James Setouchi
2024.6.29 ハーマン・メルヴィル Herman Melville
『書記バートルビー』『漂流船』
1 ハーマン・メルヴィル1819~1891:NYに生まれる。父方、母方も将軍を出した名門。父の貿易業が傾き、兄の商店も破産、貧困の中で、大西洋航路のボーイとなる。さらに捕鯨船の水夫となり、大西洋・太平洋を航海するが、途上脱走したり収容所に入ったりの経験をする。軍艦の水夫にもなる。1844年アメリカに戻り作家生活へ。『タイピー』(1846)、『オムー』(1847)、『レッドバーン』(1849)、『ホワイト・ジャケット』(1850)、『白鯨』(1851)、『ピエール』(1852)、『バートルビ』(1853)、『戦争詩集』(1866)、長詩『クラレル』(1876)、詩集『ジョン・マーと他の水夫たち』(1888)、詩集『タイモレオン』(1891)、遺稿『ビリー・バッド』など。なお、南北戦争は1861~1865。男子が二人死ぬなど不幸もあった。『白鯨』は生前は理解(評価)されず、20世紀になってから高く評価されるようになった。(集英社世界文学全集の巻末年表、および阿部知二の解説などから。)
2 『書記バートルビー』“Bartleby,the Scrivener”(牧野有通・訳、光文社文庫)原作は1853
(ネタバレあり)舞台は1850年頃のNY、ウォール街。語り手「私」は30年も弁護士をしてまずは成功した人間だ。しかも親切で善良だ。部下の書記たちは個性派揃いだが、まずうまくやってきた。ところが、ここに書記バートルビーという不可解な若者がやってきた。用を頼むと「しない方がいいと思います」と否定的だ。「私」は親切に扱おうとするが、彼は全く動かない。彼は食事もろくに摂らず、かつ無断で事務室に寝泊まりしている。やがて仕事は全くしなくなった。「私」は彼を解雇するが、彼は事務室から去らず、強制退去させると、ビルに住み着いてしまった。彼は刑務所に連行され、やがて死んでしまう。「私」の善意の問いかけ「その理由は何か?」に対しても「あなたはその理由をご自分でおわかりにならないのですか」「あなたには何も言いたくはありません」と答える。彼の言動は謎のままだ。最後に秘密が明かされる。彼は昔配達不能郵便局の下級職員として、例えば死者相手の配達不能になった郵便を仕分けして燃やす仕事をしていた。彼はその仕事をする中で絶望感を深めていったらしい。だが、語り手(なのか作者が急に現われたのかわからないが)の「ああ、バートルビー! ああ、人間の生よ!」という嘆きでこの物語は結ばれる。配達不能郵便の仕事においてのみ人間は絶望するのではない、本来人間とはこのような絶望的な人生を生きているのだ、と作者は言いたげである。ことにウォール街のような拝金社会においては。語り手「私」は自分では成功した善良な人間だと思い込んでいるが、百万長者のアスター氏に心酔している。「私」は自覚していないが拝金主義者であり、「私」のような俗物がアメリカ社会を作っているのだ。他方で黙って苦しみ死んでいく人々がいる。独善的な金持ちどもにはバートルビーの苦しみは「おわかりにならない」のだ。この書はアメリカの自称良識ある人士の独善と拝金主義を批判する書であるに違いない。
3 『漂流船』“Benito Cereno” (牧野有通・訳、光文社文庫)原作は1855
(ネタバレあり)原題は『ベニート・セレーノ』。ベニート・セレーノはスペイン船の船長の名前。訳者の牧野氏の考えで『漂流船』とした。時代は1799年。アメリカのアザラシ猟をする船のアメイサ・デラーノ船長は、南米のチリの南端のサンタ・マリア島の港で、謎の船サン・ドミニク号に出会う。幽霊船のような船だ。船長はベニート・セラーノというが、なぜか調子が悪そうだ。スペイン人の乗組員は少なく、黒人奴隷が大勢乗っている。全体に船の雰囲気がおかしい。善良なデラーノ船長は親切心を発揮して水や食料を与えるが、サン・ドミニク号の謎は深まるばかり。やがて・・・(以下ネタバレ)実はサン・ドミニク号は、黒人たちが反乱を起こし白人の乗組員を多数殺害、黒人の支配下にあった。黒人たちは不意の来客であるデラーノ船長を欺きデラーノの船を乗っ取るためにベニート船長らを脅迫して演技させていたのだ。戦いが始まる。ここは一挙に読ませる迫力だ。戦いは火器を持ったデラーノ船長たちが勝利し、ペルーのリマで裁判を行うことになった。ベニート船長の供述でいきさつが明らかになる。裁判で、黒人の反乱の首謀者のバボウは死刑、ベニートは修道院に入り、まもなく死ぬ。これがあらすじだ。バボウがセラーノたちを精神的に支配するところが恐ろしい。善良なデラーノ船長の、「このサン・ドミニク号は何かおかしい」「いや、そんなはずはない、信じよう」と揺れる心もよく書けている。「黒人が反乱など起こすはずがない」「いや、黒人は残虐だ」という白人の目から見た浅薄・単純な黒人観が展開され、その白人たちの愚かさをメルヴィルは暴いている。一例だが、黒人の男たちが反乱をしている時、黒人の女たちは黒人の男たちに対して、白人を殺害するよう歌や踊りで誘導した、とある。なぜかは書いていない。なぜか? 白人の男たちが黒人奴隷の女たちを非道に扱ったからに違いない。メルヴィルは黒人奴隷の反乱を描いているようで、実は黒人奴隷を残虐に扱う白人社会の残虐さ、白人のアフリカ侵略の罪を暴いている。