James Setouchi

 

2024.7.3 英文学 ジョセフ・コンラッド『闇の奥』(高見浩・訳、新潮文庫)  

Joseph Conrad〝Heart of Darkness〟 

 

1      ジョセフ・コンラッド1857~1924:帝政ロシア下のポーランドに生まれる。地主貴族階級だが、父がポーランド独立地下運動に挺身しロシア官憲に捕らえられ投獄され、さらに一家は流刑となる。母は流刑地で病没。父も亡くなり、ジョセフは孤児となる。母方の伯父と祖母に養育される。病弱のため正規教育を受けず。17歳で転地療養を兼ねマルセイユへ。船乗りとなり西インド諸島へ航海、さらにイギリス船に乗り組みシドニー、シンガポール、カルカッタ、マライ、バンコックなどに行く。また1890年にはアフリカ大陸のコンゴ川を遡る。健康を害しヨーロッパ(ロンドン、ジュネーブ)に戻り療養生活を送りながら作品を書く。36歳で船を下り作家に専念。『オールメイヤーの阿呆館』『青春』『闇の奥』『西欧の眼の下に』『陰翳線』『黄金の矢』『海の放浪者』など。(集英社世界文学全集の年譜などを参考にした。新潮文庫巻末の髙見浩の解説も有益だ。)

 

2 『闇の奥』1902年出版

 マーロウという年老いた船乗りが酒場で青春時代を回想する。いわゆる「マーロウもの」の一つ。今回はアフリカのコンゴ川を遡る旅で、きわめて強烈だ。語られている場所はロンドン、テムズ川河口の二本マストの小型帆船ネリー号の上。その場にいるのは、語り手マーロウ、友人の弁護士、これを記している語り手、その他一人の四人。テムズ川は大英帝国を支える男たちが出港していった場所であるが、同時に「地の最果てまでつづく水路」(11頁)であり「底知れぬ闇の奥までつづいているかのようだった。」(200頁)ロンドンは「どぎつい明るみを帯びた怪物めくあの街」(13頁)であり、マーロウに言わせれば「かつては暗黒の地だった」(13頁)。マーロウは「白塗りの墓」を連想させる街(34頁)(明示していないがベルギーのブリュッセルだろう)から出発しコンゴの旅を経て「あの墓場のような都市」(182頁)に戻る。その街は、コンゴの過酷な旅を経てきたマーロウにとって、「この道は絶対に安全と信じ切って世渡りをしている平凡な人間ども」「偉そうにふんぞり返っている馬鹿面」「品行方正の塊のようなお歴々」の暮らす場所でしかない。ここで記述者もテムズ川を大英帝国の繁栄の起点としつつ「最果て」「底知れぬ闇の奥」につながる場所と捉え、ロンドンを「どぎつい明るみを帯びた怪物めく」街と捉えてもいる。マーロウはコンゴでの過酷な旅の経験を踏まえて、もっとはっきりとロンドンを「かつては暗黒の地だった」と呼びブリュッセルを「平凡な人間ども」「馬鹿面」の「お歴々」の暮らす場所と言っている。西欧の都市の文明と繁栄が、ここでは相対化され批判されている。

 但し、コンゴの密林の奥の過酷な野性の世界にこそ善悪は問わず苛烈でリアルな生があった、他方西欧の文明世界にあるのは欺瞞に満ちた虚飾の生だ、とは書いているが、だからコンゴに戻る、とは言っていない。またローマ帝国は単なる「征服者」で「暴虐な実力行使」をしただけだが(17頁)大英帝国には「植民という概念」があってローマ人とは違う、マーロウは語る(17頁)。この点、大英帝国の植民それ自体をマーロウは否定していない。ここは老境で既に重役に出世しているマーロウが保身のために誤魔化しているのか。(あるいはコンラッドが大英帝国に遠慮したのか。)問題は、マーロウが出会い強い影響を受けたクルツという人物と、コンゴで利益を得ようとするベルギーの商社の連中との違いとして描かれる。

 ベルギーの商社の代表として中央出張所の「支配人」が出てくる。彼は会社の方針に従いクルツのやり方を嫌っている。クルツはコンゴ奥地に入り奥地出張所を作るがやがて会社の方針に背き現地人を支配し土地の象牙を乱獲するようになった。クルツも本来は現地人に対し「人間性の向上と教化を目指す」(84頁)と唱え「蛮習廃止国際協会」への報告書を作成していた(127頁)。だが、クルツは、現地での過酷な日々を経て、「蛮人どもは皆殺しにしてしまえ!」と書き込むに至る。クルツは現地人を恐怖で支配し現地人の頭部を小屋の屋根に並べることすらしていた。商社の白人連中は本社の人事ばかり気になる。商社の利益の代弁者である「支配人」は「クルツ氏がああいう手段に頼ったことでこの地域は荒廃してしまった」と批判する(148頁)。その彼らもクルツが入手する象牙に心穏やかではいられない。彼らも欺瞞の中に住んでいるのだ。クルツは利害損得を越えた何かの力によって引きずられて生きている、とマーロウは感じた。その何かの力とは、コンゴの奥地にある「大密林の魔」(124、156頁他)だろう。クルツは死に際して「地獄だ! 地獄だ!」と呟く。(179頁)クルツは西欧の文明世界を離れ、商社の利益を挙げつつ現地人を「教化」する方針に背き、「大密林の魔」に囚われ、魅入られ、恐怖し、死んだ。マーロウは現地人も同じ人間だと感じつつ、クルツの激しい生き方にどこかで共感してしまった。

 マーロウは帰国後クルツの恋人に会いに行く。マーロウはクルツの最後の言葉「地獄だ!」を隠し、「彼の口から最後に漏れたのは―あなたのお名前でした」と嘘をつく(199頁)。恋人は歓喜してむせび泣く。だが真実は、クルツが魅入られそのために滅んだ相手は、「大密林の魔」だった。実際に「大密林の魔」を体現したような女も現地にはいたのだ。

 コンラッドは、マーロウの造形において、西欧の都市文明の欺瞞と「大密林の魔」を対置し、後者に惹かれつつも現実には前者に身を置かざるを得ない現代人の生を静かに見つめている。同時に、(ここでは改めて強調しなかったが)アフリカで西欧人が暴虐な仕打ちをしていること、植民地政策がいかに美辞麗句を連ねても実態は残虐な搾取と抑圧でしかないことを暴いている