James Setouchi

 

バルザック『浮かれ女盛衰記 第四部 ヴォートラン最後の変身』

  集英社文庫 田中未来・訳

  Honoré  de Balzac  Splendeurs et misères des courtisanes〟1838~47

 

1 オノレ・ド・バルザック 1799~1850

 フランスの作家。トゥール市生まれ。パリ大学法学部に学び、見習い書記の仕事などをする。創作を行う傍ら出版業、印刷業、活字鋳造業などに手を出すが失敗。銀鉱開発や雑誌経営も試みるが失敗。債権者に追われる。その中で多くの傑作を残した。1850年没。代表作『ピラーグの女相続人』『ふくろう党』『結婚の生理学』『ウージェニー・グランデ』『ゴリオ爺さん』『谷間のゆり』『老嬢』『幻滅』『従妹ベット』『従兄ポンス』『現代史の裏面』などなど。彼の主な作品は『人間喜劇』という全集に収められる。(集英社世界文学事典の高山鉄男の解説などを参考にした。)

 

2 『浮かれ女盛衰記 第四部 ヴォートラン最後の変身』

 バルザックは面白い。『ゴリオ爺さん』や『谷間のゆり』は文庫化していてすぐ入手できるが、ほかに文庫で入手できるものはないか、と探していると、集英社文庫ポケットマスターピース03の『バルザック』が書店にあった。この本は野崎歓の編集で、博多かおる訳『ゴリオ爺さん』、野崎歓訳『幻滅 抄』、田中未来訳『浮かれ女盛衰記 第四部 ヴォートラン最後の変身』が入っている。訳は読みやすく、パリの地図や主要人物目録もあり、便利だ。この三作を並べたのは、悪党ヴォートランに焦点を当てたものらしい。

 

 『浮かれ女盛衰記』の原題は〝Splendeurs et misères des courtisanes〟で、飯島耕一訳では『娼婦の栄光と悲惨』。1837~1847年執筆。第一部~第三部では、黒幕ヴォートランと出会った美しい青年リュシアンが、愛人エステルを使って悪徳銀行家ニュシンゲン男爵(ゴリオ爺さんの下の娘の夫である…)から大金を引き出すが、エステルの貞操観念からの自死を機に、リュシアンも黒幕ヴォートランも逮捕されてしまう。リュシアンは恩人のヴォートランを売ったことを苦に獄中で自死。そこから第四部が始まる。時代設定は1830年頃

 

 ヴォートラン(暗黒界の総帥ジャック・コラン)は、ここではスペイン人神父カルロス・エレーラに変装して登場している。愛するリュシアンの死に苦悩し、復讐を誓うが、みずからも獄中にある。ヴォートランが獄内外の手下を使い、また権力者たちを揺さぶりながら、いかに現状から脱出するか、が見せ所の一つである。ヴォートランが使う切り札が、美青年リュシアンに宛てた公爵家令嬢や伯爵家夫人たちの恋文である。これらを公表されると政府要人たちの立場が揺らぐ。検事総長グランヴィル伯爵との直接対決にヴォートランは持ち込む。そして… ここから先はマル秘。『ヴォートラン最後の変身』の意味が読めば分かる。

 

 同じ文庫に収められている『幻滅 抄』を読むと、美しいが世間知らずで絶望しているリュシアンにヴォートランが出会い、人生と世間の何であるかを吹き込む場面がある。リュシアンはヴォートランの甘言に乗り協力者になり、最後は悲劇的な死を迎えるわけだが… 

 

 ヴォートランは言う。「…論理なんてものは、政府にだって個人にだってなかった。道徳だってもはやありはしない。…今日、成功のみがあらゆる行為の至上命題なんだ。行為にもはやそれ自体としては何の意味もなく、それを他人がなんと思うかがすべてなんだ。…外見を立派にせよ! 人生の裏側を隠し、輝かしいところだけを見せるんだ。…お偉方も貧しい連中に負けず卑劣なことをやるものだ。だが彼らはそれを闇で行い、美徳ばかりをひけらかす。だからお偉方でいられるのだ。下層の人間は闇で美徳を発揮し、みじめさばかりを人目にさらす。だから軽蔑される。…」「あなたの社会が崇めてるのは、もう本物の神様ではなくて、黄金の子牛ですぞ!…」(459~461頁)

 

 いかがですか。おや、どこかの国の誰かが言っていそうなセリフですね。

 

 バルザックはヴォートランの口を借りて、1830年頃のフランスのブルジョア社会の欺瞞を暴き、暗黒社会とどこが違う? と異議申し立てをしているようでもある。それはそのまま現代のどこかの社会への批判にも通用する。

 

 同時に、これはあくまでも悪党のヴォートランのセリフとして設定されていることに注意。あなたもこのままでは悪党と同じ論理になってしまいます。では、どう考えればよろしいのか? あなたは、どう考えますか?

 

3 主な登場人物(文庫の人物紹介を参考にした。)

ヴォートラン(ジャック・コラン)(死神だまし)(スペイン人神父カルロス・エレーラ):暗黒界の総帥。今は獄中にある。愛する青年リュシアンの死を嘆いている。そこからいかに脱出するのか。

リュシアン:ヴォートランが愛した青年。ヴォートランを後ろ盾として社交界で活躍。獄中で自死。

グランヴィル伯爵:パリの検事総長。

セリジー伯爵グランリュー公爵モフリニューズ公爵:パリの名家。その娘や夫人がかつてリュシアンと愛人関係にあり弱みがある。

カミュゾ:判事。その妻アメリの上昇志向により出世する。

デスパール侯爵夫人:美しく打算的な社交界の花形。リュシアンとグランヴィル伯爵、セリジー伯爵らを憎んでいる。

ゴー氏:監獄所長。

テオドール・カルヴィ:かつてのヴォートランの手下。コルシカ出身。収監され死刑執行間近。

ビビ・リュパン:保安警察署長。もと暗黒界の住人。

コランタン:秘密警察。

テッテ鳥絹の糸牡屑屋:暗黒界の住人。これらは呼称で、本名は別にある。

プルダンスパカール:暗黒界の住人。

ジャクリーヌ・コラン:ヴォートランの叔母。暗黒界の住人で腕利き。

 

(フランス文学)ラブレー、モンテーニュ、モリエール、ユゴー、スタンダール、バルザック、フローベール、ゾラ、ボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、マラルメ、カミュ、サルトル、マルロー、テグジュペリ、ベケット、イヨネスコ、プルースト、ジッド、サガンなどなど多くの作家・詩人がいる。中江兆民、永井荷風、萩原朔太郎、堀口大学、島崎藤村、与謝野晶子、高村光太郎、小林秀雄、横光利一、岡本かの子・太郎、遠藤周作、渡辺一夫、大江健三郎、内田樹らもフランスの文学・思想に学び多くを得た。