James Setouchi

 

R6.6.3 遠藤周作『黒ん坊』角川文庫

 

1        遠藤周作(1923~1996)

 東京生まれ。父親の仕事の関係で満州の大連で育つ。両親の離婚で母と帰国、神戸に暮らす。旧制灘中に学ぶ。母についで兄と共にカトリック受洗。何度も浪人した後辛うじて慶応の文学部の予科から仏文学科に進学。戦時中だったが入隊直前に終戦。戦後カトリック文学を学びフランス留学。帰国後文化学院の講師などをしながら作家活動。1955年に『白い人』で芥川賞。他に『海と毒薬』『わたしが・棄てた・女』『沈黙』『死海のほとり』『侍』『深い河』など作品多数。『イエスの生涯』『キリストの誕生』はノンフィクション。

 

 人間のあり方を倫理的・宗教的に深く捕らえた作品が多い。戦後の大衆社会を反映してか、大衆受けするユーモア小説の形を取った作品も多い。(その中にも深刻なテーマを内包させている。)雲谷斎狐狸庵先生を自称し軽妙なエッセイ『狐狸庵閑話』などもある。(昭和の大衆社会を批評している。)(各種の年譜を参照した。)

 

2 『黒ん坊』

 1971年毎日新聞社から刊。角川文庫で1973(昭和48)年。「黒ん坊」とは差別用語であり現在は使わない。また主人公のツンパ(アフリカ出身の黒人)は、野原を走り槍を投げ高く跳躍をするなど、ステレオタイプに描かれている。現在では再出版されにくい作品かも知れない。だが、黒人差別の題名を持ちつつ、実は黒人差別をしていない作品。主人公ツンパは心優しく善良な愛の人なのに差別される。黒人差別はよくない、残念だ、とする作品である。

 軽妙なタッチで書き進め、下品な箇所(糞尿譚)が沢山折り込まれている。これは頂けない。健全なる青少年諸君には薦めにくい。そういう箇所が前半は特に多い。

 だが、それらの点を割り引いても、一読の価値はある。さすが遠藤周作でストーリーが面白い。かつ、内容は真剣である。人間のあり方、日本人のあり方を考えさせてくれる。

 

(以下ネタバレ)

 時代は本能寺の変から小牧・長久手の戦い頃まで。つまり秀吉が天下をほぼ手中に収める時期。本作では、信長は本能寺の変で大火傷を負ったが死なず、幽閉され、秀吉や家康の政治的駆け引きの道具として使われる。全てを支配した天下人も、今ではみじめな囚われ人だ。足軽からも嘲笑される。(ここは十字架を背負い惨めに歩かされるキリストのネガだろう。キリストは救い主だが信長は惨めに死んで終わる。)本作では最高権力者も結局は惨めだ。光秀も滅んだ。秀吉も家康もいずれそうなる、とは本作に書いていないが、そう予感させる。

 

 宣教師が連れてきたアフリカ出身の黒人、ツンパは、日本人に差別される。彼は気弱で善良な愛の人だ。(遠藤周作作品に出てくるタイプの一つ。)ツンパを差別しない人は、子どもの乙吉、お姫様の雪などわずか。(雪は最初捨て犬に対するように、後には弟に対するように、ツンパを愛する。)彼らも苦難をなめ差別・排除された存在だ。ここでは日本人の排他性が問題視されている。日本人の差別心、排他性を作者は批判しているのだ。

 

 秀吉家康も腹黒い悪人だ。秀吉、蜂須賀、才蔵(人買い)は同類だ。秀吉サイドの組頭はラスト近くで言う、「今、やっとわかり申した」「役に立つ時は牛馬のように使われる、役に立たねばそれまで。一人の人間の栄達利欲のためにこの世に生れあわせたようなものでござる。その人間の眼には我等は人ではなく、生かすも殺すも勝手な畜生であろう」こう言って彼は上の者から生き埋めにされる。権力者は民や兵を使い捨て、自分の権力を守ろうとする。遠藤周作が成長した戦前戦中(軍国主義の時代)はもちろん、現代(戦後の大衆社会)でも同様のことが行われているではないか。このことへの異議申し立てが、この言葉には込められているだろう。

 

 本作では、差別心のなく心優しい人々は、全員死ぬ。悲劇だ。後に残るのはあくどい秀吉や家康。俗世の矛盾を抉り出して描いている。だが、あくどいことをして手に入れた権威や権力、財宝も、所詮はくだらないものだ。秀吉はラスト近く、ツンパと象によって糞尿を浴びせかけられ、惨めな姿で入京する。(思えば、前半の糞尿譚は、このための伏線であったのだ。)権力者はどんなに威張っていても、実態はこんなものだ、と遠藤周作は言いたいに違いない。

 

 雪や乙吉の死を聞いたツンパは変容し怒りと共に立ち上がった。では武器を取って復讐するのかと言うと、秀吉や家康を殺しはしない。並の通俗小説では殺人をするだろうが、ツンパは愛の人なので殺人はしない。糞尿を浴びせかけただけだ。秀吉に一矢報いたが、そこまでだ。ツンパは殺される。

 

 ツンパの死後はどうか。生き延びた幼い子どもたちは、ツンパの死を受けて変容し強く生きるに至るのか。(イエスの死後弟子たちが変容したように。)そこは不明だがそうあってほしい。秀吉や家康に負けず差別や支配、抑圧のないいい暮らしをしてほしい。だがそれができるとは遠藤は書いていない。威張っているのは秀吉たちだ。遠藤は俗世に対してはペシミスティックな態度だ。孟子だったら「いや、理想の政治社会は実現できる」と叫ぶだろう。遠藤はもっとシニカルだ。

 

 一柳俊之介(槍の使い手)は、ツンパの善さに気付き、権力者たちの欺瞞に気付いて、唾を吐く。しかし、俊之介は、槍の使い手として、ツンパとの試合で、ツンパは俊之介を殺そうと思えば殺せたのにそうしなかったのはなぜか? を考える中から、変容していく。ツンパとの出会いで、人間は勝てばいいのではない、別の生き方があるのだ、という視野が開かれていく。明治の新渡戸稲造『武士道』(彼は「武士道」と言うが正しくは「士道」と言うべきだろう)の末尾あたりで、人間には戦いの本能よりももっと深いところに愛の本能がある、と言っている。(注1)

 

 本作は大衆向けに読みやすく書いてあるが、そこに横たわっているのは、差別や排除はけしからん、権力者が民を利用して使い捨てるのはけしからん、人間として誤っている、人間として正しい道に立ち返るべきだ、だが、それはいまだ(軍国主義が終わり戦後社会になっても)実現できていない、もしかしたらそれは人間世界では不可能なのか? という、作者の強烈な問いであるのかもしれない。

 

注1 本文80頁で、遠藤周作は「士道」という言葉を使っている。「戦国時代には、士道、忠節の道徳など、武将、領主たちにはなかった。」とある。作者は、戦闘者の「武士道」と儒教的「士道」とは違うことについて、一定の知見を持って語っていると思われる。一柳俊之介の場合も時代的にも未だ儒教的「士道」精神の持ち主ではない。ツンパとの出会いが俊之介を変えたとしたら、キリスト教的愛の精神との出会いが、戦闘者としての武士道倫理を変容させた、と作者は(図らずも)書いてしまっていることになる。(一般的には儒教が武士道を変容させ士道を生んだ、と理解される。儒教の惻隠の情もその一つとみてよい。藤原正彦らはそう考えているだろう。最近の説として、宣教師の滅私の精神が滅私奉公タイプの武士を生んだ、との見方がある。だが、キリスト教の愛が、戦闘者の武士道を変容させ相手への思いやりを持つ士道倫理(新渡戸の言葉なら「武士道」)を生んだとすれば? いや、これは妄想に過ぎぬ。)