James Setouchi   トルーマン・カポーティ『冷血』新潮文庫

Truman Capote “IN COLD BLOOD”

 

1 トルーマン・カポーティ 1924~1984 アメリカ

 本名トルーマン・ストレクファス・パーソンズ。ニューオーリンズ生まれ。カポーティは養父の名前。高校卒業後自活し、様々な職業を経験、21歳の時短編『ミリアム』でオー・ヘンリー賞受賞。『遠い声、遠い部屋』(1948)が絶賛される。戯曲や映画のシナリオも書いた。『ティファニーで朝食を』(1958)はオードリー・ヘップバーン主演の映画となり大ヒットした。(原作と映画はかなり違う。)『冷血』(1966)は実在の事件に材を取り、詳しく調査したのちノンフィクション・ノベルとして提示したもの。これもベストセラーとなり映画化された。また「ニュー・ジャーナリズム」流行の先駆けとなった。他に『叶えられた祈り』など。1957年には来日し三島由紀夫とも会った。(集英社世界文学事典を参考にした。)

 

2 『冷血』

 私は元来残虐な話は好きではない。が、村上春樹や大江健三郎もカポーティを薦めていた(と思う)。アメリカ文学では避けて通れない作家だ。ある方から『冷血』が凄まじい、という話を聞き、有名な作品なのでこのさい読んでおこうかと購入して読み始めた。

 

 この作品は、1959年にカンザス州で起こった一家惨殺事件に取材し小説化している。

 

 殺害シーンは残虐で、読んでいられない。平穏な地方都市のクリスチャン名士一家を、賊が襲う。読者はハラハラしながら読み進め、ついにその場面が来る。作者の構成はうまく、読者を引きずり込む。

 

 だが、この小説はそれだけではない。捜査官たちの追跡と犯人たちの逃亡とが交互に描かれ、両者はいつ遭遇するのか? もハラハラするポイントだ。その過程で、犯人たちの生い立ち、家族や、捜査官たちの家族についても描かれていく。

 

 (ネタバレだが)犯人たちはついに逮捕され、裁判が始まる。拘置所の中や他の受刑者の様子が描かれる。全体に筆力があり、一気に読ませる。

 

 この小説で作家は何が言いたかったのだろうか? 犯人たちの異常な言動だろうか。その生じた所以であるアメリカ社会のひずみだろうか。それとも単なるエンタテイメントの刑事・犯罪ものと見るべきか? 訳者の佐々田雅子は、ここに描きこまれているのは家族の物語でもある、とする。被害者一家、加害者の家族、捜査官の家族、周辺の人々の家族など。カポーティ自身は家族に恵まれず育ったので、家族の物語を紡いでみたかったのだろうか。

 

 私は、この小説にはもう一人の主人公がいると感じた。それは、だ。舞台は「バイブルベルト」(福音主義の影響の強いエリア)の西のはずれ。被害者の一家は敬虔なメソジストだ。周囲も「敬虔な」クリスチャンぞろいだ。日曜なのに教会に来ないことから異常が発覚する。犯人も事件後聖書の文句や賛美歌を口にする。この残虐な事件の後で!? 裁判でもキリスト教精神により死刑は不可とする意見があった。

 

 「敬虔な」クリスチャンたちの作る社会。絶えず神のイメージがちらつく。だが、そこで不幸な生い立ちの犯罪者が生まれ、残虐な事件が起きる。神は何をしているのか? ドストエフスキーなら対極に修道士を配し神学論争をするだろう。我々はすでに「神無き時代」に突入したと作者は異議申し立てをしたいのか? 私はこの作品でこのような感想を持った。                            

 

(アメリカ文学)ポー、エマソン、ソロー、ストウ、ホーソン、メルヴィル、ホイットマン、エリオット、M・トゥエイン、オー・ヘンリー、エリオット、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、バック、フォークナー、スタインベック、カポーティ、ミラー、サリンジャー、メイラー、アップダイク、オブライエン、カーヴァーなどなどがある。アメリカ文学に影響を受けた日本の作家も多数。