紀にはワーズワース、コールリッジ、バイロンらロマン派詩人、コンラッド『西欧の眼の下で』、E・ブロンテ『嵐が丘』、C・ブロンテ『ジェーン・エア』、ディケンズ『デビッド・コパフィールド』『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』、スティーブンソン『宝島』、オスカー・ワイルド『サロメ』『ドリアン・グレイの肖像』、コナン・ドイル(医者でもある)『シャーロック・ホームズの冒険』、ウェルズ『タイムマシン』、20世紀にはクローニン(医者でもある)『人生の途上にて』、モーム『人間の絆』、ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』、ジョイス『ユリシーズ』、ミルン『くまのプーさん』、オーウェル『1984』、ボンド『くまのパディントン』、クリスティ『オリエント急行の殺人』、現代ではJKローリング『ハリー・ポッター』、カズオ・イシグロ『日の名残り』『私を離さないで』などなど。イギリス文学に学んだ日本人は、北村透谷・坪内逍遥・上田敏・夏目漱石・芥川龍之介・中野好夫・福田恒存・荒正人・江藤淳・丸谷才一・小田島雄志をはじめとして、多数。商売の道具としての英語学習にとどまるのではなく、敬意を持って英米文学の魂の深いところまで学んでみたい。