James Setouchi

 

2024.6.2  深沢七郎『笛吹川』講談社文芸文庫

 

1        深沢七郎(1914~1987)

  大正3年山梨県の現笛吹市石沢(いさわ)町に生まれる。旧制日川中学を出て東京に出るが放浪生活に。クラシック・ギターを練習しリサイタルを開いたりした。昭和9年の徴兵検査では肋膜炎のため丙種合格(へいしゅごうかく。つまり、富国強兵の理念に照らし不名誉な状態)。再検査では丁種。昭和31年『楢山節考(ならやまぶしこう)』(注1)を執筆。中央公論新人賞に。昭和33年『笛吹川』刊。昭和35年『風流夢譚(ふうりゅうむたん)』が大反響となり昭和36年『風流夢譚』事件(注2)。昭和40年埼玉県に農場を開く。昭和46年隅田区向島に今川焼の店を開く。昭和56年『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞。昭和62年没。(注3)

 

2 『笛吹川』

 山梨県の笛吹川の流れる石和(いさわ)、つまり作者の故郷に近い場所が舞台。時代は戦国、武田信玄あたり。ギッチョン籠と呼ばれる小さい家に住む家族の物語。主な人々を書いてみる。(かなりネタバレ)

 

(ギッチョン籠のメンバー)

おじい:孫の半蔵がいくさで手柄を立てたのが嬉しい。だが、不届きがあり、お屋形様に斬られる。

半平:おじいの聟。いくさが嫌い。

半蔵:半平の子。いくさで手柄を立て得意になるが、別のいくさで死亡。

ミツ:半平の長女。竹野原の嫁に行くが定平とキヨという二人の子を連れて帰ってくる。甲府の山口屋という大きな商家のあと入りとなり女子を3人産む。裕福な暮らしをしていたが、お屋形様に嫉まれ一家皆殺しとなる。

タケ:半平の次女。黒駒に嫁に行く。そこでは馬の放牧をしている。

ヒサ:半平の三女。八代に嫁に行く。その子が虎吉。なお、八代での小姑おけいやんと、ミツの子定平を結婚させる。

定平:ミツの子。父親は竹野原の人。武田信玄と同い年。ギッチョン籠で育つ。ヒサの夫の妹・おたけと結婚し、総蔵・安蔵・平吉・ウメを生む。いくさが嫌い。

 

(ミツの子孫)

定平:上述。

キヨ:定平の同父妹。幼くして死ぬ。

タツ:ミツの娘。父親は甲府の山口屋。山口屋がお屋形様に憎まれ皆殺しにあった時、辛うじて生き延び、お屋形様への復讐を誓うが・・

ノブ:タツの娘。武田勝頼と同年。タツと共に辛うじて生き延びるが、ある時捕まり斬られる。その時男児を出産した。

次郎:ノブが死ぬときに産んだ子。タツが拾い、寺に預ける。僧になるが・・

 

(ギッチョン籠を継承した定平の家族)

定平:上述。

おけい:定平の妻。片目が見えず差別されていたが根性のある働き者で一家を支える。優しさもある。息子たちが皆いくさに出て行くので、娘のウメに聟をとろうと考えているが・・

惣蔵:定平・おけいの長男。ヒサの子・虎吉(大隅の守様)に付き従い、土屋惣蔵と改名、お屋形さまのためにいくさをし、尽くそうとするが・・

安蔵:惣蔵の弟。同上。

平吉:安蔵の弟。いくさにはいかず家を継ぐべき男子として父親に期待されるが・・

ウメ:安蔵の妹。お城に上がりお屋形様のお御台様に仕えることになったが・・・

 

(近所のメンバー)

お坪木大尽:大百姓。

智識さん:この地方の、祖父、父、子と三代の僧にして知識人。権力者・権威と距離を取る。

ワカサレの源やん:代々親を追い出すので近所では笑われている一族。

土手下の鶴やん:貧しい一家。

近津の土手のまがり屋の勝やん:根性の曲がった一家(半平の家を嫉んでいる)の子。評判が悪い。あるとき善光寺の仏像を盗んだとされる。最後は放火犯としてお屋形様に斬られる。

川しもの春やんの婆ァさん:息子がいくさで死ぬ。洪水で畑が流される。

 

(武田家のメンバー)

お屋形様:武田信玄の父、信虎。信玄に裏切られ幽閉される。

武田信玄:幼名勝千代。武田晴信。信虎の次のお屋形様。いくさに強い。川中島の戦いをする。信玄堤を作る。病で死亡。

武田勝頼:信玄の子。信玄の次のお屋形様。長篠の戦いで敗れ、さらに転戦するが、最後は滅亡。

お御台様:勝頼の妻。

お聖道様:信玄の子。目が見えず家督を継がず出家。最後は寺で殺された。(史実かどうかは知らないが、この小説ではそうなっている。)

 

(コメント)

 武田信玄は戦国大名として有名で、歴史小説やTVドラマでもしばしば英雄視されて描かれる。だが、その実態はと言うと、卑怯狡猾な手段で殺戮や略奪を行った面があるのも事実だ。(戦国大名はほとんどそうだろう。武士だ戦国武将だと英雄視して騒ぐ人の気が知れない。)その土地に住む人々は、あるいは雑兵として、あるいは兵站部として、よく言えば仕事と出世の機会を与えられ、悪く言えばいいように使い捨てられた。その一面を、笛吹川近く、石和に住む家族の姿から描く。全体に貧しい村で、水害も多い。いくさで戦功を立てれば出世できるし金にもなる。そもそも若者は広い世界に出て力をためしてみたい。向こう見ずの半蔵や惣蔵や安蔵は血気にはやっていくさに行く。近所とのメンツ争いもある。対して半平や定平はいくさに否定的だ。貧しくとも日々の暮らしを維持することを選ぶ。お屋形様は「領民ファースト」でいるわけではない。不都合があれば直ちに殺される。それでギッチョン籠の家では、「お屋形様のせいで、おじいも死んだ、ミツの一家も殺された」はずなのだが、惣平は「先祖代々お屋形様のおかげになって」きた、だから忠義を尽して死ぬ、と決め込んでいる。まるで譜代の家臣のような意識になってしまっているのだ。最後は、敗走し全滅する武田勝頼の一行に、彼らは付き従う。それはダメだ、家に帰ろう、と説得しに行った平吉やおけいさえも、家族が死ぬなら共に死のう、と行動を共にするに至る。これは、戦国時代に名を借りて、太平洋戦争中の話を示しているのではないか。当時の読者にはリアルに想起できたはずだ。若者は特攻に志願し、「国家や軍部・天皇のおかげで」最後には「情的一体化の中で集団自決を決行」してしまう。太平洋戦争中の国民の悲劇的現実を、深沢七郎は、戦国時代に舞台を借りて書いて見せたのではないか。いくさの嫌いな平吉や健気で働き者のおけいが巻き込まれるのは、読んでいて本当に辛い。次郎の最期では僧たちの読経の声が悲劇的に鳴り響く。家に一人残された定吉。いくさが終わっても、田舎の村らしい近所の悪意あるひそひそ話は生き残る。春やんの婆ァさんをはじめ人々の生活苦は続く。これはまさに太平洋戦争敗戦直後の日本社会の姿ではないか。

 

注1 『楢山節考』:姨捨ての話。是非ご一読を。

注2 『風流夢譚』事件:右翼によるテロ。中央公論社社長宅が襲われた。深沢七郎は逃亡生活に。

注3 山梨県出身の俳人・歌人を二人挙げておこう。

(1)飯田蛇笏(いいだ だこつ)(1885~1992)山梨県の現笛吹市に生まれる。『ホトトギス』系の俳人となる。「芋の露連山影を正しうす」「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」「誰彼もあらず一天自尊の秋」など。

(2)山崎方代(やまさき ほうだい)(1914~1985)山梨県の現甲府市に生まれたが放浪の歌人となる。「笛吹の土手の枯生に火をつけて三十六計にげて柿食う」「夜おそく出でたる月がひっそりとしまい忘れし物を照らしをる」「切り株に腰を引っかけ見ていると今日の夕日が笑っているよ」など。山崎方代は深沢七郎とほぼ同世代だ。

→俳句や短歌では語り得ず小説でしか語り得ないことがらがある、と私は思う。飯田蛇笏は山梨に定位して生活した人。山崎方代は放浪者。それぞれに価値があるとは思うが・・皆さんは、どう考えますか?