James Setouchi

 

R6.5.28 エミール・ゾラ『ナナ』(川口篤、古賀照一 訳、新潮文庫) Emile Zola “Nana”

 

1        エミール・ゾラ 1840~1902。

 パリの貧民街に生まれる。父はイタリア系の技師、母は貧しい職人の娘。幼時から思春期まで南フランスで過ごすが、父の死で一家は窮迫、パリに移住するも進学を断念。出版社勤務等を経て作家に。バルザックの『人間喜劇』を意識して『ルーゴン・マッカール叢書』という壮大な作品を構想、『ルーゴン家の運命』『居酒屋』『ナナ』『パスカル博士』などを発表。特に『居酒屋』は賛否両論の嵐を巻き起こした。モーパッサンら若手を育てた。ドレフュス事件ではユダヤ人排斥を批判してドレフュスを擁護。『三都市』『四福音書』を創作途中、パリで没した。国葬され、国家の功労者を祀るパンテオンの地下に葬られている。「自然主義」文学の代表選手として知られる。自然科学が説得力を持った時代で、自然科学的発想を小説に持ち込んだ。文学史的には、バルザック(1799~1850)よりあと、モーパッサンより前。(集英社世界文学全集の解説(田辺貞之助)および巻末年表を参照した。)

 

2        『ナナ』1880年発表。作者50歳。(ネタバレあり)

 いわゆる「自然主義」文学の代表作家、ゾラの作。「ルーゴン=マッカール叢書」の一つ。『居酒屋』のジェルヴェーズとクーポーの娘、ナナの成人後を描く。『居酒屋』はパリの貧しいグート=ドル街が舞台で貧しい労働者一家の没落を詳細に描く。少女ナナは虐待され路上の不良娘となった。本作『ナナ』ではナナは女優・高級娼婦(貴族や金持ちを相手にする娼婦)となり、ナポレオン三世皇帝(第二帝政)時代を舞台に、高級貴族や娼婦の世界を生きる。描写が詳細かつリアルで、パリの高級貴族の世界や娼婦たちの世界はいかにもこうであったに違いないと思わせる。競馬の描写も迫真性がある。(私はそれらを経験したことはないが。)

 

(登場人物)人物が多いので表を作りながら読むのがよい。以下は参考に。

ナナ:『居酒屋』のクーポーとジェルヴェーズの娘。父が酒乱でDV、母も結局は酒乱で乱倫に陥るので、家出をし、路上で生活していた。美しく官能的な娘に成長し、ヴァリエテ座の金髪のヴィーナス役の女優として鳴り物入りでデビュー、たちまち観衆を魅了する。同時に高級娼婦(売春業)もしていた。

ボルドナヴ:ヴァリエテ座の支配人。劇場を「淫売屋」と自称。

ミニョン:ローズ・ミニョンの夫。自分の妻を有力者に紹介してジゴロのような生活をしている。

ローズ・ミニョン:ナナのライバルの女優。ミニョンの夫。その子はアンリとシャルル。

女優たち:リュシー、ブランシュ、シモーヌ、クラリス、ガガ(その子はアメリ=リリ)、カロリーヌ、レア、タタン、マリア(その多くは娼婦でもある)

トリコン夫人:売春斡旋をする女。

男優たち:プリュリエール、老ボスク、フォンタン(フォンタンは一時ナナと暮らすが・・)

ラボルデット:金髪で長身の紳士。女優たちに親切にする。

ダグネ:ナナの恋人の一人。実は知事の子。

ゾエ:ナナの小間使い。

フランシス:髪結いの男。

ロール:安食堂のおかみ。 ジュリアン:ナナの屋敷の給仕頭。 シャルル:ナナの屋敷の御者。

ルイ(ルイゼ):ナナの幼い息子。病弱。

ルラ夫人:ナナの伯母。ナナの父・クーボーの兄。ルイを養育。『居酒屋』にも出てくる。

サタン:ナナが街で拾ってきた年下の少女。同性愛の娼婦。ナナを同性愛に引き込む。

ロベール夫人:謎の女性。いかがわしい場所にいたが今はすましている。ナナとサタンを取り合う。

マロワール夫人:年取った婦人。ナナの古い友だちということになっている。ベジグ遊びをする。

 

フォシュリー:新聞記者。脚本も書く。サビーヌ侯爵夫人と不倫をする。

エクトル・ド・ラ・ファロワーズ:学生。フォシュリーの従兄弟。地方の名門の出身。

シュタイネル:銀行家。ユダヤ系ドイツ人。新興ブルジョワと言える。国際的に活躍しているが・・

グザヴィエ・ド・ヴァンドゥーブル伯爵:劇場の客の一人。上流階級だが女優たちに貢ぎ破滅する。

ミュファ伯爵:客の一人。皇后宮の侍従を務める最高級の貴族。キリスト教信仰に篤い堅物だったが、ナナの虜になる。その結果・・・

サビーヌ伯爵夫人:ミュファ伯爵の夫人。優雅な女性だったが、不倫の果てに堕落していく。

エステル:ミュファ伯爵とサビーヌ伯爵夫人の娘。

ド・シュアール侯爵:サビーヌ伯爵夫人の父親。高級貴族。もと枢密顧問官。実はガガの娘のリリを3万フランで買う。

ヴノー氏:古い弁護士。イエズス会士。ミュファ伯爵の堕落を戒める。

殿下:客の一人。某王室の皇太子。

シャントロー夫人、ド・シェゼル夫人(レオニード)、デュ・ジョンコワ夫人:高級貴族。

ユゴン夫人:公証人の未亡人。フィリップとジョルジュの母親。

フィリップ:ユゴン夫人の息子。ナナに金を貢ぐ。軍人。

ジョルジュ:まだ少年だがナナに恋い焦がれる。

フーカルモン:客の一人。海軍士官。

 

イルマ・ダングラール夫人:もと娼婦だったが今は貴婦人のように暮らし尊敬されている女性。

ポマレ女王:もと人気の娼婦だったが今は貧しく落ちぶれている女性。

 

(いくつかの対照)

・パンティエーブル街のサビーヌ伯爵夫人のサロンのパーティー(新潮文庫93頁以下)と、オースマン街のナナの家(モスコーの豪商がナナを囲うために賃借)でのその夜12時からのナナのパーティー(同132頁以下):前者は高級貴族や大ブルジョワ、高級官僚のパーティー。後者は女優で娼婦たちのパーティーに高級貴族も含む男たちが合流。

 

・郊外のレ・フォンデットの別荘(サビーヌ伯爵夫人が主人)と、隣接するラ・ミニョットの別荘(ナナが主人):隣接している。いずれもミュファ伯爵のものだが、使っている人が違い、客層が全く違う。前者は高級貴族で、後者は女優兼娼婦たち。前者はいかにも貴族的ですましているが後者は「すさまじい賑やかさ」だと、明確な対照を成している。前者を後者が馬車で圧倒するシーンがある。なお、二つの別荘を行き来する男が、ミュファ伯爵とジョルジュだ。

 

・パリのヴィリエ通りのナナの豪華な屋敷(ミュファ伯爵に買って貰った)での晩餐会(同489頁以下):高級貴族女優・娼婦たちとが入り混じり、ちぐはぐなパーティになっている。

高級貴族たちは上品で女優・娼婦たちは下品だが、それぞれにプライドがあり他人を見下して噂(品評)ばかりしている点は同じ。人間は結局同じだとの人間理解が作者にはありそうだ。

 

・ヴァリエテ座での「ナナ! ナナ!」という観客の熱狂(同50頁)と、競馬場での馬のナナへの観衆の熱狂(同560頁以下)。さらに、末尾近く、対プロシア戦争開戦に熱狂して行進する人々の「ベルリンヘ! ベルリンヘ! ベルリンヘ!」(同693頁)も作者は意図的に配置していると考えられる。全てに共通するのは、民衆(群衆)の熱狂しやすさであり、民衆の熱狂しやすさに対する作者の危惧・批判が書き込まれていると言える。それでも、「ナナ!」と連呼している限りは(道徳的に腐敗してはいるが)戦争ではないが、「ベルリンヘ!」と連呼する人々は、戦争を(つまりは死を)呼び込んでいるのだ。実際1871年にロシア・フランス戦争でフランスは敗北する。この小説はその開戦前夜を舞台に取る。1880年本書刊行時にはその敗戦の記憶も生々しかっただろう。のちのポピュリズム・ファシズムを予見しているようにも見える。

 

イルマ・ダングラール夫人とポマレ女王:若い頃は高級娼婦として盛名を馳せても、年老いてから、大きな邸宅で豊かで落ち着いた暮らしをするか、路上で貧困にあえぐか。ナナたちの末路はどうであるのか。

 

・ナナが天然痘で死ぬとき、男たち(貴族も俳優も)は感染を恐れて部屋に行けない。女優・娼婦たちはナナの部屋に殺到する。男たちはナナに愛をささやいたが結局は利己的で、女たち(高級貴族の婦人たちは出てこないが)はナナと喧嘩していても結局は仲間として同情する。

 

(コメント)

 面白い『居酒屋』は酒乱と貧困と精神の病が子孫に遺伝するかのような描き方が気になるが、本作『ナナ』ではあまりそれは感じなかった。1870年頃のフランスの高級貴族や高級娼婦の世界について、リアルに描写されていて、異世界を覗き見る気がして面白いのだろうか。いや、全く未知の世界というわけでもない。バルザックやプルーストにも高級娼婦が出てくる。日本でも、昭和には企業の偉い人や政治家が新橋や神楽坂の料亭で芸者と遊んだという。平成ではIT長者の誰かが「港区女子」とパーティーをしたとか。芸者や「港区女子」は娼婦ではないが構造は『ナナ』の世界と同じだろう。令和の今は貧富の差が更に拡大しているのでどこで何が行われているかわからない。日本だけではない。ペルーのバルガス=リョサの『ラ・カテドラルでの対話』にも高級娼婦が出てきた。世界中で同様のことが行われているとすれば。

 

 但し作品『ナナ』独自のすごさはどこにあるか。もしかしたら環境に振り回されながらも悪戦苦闘して戦い抜きついには貴族たちを滅ぼし尽くすナナの破天荒さにあるのかも知れない。ナナはずる賢いが賢明ではない。純情でもある(自分より弱い立場のサタンなどには愛情を注ぐ)が激情を持つ。ナナは短気で愚かだ。ナナは自分勝手で不道徳だ。だが最高級の貴族であるミュファ伯爵たちを手玉に取り、いや、本人もやぶれかぶれでやっているのだが、結局は破滅に追い込む。伯爵に散在させて購入したナナの屋敷と寝台は、さながら王宮の玉座のようであった。そこに横たわるナナ。これは王や皇帝の権威のパロディだ。(しかもそこにいた間男は誰であったか? これは読んでのお楽しみ。)「金髪のヴィナス」であるナナは侍従閣下ミュファ伯爵に対して命令を下し意のままに支配する。「これは彼女の復讐であり、・・・無意識な怨恨であった」(同666頁)「彼女は自分が属する階級、赤貧洗うがごとき人々や、社会から見棄てられた人々のために復讐したのだ」(同683頁)と語り手は解説する。ナナは惨めに死んだ母親ジェルヴェーズ(『居酒屋』)の敵討ちを(無意識のうちに)しようとしたのか。いや、「ナナ」とはすでに一個人の名前ではなく、差別され貧困に苦しんできた人々のルサンチマンの集合意識(悪霊のごときもの)の名前であるのかもしれない。ナナをはじめとする女たちによって偽善的な貴族たちは正体を暴かれことごとく破滅し(ミュファ伯爵だけではない。破滅した最も鮮やかな例がグザヴィエ・ド・ヴァンドゥーブル伯爵だ)、やがてプロシア軍によってすべては蹂躙されるであろう。ナナに夢中になって破滅していく貴族たちの物語でもある。高級貴族のふりをしていてもその正体は欲にまみれた愚か者なのだ。その下劣な欲望に振り回され、彼らは破滅していく。本作は、パリの貴族社会(およびそれがもたらす矛盾した階級社会)のその終末の前夜を描き取った作品、と言えるのかも知れない。ナナとは「バビロンの大淫婦」(ヨハネ啓示)である。ナナは腐敗堕落したパリの中から生まれ、上品を装うパリの正体を明らかにし、ついにはパリを滅ぼす。パリは、バビロンが滅んだごとく、腐敗堕落のうちに滅ぶであろう。だが、ナナ自身も時を同じくして滅ぶ。ナナは享楽のパリ、滅び行く物質文明の象徴と言える。

 

 生き残る者は何か? ナナの死を悼み集まった娼婦たちか?(だが、彼らもそれぞれに病弱だ。)敬虔なイエズス会士ヴノー氏か?(後述。)したたかな小間使いゾエや髪結いのフランシスたちか?(彼らもそれぞれに腹に一物を持っている。同書613、648頁など)路上に消えた(と思われる)サタンか?(サタンは最も危なっかしい。)だが、作品はそれを語ってくれない。聞こえてくるのは、「ベルリンヘ! ベルリン!」という戦争に熱狂した民衆の叫び声だけだ。全国民をあげての愚者の饗宴。その最たるものが民衆の熱狂する戦争だ。

 

(参考)

コーラ・パール(1835?~1886)という高級娼婦がモデルだと言われる。コーラ・パールはナポレオン3世皇帝(第二帝政)時代、多くの高級貴族を相手にして蕩尽の限りを尽した。

 

・ナナはフォンタンを愛する。フォンタンはDV男だ。それでもナナはフォンタンを愛する。ここは残酷だ。どうしてナナはダメダメ男のフォンタンから離れられないのか。ナナが幼少時父親のクーポーからDVを受けていたことと関係があるのか。またナナは子どものルイゼをそばで育てずルラ夫人に預けている。ルイゼは病弱だ。ルラ夫人が十分に養育しているかどうかわからない。ナナはルイゼに対し(時には愛するが)無関心という虐待を行っている。ナナ自身が親から放置も含む虐待をされたからか。ここは現代の問題でもある。

 

・ラストは堕落・蕩尽が加速度的に拡大する。ここまで愚かな行動をするとは、まるで現代のマンガのようで、笑えてしまう。

 

・ミュファ伯爵は、もともと真面目なキリスト教徒の堅物だったが、ナナの誘惑に屈し、苦悩しながらも全てを捧げ、ついには破滅し、全てを失った挙げ句に、キリスト教の世界に回帰する。

 

・ヴァリエテ座の芝居ではオリンポス山のヴィナス、ダイアナ、軍神マルスなどギリシア・ローマの神々が登場する。彼らは現実のフランス貴族たちの戯画でもある。では、彼らを相対化し彼らの対極にあるものは何か? ここで大きく言ってヨーロッパの精神には、ギリシア・ローマのヘレニズムとは別に、ユダヤ・キリスト教のヘブライズムがある。ヘブライズムの代表として登場しているのはミュファ伯爵とイエズス会士ヴノー氏だ。ミュファはナナに籠絡されて自滅する。最後に彼が行くのはヴノー氏のもとだ。ヴノー氏はナナによっては左右されない。ヴノー氏は脇役ではあるが、案外大事な役回りかも知れない。あるいは、これもゾラの皮肉か。

 

・高級貴族たちは腐敗した挙げ句に破滅した。では、悲惨な日々を送る貧しい労働者・職人たち(『居酒屋』に詳述)は、どうなるおだろうか。『ジェルミナール』は炭鉱労働者のストライキ闘争を描く。登場するのは『居酒屋』のジェルヴェーズとランティエの息子、すなわちナナの異父兄弟、エティエンヌだ。