James Setouchi

 

2024.7.5 ゴンチャロフ『オブローモフの夢』

     (安岡治子・訳、光文社古典新訳文庫、2024年5月)

 

1        イワン・アレクサンドロヴィッチ・ゴンチャロフ(1812~1891)

ロシアのヴォルガ河沿岸に生まれる。父は穀物商人だったがイワン7歳の時没。モスクワ商業学校などを経てモスクワ大学文学部に学び、官吏となる。ペテルブルグで文筆活動。1949年『オブローモフの夢』発表(37歳)。1852年からプチャーチン提督に従いイギリス、大西洋、インド洋、太平洋、東アジアへ。長崎、琉球、マニラ、バタンを経て、沿海州から陸路ペテルブルグに戻る。1855年から雑誌『祖国雑記』などに世界周航の紀行文を掲載。1858年『フリゲート艦パラーダ号』、1859年『オブローモフ』を刊行。1861年農奴解放令。1867年官吏を引退。1870年『断崖』刊行。1974年『拠出金』出版。1891年没。(文庫巻末の年譜を参照した。)

 

2        光文社古典新訳文庫版『オブローモフの夢』(安岡治子・訳)

(ネタバレします)

『オブローモフの夢』の全訳と、『オブローモフ』の抄訳(梗概、と言うべきか)と、安岡治子による解説、年譜、訳者あとがき、がついている。一冊でかなり勉強になるのでお薦めだ。最近本も高いが、これは千円(+税)の値打ちはあった。

 

(1)『オブローモフの夢』は、長編『オブローモフ』の一部で、主人公イリヤ・イリイッチ・オブローモフが夢で幼年時代を回想する形になっている。幼いイリヤが育ったのはロシアの田舎の貴族の家。そこは自然が美しく、外部の刺激もほとんどなく、平和で静かな場所だった。両親と乳母、また召し使いたいが大事にしてくれる。外の世界では資本主義や産業化が進行しているそうだが、この村の生活にはほとんど関係がない。学校についても、両親はイリヤ少年を学校に行かせる理由が見つからない。金儲けや出世にあくせくするのが嫌いなオブローモフ氏の気質はここで形成されたのだろう。それは、近代化・産業化・市場社会化の害毒が流入する以前のロシアの昔ながらののどかな田園生活であり、一種の桃源郷である。但しその中で甘やかされイリヤ少年は全く無気力で無能な人間になってしまったとも言える。また所詮は農奴制という搾取のシステムの依拠した平穏でしかなかったとも言える。

 

 この一冊をテキストにして、「人は勤勉であるべきか」「近代化・産業化・市場社会化は是か非か」「富国強兵は是か非か」「強兵は否定するが富国は肯定したい」「老子の小国寡民はどうか」などの議論をすることもできる。学校についても、「そもそも学校は要るのか」「学校とは本来何を学ぶべき所か」といった議論をすることもできる。

 

(2)長編『オブローモフ』抄訳

 私はロシア文学の専門家ではないし長編『オブローモフ』自体自体読んでいないが、この抄訳だけでも結構面白かった。オブローモフは大人になりペテルブルグで暮らしているが、(1)で見たような過保護な育ち方から、全く無気力で無能な大人になってしまった。但し彼には内面の美しさ、善良さがある。(彼はドストエフスキー『白痴』のムイシュキン公爵のようなキャラクターだ。)彼の善さをわかる友人や恋人もいるが、彼をいいカモにしてむしり取ろうとする悪人(イワンやタランチエ)もいる。彼と友人たちの対比で彼の人物像は明らかになる。ヴォルコフは社交界で、スジブンスキーは官僚の世界で熱心に取り組んでいるが、オブローモフはそれらに対し何の興味も持たない。幼いときからの親友のシトリツ(ドイツ系)は実務型でオブローモフを社会に適応するように成長させようと尽力するが、オブローモフには響かない。オブローモフはただただ平穏無事な生活を夢見、夢想的で、実行力はゼロだが、内面は無垢で善良なのだ。

 

 偶然(のようにも見えるが)できた恋人オリガとも(当然)別れる。代わりにオブローモフの世話を一生懸命にするのはアガフィアだ。家事能力に優れたアガフィアは、無能なオブローモフにとって、母親と召使いを兼ねたような存在だ。(ああ、これは人ごとではない。)アガフィアは男女平等のフェミニズムやPC(ポリティカルコレクトネス)の立場から言えば「男にとって都合のいい女」で、おかしなことを押しつけられている、その上にあぐらをかくオブローモフはもっとおかしな存在だ、となるだろう。だが、実際の話、働き蜂のように四六時中働き、誰か(何か)のために尽くすタイプの女性(男性もだが)は、あちこちに結構いる。尽くす対象が、国家、会社、一族、家庭、配偶者、子ども、宗教組織などなどと違ってもだ。(ここで安岡治子の解説中のコメント「マリアとマルタ」(新約聖書)が面白かった。マリアはキリストの話を聞く、マルタは客の接待で家事労働にあくせくする。どう考えるか?)対して、オブローモフのような男性(女性もかも知れないが)もあちこちにいる。江戸時代なら「髪結いの亭主」という所だ。

 

 こういう一見イノセントだが実際には農奴制の搾取の上にあぐらをかいている貴族がロシアを滅ぼすのだと作者は言っているようにも言えるが、そうではなく、急速な近代化・産業化・市場社会化によって踏みにじられる大切な何か(人間的な何か)を作者は愛惜し、それでいいのか? と問うているように私は感じた。ドストエフスキーやトルストイにも共通する問いであり、日本近現代文学(二葉亭四迷、夏目漱石をはじめ)にも共通する問いだ。シトリツは本作では非常にいい友人だが、見よ、真面目で熱心で勤勉な人間が富国強兵に熱狂した挙げ句日本列島を焼け野原にしてしまったではないか。一件不真面目な『それから』の代助や安岡章太郎の自伝的作品の主人公たちの方が、実は人間としてまっとうな生き方だったのではないか? どうですか?

 

 訳者の安岡治子(1856~)はロシア文学者で東大名誉教授。実はかの安岡章太郎の娘である。安岡章太郎は私の好きな作家で、非常に深刻なもの(『海辺の光景』など)もあるが、自伝的な小説(『宿題』『サーカスの馬』『悪い仲間』『遁走』など)も実に面白い(実は深刻でもあるのだが)。ぜひお読み下さい。

 

(補足)言うまでもないが、イリヤ・イリイッチ・オブローモフという名前について。ファーストネームのイリヤが彼の名前。キリスト教のエリヤ。ミドルネームのイリイッチは、イリヤの息子という意味。つまり父親もイリヤという名前だった。最後のオブローモフが、ファミリーネーム。同様に、ロジオン・ロマーヌイッチ・ラスコーリニコフは、名前がロジオン、父親がロマーヌイ、姓がラスコーリニコフ。江川卓『謎解き『罪と罰』』は必読。

 

(ロシア文学)プーシキン、ゴーゴリ、ゴンチャロフ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、ゴーリキー、ソルジェニーツィンら多数の作家がいる。日本でも二葉亭四迷、芥川龍之介、小林秀雄、椎名麟三、埴谷雄高、加賀乙彦、大江健三郎、平野啓一郎、金原ひとみ、などなど多くの人がロシア文学から学んでいる。