James Setouchi
2024.6.23 ハーマン・メルヴィル『白鯨』 Herman Melville“Moby Dick”
1 ハーマン・メルヴィル1819~1891
NYに生まれる。父方、母方も将軍を出した名門。父の貿易業が傾き、兄の商店も破産、貧困の中で、大西洋航路のボーイとなる。さらに捕鯨船の水夫となり、大西洋・太平洋を航海するが、途上脱走したり収容所に入ったりの経験をする。軍艦の水夫にもなる。1844年アメリカに戻り作家生活へ。『タイピー』(1846)、『オムー』(1847)、『レッドバーン』(1849)、『ホワイト・ジャケット』(1850)、『白鯨』(1851)、『ピエール』(1852)、『バートルビ』(1853)、『戦争詩集』(1866)、長詩『クラレル』(1876)、詩集『ジョン・マーと他の水夫たち』(1888)、詩集『タイモレオン』(1891)、遺稿『ビリー・バッド』など。
なお、南北戦争は1861~1865。男子が二人死ぬなど不幸もあった。『白鯨』は生前は理解(評価)されず、20世紀になってから高く評価されるようになった。(集英社世界文学全集の巻末年表、および阿部知二の解説などから。)
2 『白鯨』(ネタバレあり)(集英社世界文学全集の阿部知二の縮訳版で読んだ)原作は1851年出版
ずしりと確かな手応えがあった。読むのに数日はかかるが、読む値打ちはある。尤も、今の若い人にはこのずしりとした重さが無理かも知れない。一定の知識や人生経験がいるかも。巨大な白鯨を仕留めに行くエイハブ船長たちの話、という海洋冒険小説でもあるが、それ以上に、作者の世界観・人生観を述べた論考・思想書、という側面がある。ここが読み応えがある。随所に聖書や古代宗教思想の引用が散りばめられている。かなりブッキッシュであり、哲学的・形而上学的瞑想に満ちている。この世は(必ずしもうまく行くわけではないこの世は)、生きて挑戦するに価するか? を問う書物であり、生きて挑戦し敗退するエイハブ船長たちの悲劇は、オイディプス王以来の悲劇を継承している、と私は感じた。巻末の解説で阿部知二は、英語で書かれた三大悲劇として『リア王』『嵐が丘』『モゥビ・ディク』を挙げる人がある、という見方を紹介している。なるほど、確かにこれは一大悲劇である。なおジェイムス・キャントンはアメリカの暗黒ロマン主義の系譜としてポー→ホーソーン→メルヴィルを挙げている(三省堂『世界文学大図鑑』140頁)。こんな作風の作家は日本では誰があるだろうか。
あらすじは、語り手「わたし」は北米ナンタケットから捕鯨船ピークォド号に乗り組む。ピークォド号は、エイハブ船長のもと巨大白鯨モビー・ディックを追う。そこには南洋の島出身のクィークェグ、北米先住民のタシュテグ、アフリカ系の巨人タグーといった腕利きの銛打ちがいる。これは文化の多様性を示している。一等航海士スターバックは慎重、二等航海士スタッブは陽気、三等航海士フラスクは小さいが勇敢。彼らは基本的に白人でクエーカー教徒が多い。フェデラーはアジア系拝火教徒で、不気味な予言をする。ピップは黒人の少年。鍛冶屋のパースは酒飲みで家族や全てを失った男。多様な人々がいるが、最も異常な人格はエイハブ船長その人だ。圧倒的な存在・白鯨に対し、敗北の危険性を感じながらも、それでも向かって行かざるを得ない衝迫を内に抱えている。きわめて悲劇的だ。彼らを乗せ、船は、北大西洋、南大西洋、喜望峰を回ってインド洋へ、スンダ海峡、台湾の南を通って太平洋へ、日本近海を経ていよいよ白鯨の出没するであろう赤道付近へ。鯨を追い、巨大イカと遭遇し、抹香鯨を捕獲して解体・処理し(工場制手工業と言うべきか)、脂を貯蔵(稼ぐ。資本主義)、鮫と悪戦苦闘し、他の船とすれ違い白鯨が近いことを知る、などの描写がある。白鯨との最終決戦へと雰囲気は高まり、ついに一挙にクライマックスを迎える、という見事な仕立てになっている。ラスト近く、波濤をかき分けて白鯨を追い白鯨と戦うシーンの描写は非常に迫力がある。
ユダヤ・キリスト教の用語が散りばめられている。が護教的ではない。むしろキリスト教を相対化する。「わたし」の親友クィークェグは「人食い人種」で偶像を崇拝するが、誰よりも勇敢で高潔な人格者だ。作者メルヴィルはキリスト教世界の出身だが、世界には多様な文化(宗教)がありそれぞれに価値があると知っている。
エイハブ船長はその偏執狂的な人格で人々を破滅へと導く。スターバックは代々の敬虔なクエイカー教徒だ。(コーヒーのチェーン店のスターバックスの名はここからきたらしい。)理性的な判断で安全に皆を帰国させるべくエイハブを諫めようとする。(スターバックが帰国を求めるのは、金のためでもある。商業捕鯨である以上出資者に利益を還元しなければならないのだ。彼はクエーカー教徒であると同時に資本主義の使徒だ。メルヴィルはスターバックを全肯定はしていない。)が、エイハブは聞き入れない。エイハブは科学を呪い四分儀を壊し、拝火教徒のアジア人フェデラーと一心同体であるかのごとき悪魔崇拝的な動きをし、最後は破局に向かって突き進む。エイハブは現代なら自己破壊的なカリスマ・リーダーで、集団を精神的に支配し道連れにして壊滅をもたらす人物(かつてのドイツの例のあの人、日本のバンザイ突撃の軍人やカルトの教祖、成果至上主義のパワハラ社長や勝利至上主義の部活動教師、多くを道連れにする拡大自殺? などなど)にあたろうか。狂信ゆえに自分を止めることができないのだ。一度は人間的な優しい心が蘇りスターバックを生き残らせようとするのだが、時既に遅く、圧倒的な白鯨の力の前に全ては無に帰する。すべての人が道連れになる。語り手「わたし」だけがレイチェル号に拾われ九死に一生を得る。異常なリーダーに率いられた文明の滅亡を予言する、現代の黙示録と読むべきか(注1)。救いはないのか? ヨナのごとく「わたし」が語ることで、ニネヴェの民の如く現代の人々が改心するならば、あるいは救済があるのかもしれないが・・・?
索(つな)、艫(とも)、舳(へさき)、転桁索(てんこうさく)、筬(おさ)、艙口(ハッチ)、帆桁(ブーム)、剣魚(かじきとおし)など船や海に関する語句が多い。辞書を引き引き読めば勉強になる。慴伏(しょうふく)する、閃閃(せんせん)たる、雀躍(じゃくやく)する、薫染(くんせん)、渺茫(びょうぼう)たる、などは、原文の重厚荘重な雰囲気を訳者が伝えようとして選んだ語句に違いない。「わたし」は哲学や形而上学の言葉を語るが、学があるとは言えない乗組員たちがやや乱暴な言葉で語る。これは原文がそうであり、訳者の阿部知二もそう配慮したのだろう。複数の訳本を比較しても面白いかもしれない。但し「わたし」はエリートとして浮いているわけではない。公平に皆を眺め悲劇の語り部となる。
クィークェグは、全身に入れ墨があり、「人食い人種」で偶像崇拝者だが、驚異の身体能力を持ち、勇敢で、心優しく、高潔な人格者だ。これは、メルヴィルとしては非キリスト教世界の人々について西洋人読者に理解を求めようとしたのだろうが、今日から見ると、ステレオタイプに過ぎ、偏見を助長しかねない描き方だ。『サイボーグ007』から『ONE PIECE』まで、アニメのキャラクターに同様のものが出てくる。フェデラー(拝火教徒、ターバンを巻いたアジア系)についてはもっと不気味に描いてあり、そのミステリアスな雰囲気が西洋人読者にとって魅力であるように描いているのだろうが、これをもってアジア人をステレオタイプに理解されると困る。『白鯨』は1851年に出版された本で、アメリカはまだ南北戦争(1961~1865)以前だ。ゴーギャンのタヒチ行きがやっと1891年だから、メルヴィルの時代にしては画期的だった、と言うべきかもしれない。
付言ながら、捕鯨の港と大海原の航海。アメリカが海洋国家でもあることが実感としてよくわかった。またこの航海は1851年でありペリーが日本に来る1853年の直前だ。鎖国時代の日本がアメリカの捕鯨船にとって強い関心の対象だったと実感できる。日本近海の描写もあって日本人には親しみがある。なおここで語られる抹香鯨の生態に対する知見がどこまで正しいかは、私は知らない。
(登場人物)
「わたし」(イシュメイル):金銭的に窮迫し、憂鬱。世界の海原を知ろうと捕鯨船に乗り込む。イシュメイルとはアブラハムの子で追放された放浪者。本作では唯一生き残り、悲劇の語り部となる。鯨に呑まれるが生き延びて預言者となったヨナのように。生き延びた「わたし」はこれから何をするのか。(厳密には語り手と「わたし(イシュメイル)」は同じではない。イシュメイルのいない場所の描写もあるから。)
エイハブ船長:58歳。かつて白鯨に足を食われ、執念深く白鯨を追う。強烈なカリスマを持ち乗組員全体を精神的に支配している。エイハブは旧約列王記のアハブ王であり、妻イザベルに従い異教のバアル崇拝を北イスラエル王国に導入した。正統キリスト教徒から見れば邪教徒の扱い。
イライジア:乗船前に不気味な予言をする男。イライジアは預言者エリヤのこと。
スターバック:一等航海士。冷静で用心深い。代々のクエーカー教徒。
スタッブ:二等航海士。陽気でおしゃべり。いつもパイプを加えている。
フラスク:三等航海士。小さいが勇敢。
クィークェグ:銛打ち。南洋のココヴォコの酋長の子。全身に入れ墨があり偶像ヨジョを崇拝するが、驚異の身体能力を持ち、心優しく、高潔な人格。「わたし」の親友になる。
タシュテゴ:銛打ち。北米先住民の出身。
タグー:銛打ち。アフリカ系黒人で、高身長。
フェデラー:銛打ち。高齢だが不気味な迫力がある。アジア系。拝火教徒でターバンを巻いている。いつの間にかエイハブが乗船させていた謎の人物。不気味な予言をする。
ピップ:黒人の少年。海に放り出され精神に異常を来す。
ラケル船長:レイチェル号の船長。二人の子を失う。ラストでイシュメイルを救出。救いの可能性を示唆。
鍛冶屋のパース:鍛冶屋。酒の飲み過ぎで家族他全てを失いこの船に乗り組んでいる。
ピーレグ老船長、ピルダド老船長:ナンタケットの港で出港準備にあたる実力派の船長たち。
注1:メルヴィル『ピエール 黙示録よりも深く』(幻戯書房、ルリユール叢書、2022年11月)という本が牧野有通の訳で出た(未読)。