James Setouchi
バルザック『従妹ベット』
Honoré de Balzac 〝La Cousine Bette〟
1 オノレ・ド・バルザック 1799~1850
フランスの作家。トゥール市生まれ。パリ大学法学部に学び、見習い書記の仕事などをする。創作を行う傍ら出版業、印刷業、活字鋳造業などに手を出すが失敗。銀鉱開発や雑誌経営も試みるが失敗。債権者に追われる。その中で多くの傑作を残した。1850年没。代表作『ピラーグの女相続人』『ふくろう党』『結婚の生理学』『ウージェニー・グランデ』『ゴリオ爺さん』『谷間のゆり』『老嬢』『幻滅』『従妹ベット』『従兄ポンス』『現代史の裏面』などなど。彼の主な作品は『人間喜劇』という全集に収められる。(集英社世界文学事典の高山鉄男の解説などを参考にした。)
2 『従妹ベット』
1846年刊行。作者47歳。作者円熟期の傑作。「人間喜劇」シリーズの小説としては、このあとに『従兄ポンス』(1847年)がある。『従妹ベット』は『従兄ポンス』と姉妹編と言われる。その後まもなくしてバルザックは亡くなるので、この2作はバルザックの最高到達点と言ってもよい。
とにかく面白い。ハラハラドキドキし、登場人物に怒ったり呆れたり、想定外の展開が続き、最後まで逆転が仕組まれていたりする。最後まで読んで読者は? ドリフターズのいかりや長介氏のように「だめだこりゃ」と言うだろう。それでも陰惨ではなく笑えるのでやはり「人間喜劇」なのだ。登場人物はいずれもデフォルメされているがリアリティーがある。「こんな人本当にいるのかなあ、いたら大変だなあ、でもいそうだなあ」という人物が大勢出てきて対立葛藤して物語を展開していく。通俗三文小説や連続テレビドラマのようでもあるが、19世紀前半のフランス社会と人間をリアルに描写しており、かつ現代日本においてもありうる話として実感できる。
舞台は1838年から1846年のパリ。1830年の7月革命以降のルイ・フィリップ朝時代のパリである。1848年のパリ2月革命、マルクスの『共産党宣言』、ナポレオン三世の登場などはまだである。私心のない元軍人、抜け目のない実業家、腐敗した高官、小役人、女狂いの男たち、娼婦のような人妻、金で囲われる歌姫、空論ばかりの芸術家、貞潔で善良で敬虔な美しい妻、貧しい庶民、裏社会に巣くう悪党、若手弁護士や医師などが出てくる。また、金の話が随分出てくる。年収が何万フラン、年金がいくら、邸宅がいくら、これらを抵当にして金を借りたら何万フランなど。抜け目なく蓄財する者、人の金をだまして奪う者、社交に金をつぎ込んで破産する者がいる。そこには欲望と虚栄心と嘘が渦巻く。そう、19世紀前半のパリは、21世紀現代の我々の社会とどこか似ていないか? 現代社会において、私たちは何に振り回されているのか? この作品を鏡として己の姿を映し、大切なものは何なのか?を考えるヒントにすることができる。
なお、「人間喜劇」シリーズは人物再登場という手法を使っている。複数の作品に何度も主役や脇役として登場する人物が大勢出てくる。フォークナーの「ヨクナパトーファ・サーガ」も同様である。
3 主な登場人物
ユロ・デルヴィー男爵(エクトル):上品な男爵だが女好き。悪い女に振り回されて破滅するが…
アドリーヌ:ユロ男爵の妻。貞淑で敬虔で美しい女性。ひたすら夫に尽くそうとするが…
ヴィクトラン:ユロ男爵の息子。少壮弁護士。懸命で、家庭を立て直そうとする。
セレスティーヌ:ヴィクトランの妻。クルヴェルの娘。
クルヴェル:商人上がりの金持ち。ユロ男爵の遊び仲間で恋のライバル。妻はなく、独身だが…
ジョゼファ:高名なオペラ歌手。もとクルヴェルの、次にユロ男爵の情婦になるが…
ジェニー・カディーヌ:女優。ユロ男爵の情婦だったが、大金持ちのデルーヴィル伯爵の囲い者となる。
オルタンス:ユロ男爵の娘。ヴェンツェスラス・シタインボック伯爵と恋に落ちるが…
ヴェンツェスラス・シタインボック伯爵:ポーランドの亡命貴族で芸術家。始めベットに命を助けられるが…
ベット(リスベット・フィッシェル):アドリーヌの従妹。アルザスの田舎出身の女工。アドリーヌの美しさに嫉妬して…
ジョアン・フィッシェル:アドリーヌやベットの叔父。アルザスの田舎出身。ユロ男爵のコネで小役人になっているが…。
ユロ将軍(フォルツハイム伯爵、元帥):ユロ男爵の兄。ナポレオン時代の軍人で今は政府高官。高潔な人格。
ヴィッサンブール元帥(陸軍大臣、かつてコッタン陸軍少尉):ユロ将軍の戦友。二人の絆は固い。
マルネフ夫人(ヴァレリー・フォルタン):モンコルネ元帥の隠し子。美しい妖婦。男たちを引きずりまわす。
マルネフ:ヴァレリーの夫。下級役人。美しい妻を使って出世しようとする。
モンテス・デ・モンテジャノス男爵:マルネフ夫人の恋人の一人。ブラジルに広大な領地を持つ。
(その他の登場人物)
ステッドマン:ヴェンツェスラスの仕事仲間。/ヌツィンゲン男爵:百万長者の銀行家。/パリ警察保安課長ヴォートラン:ヴォートラン。他の作品にも出てくる、神出鬼没の怪人。/ヌーリッソン婆さん(サン・テステーヴ夫人):謎の老婆。/カラビーヌ:高名な浮かれ女。銀行家デュ・ティエの情婦。/ビアンション医師:『ゴリオ爺さん』ではラスティニャックの友人として出てくる医学生だったが、本作では権威ある医師となっている。
(フランス文学)ラブレー、モンテーニュ、モリエール、ユゴー、スタンダール、バルザック、フローベール、ゾラ、ボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、マラルメ、カミュ、サルトル、マルロー、テグジュペリ、ベケット、イヨネスコ、プルースト、ジッド、サガンなどなど多くの作家・詩人がいる。中江兆民、永井荷風、萩原朔太郎、堀口大学、島崎藤村、与謝野晶子、高村光太郎、小林秀雄、横光利一、岡本かの子・太郎、遠藤周作、渡辺一夫、大江健三郎、内田樹らもフランスの文学・思想に学び多くを得た。