James Setouchi

 

薦めてみる本  魯迅『故郷』 (中国文学)

 

1 魯迅:1881~1936。

 中国の評論家、作家。本名は周樹人。中国浙江省生まれ、日本に留学、医師を志すが方向転換して文筆家となる。北京や上海に住み、中国の大激動のなかで、社会的問題意識を持って発言を続けた。「中国民衆よ、このままでいいのか? 覚醒せよ!」と。魯迅は「近代中国文学の父」と呼ばれる。有名な作品に『小さなできごと』『故郷』『祝福』『藤野先生』『魏晋の気風および文章と薬および酒の関係』、散文集『野草』などなど。

 

2 『故郷』

 1921年『新青年』に発表。当時中国は中華民国だが軍閥、西洋列強、日本などの勢力がひしめき混乱していた。日本は大正10年。魯迅の『故郷』は中学の国語の教科書に載っている。それは恐らく竹内好(たけうちよしみ)の訳だろうが、他にも佐藤春雄、井上紅梅、高橋和巳、駒田信二、藤井省三らの訳もある。アオゾラ文庫で佐藤春夫と井上紅梅の訳が読める。

 

 語り手「私」(魯迅らしき人物)は幼い頃ルントーという幼なじみと遊んでいた。ルントーはスイカ畑の英雄だった。が、「私」は地主の子で外国に留学した。久しぶりに故郷の土を踏んだとき、ルントーは「私」に何と言ったか。ルントーはひざまづき「だんなさま・・」と言ったのだ。友だちなのに英雄なのに。ひざまづいて「だんなさま・・」とは・・!

 

 誰がルントーをそう変えてしまったのか? 何がルントーを卑屈な奴隷根性の持ち主に変えたのか?

 

 それは、中国社会の混乱と抑圧と貧困であるに違いない。同時に、奇妙な形でしみついた、中国二千年の(仮に儒教国教化以来と考えてざっと二千年。孔子以来なら二千五百年)の「吃人的礼教」(『狂人日記』)(人を食い物にし不幸にする儒教道徳)のせいであるに違いない。搾取されている方が、搾取している方に、深々とお辞儀をして「だんなさま・・」と敬意を表する。支配された民が、支配者に対して、はいつくばって礼を尽くす。このような礼儀の教えは、儒教国教化以来? 中国の民に染みついたものであり、みんなを不幸にしている。これを打破せねばならぬ。民衆自身が覚醒せねばならぬ。魯迅はそう考えたに違いない。『狂人日記』(1918)、『孔乙己』(1919)、『阿Q正伝』(1921)などはこの考えで中国民衆を鼓舞すべく書かれたに違いない。

 

 なるほど、儒教は、上の者が下の者を抑圧し支配し搾取するのに便利な装置であったのか・・・だが、ここで大きな疑問が生じた。私(たち)は、孔子こそ東洋の大聖人であり、これほど偉い人はいない、と教えられてきた。儒教は値打ちのある者だと教えられてきた。では、どう考えればよろしいのか? 孔子は単なる封建反動思想家で冠婚葬祭業者なのか、それとも大聖人なのか? 儒教は民を抑圧する教えなのか、それとも何かしら尊い精神性や倫理を持った教えであり継承すべきものなのか?

 

 みなさんは、どう考えますか?

 

 この問題にひっかかり、大学でも少しは勉強した。今でもまだ勉強中だ。そこでとりあえず得た私なりの答は・・

 

 魯迅が見ていた孔子像や儒教は、恐らく明清以降の体制教学化した儒教におけるそれであって、もし本物の孔子が出現して見たなら、「私はそのようなことは教えておりません」と激怒するような代物であったに違いない。孔子は弱者へのいたわりに充ちた人で、伝説だが、苛政に苦しむ寡婦のためにもよき政治をすべきだと弟子に説いたと言う。孟子もそれを継承し「鰥寡孤独(かんかこどく)を大事にせよ」と王に迫った。

 

 イエスはどうか? 実在のイエス像とは似ても似つかぬ像を後世の権力者(例えばローマ帝国)が勝手に作り出して語っている、ということもあるかもしれない。

 

 日本ではどうか。孔子が聞いたら激怒するような内容を、例えば後期水戸学明治帝国主義以降の人々は、孔子の教えとして捏造して語ってきたのではなかったか? 

 

 例えばこのような問いを持ち、では孔子やイエスの本当の教えはどうであったのか? 後世の時代社会の中でどう利用され歪めて解釈されてきたのか? では我々自身はどう見てどう考えてどう生きればよろしいか? ここにも学問をする必要(理由)があるのである。