James Setouchi

 

2024.6.30 米文学 ハーマン・メルヴィル Herman Melville『ビリー・バッド』

 

 ハーマン・メルヴィル1819~1891:NYに生まれる。父方、母方も将軍を出した名門。父の貿易業が傾き、兄の商店も破産、貧困の中で、大西洋航路のボーイとなる。さらに捕鯨船の水夫となり、大西洋・太平洋を航海するが、途上脱走したり収容所に入ったりの経験をする。軍艦の水夫にもなる。1844年アメリカに戻り作家生活へ。『タイピー』(1846)、『オムー』(1847)、『レッドバーン』(1849)、『ホワイト・ジャケット』(1850)、『白鯨』(1851)、『ピエール』(1852)、『バートルビ』(1853)、『戦争詩集』(1866)、長詩『クラレル』(1876)、詩集『ジョン・マーと他の水夫たち』(1888)、詩集『タイモレオン』(1891)、遺稿『ビリー・バッド』など。なお、南北戦争は1861~1865。男子が二人死ぬなど不幸もあった。『白鯨』は生前は理解(評価)されず、20世紀になってから高く評価されるようになった。(集英社世界文学全集の巻末年表、および阿部知二の解説などから。)

 

 『ビリー・バッド』“Billy Budd,Sailor”(飯野友幸・訳、光文社文庫)原作は遺稿で1924出版

 (ネタバレあり)本作はメルヴィルの遺稿で、1924年に出版された。書かれたのは19世紀の末であろうが、舞台は18世紀の末、フランス革命当時大英帝国海軍の軍艦ペリポテント号(三本マストの帆船)だ。当時はフランス革命の余波で大英帝国の軍艦でも大きな反乱事件が発生し、上層部は緊張していた。その中でこの事件が起きる。全てが終わってから語り手はこの過去を語っている。

 ビリー・バッドは商船の若い水夫で、美しく有能で、周囲の尊敬を集めていた。大英帝国軍艦ペリポテント号は人手不足で、いきなりビリー・バッドを水夫として強制徴用する。ビリーはしかし熱心に仕事に取り組んだ。その姿に嫉妬し憎悪を向けたのが、クラガート先任衛兵長(水夫を監督する係)だ。クラガートは邪悪な心によって知性を発動するタイプだ。クラガートは部下を使いビリーに嫌がらせをする。さらにはクラガートはビリーを水夫の反乱の首謀者としてヴィア艦長に告発する。だが、ヴィアはクラガートの嘘を見抜き、ビリーを呼び、艦長室で双方の言い分を聞こうとする。クラガートはビリーを告発し冷酷に見据える。ビリーの発言の番が来た。だが、ビリーには唯一の弱点があった。いざとなると吃音になり物が言えなくなるのだ。それと気付いたヴィア艦長はビリーを父親のように優しく包み込もうとする。だが、その瞬間、ビリーは炎の如き一撃をクラガートに見舞ってしまう。クラガートは即死した。・・ヴィア艦長は、軍の規律に従えばビリーを死刑にしなければならない、だが私情としてはビリーに情状酌量したい、と悩む。簡易の臨時法廷を開き、ヴィア艦長は、帝国海軍の規律に従い、私情を押し殺して、ビリーを絞首刑にすることに決定した。判決を本人に自ら申し渡すとき密室で何が話されたかはわからない。ヴィア艦長が苦悶していたことは目撃されている。ビリーは絞首刑になった。その直前彼は「神よ、ヴィア艦長を祝福したまえ!」と叫んだ。・・その後ペリポテント号はフランスの軍艦と遭遇し戦闘、ヴィア艦長は重傷を負いその傷がもとで死亡。艦長は死の床にあって「ビリー・バッド、ビリー・バッド」と呟いていた。・・数週間後、軍公認の海軍新聞にこの事件の記事が載ったが、語り手の実地に見聞したこととは異なり、ビリーを悪者に仕立てるものだった。だが水夫たちはビリーが反乱をはかるはずがないと知っていた。ビリーの仲間は「ビリーは手錠をかまされて」というバラッドを作りビリーを悼んだ。

 ビリーとヴィア艦長二人の最後の言葉は、何を意味するのか。二人が何かしら親密な関係を築いていたことは想像できる。実はビリーは捨て子で、高貴な血筋の子ではないかとほのめかされている。艦長は独身。父親のいないビリーに対して艦長が父親のような優しさを見せる、とあるので、ここから先は単なる想像だが、あえて踏み込んで想像すれば、艦長はビリーの実の父親だったかもしれない、と言ってみたい誘惑に駆られる。翻って考えてみれば、作家メルヴィルは二人の息子を失っている。特に長男マルコムは銃で自死している。(本書巻末年譜による。)息子を失った悲しい父親メルヴィルが、失った息子の面影を本作のビリーの姿に込めた可能性はないだろうか。ビリーは美しく無垢な人柄だったとある。ビリーの死の情景は美しく描かれている。ビリーは死を目前にしてヴィア艦長を祝福した、栄えある光が貫いた、ビリーは昇天しながら薔薇色の曙光を全身に浴びた、それは荘厳な姿であった、と語り手は記す。ここにメルヴィルの秘かな祈りがあるのかもしれない。艦長の死の床でのビリーを呼ぶ言葉は、メルヴィルの息子を呼ぶ言葉と考えてみることができるかも知れない。軍の広報などでは隠蔽される、人間の真実がそこにはある。同時に、栄光の大英帝国軍隊の持つ非人間性(肉親の情愛を切断し、組織のために真実を隠蔽する)にも本作は触れていると言える。