豊かな暮らしって何?! -6ページ目

六本木ヒルズって・・・

 六本木ヒルズに初めて足を踏み入れました・・・

 恐る恐る中に入っていくと・・・複雑な構成だこと・・・どこに何があるのか

さっぱり分からない。初めての人にとってはホントニどこに何があって

自分がどこに行けばいいのかよくわかりませんね~トホホです。

                                                                                                            

                                                              

 フロアガイドブックを見つけてようやく自分がどこにいるのか

分かってきました。一度、訪れただけではどこに何があるやら

とても把握できましぇーン!食事するならノースタワーへ、

WestWalkの5Fはレストラン街、1~4FはBoutique系、

Hillsideも高級レストランから高級Boutique系、

六本木けやき通りはヒルズ族のLuxuryStreetsといった感じで

どこを見ても~庶民にとって見れば、消費し、蕩尽しつくしかない

といった感じの空間という印象だけが残りました・・・

                                                                   

                                                               

 私はAcademyHillsで建築家の話を聞いた後、

廻ってみたのだが、普段着のHills族にお目には掛からなかった。

各種Eventsが催されてはいるようだが、ふと、もしもEventsが

なかったらここは外部からのGuestsは無くなり、

成り立たないということが分かった。

 日本人から外国人観光客が来るように考えてはいるようだが、

不安なのはいつまで持続できるかだ・・・

 サンシャインの二の前にならないように祈る! 

                                                                     

                                                                                                                             

                                                                      

 グルメガイドを片手に食べ歩きもいいだろう・・・

日本食、中華、French、Italian・・・きりなくあるようだ・・・

TakeoutもあるようでOfficeの人たちは皆利用するようだ。

 Causual restrantから高級レストランまで揃っているようだが、

何度も来て見ないとどこがおいしくて、どこが芳しくないのか

本当に分かりましぇーン!

                                                     

 これら超高層ビルというのは本当に用の無い人にとって見れば

一度訪れれば、それだけのところで終わってしまう空間のように

思えるのは私だけだろうか?

                                                               

                          

繰返し訪ねたい街って?


 

 『IT-Hillsのような超高層ビルというのは本当に用の無い人にとって見れば

一度訪れれば、それだけのところで終わってしまう空間のように

思える・・・』と話したが・・・

                                                  

 いろんな都市の中でも、何度か訪れたくなる街というのは、

どんな場所になるだろうか?

 ある人は観光、Shopping、またある人は自然散策など、種々あるかも知れないが、

普遍的な街なのはやはり歴史的な町だったり、世界遺産のような遺跡や町等、

のような気がしますね・・・六本木Hillsも今もやがてもそんな街になるのだろうか?

 あくまで日常の仕事と生活のある街に過ぎないのだから、それ以上にはなりえない

と思える節も在る・・・1~200年たてばそうでもない?

 やはり風情や侘び寂は無いし、重厚な歴史的雰囲気は出てこない?!

そうだからといえるか?果してどうだろうか・・・?

 都市の無機質感に圧倒されて自然な気がしない空間になって、

無機質の中に無理やり有機的なものを持って来ようとしているからなのかも知れないが、

仮初な世界だから馴染めないのかもしれない。

 田んぼの真ん中に超高層ビルが建っていてもこれは不自然でありえないし、

かといって田舎屋がHillsにあってもおかしい・・・

 都会の現実と田舎の現実の違いがあるだけなのだろうか・・・?

確かにその場所にそれぞれ雰囲気合う建物が立っていれば一見いいような気もしてくるのは

間違いはなさそうな気がするが・・・。

                                                  

                                                      

 私が今まで何度か訪れてきた街がある、京都は40年間でもう20回以上訪れている地

であるが、飽きたことは無い。これは法事で訪ねたり、観光で訪れたり、はたまた商用で

訪れたりと様々だが基本的にはいつも心が和む感じでいつも訪れているような気がする。

 お寺さんから旅籠まで風情を感じ、京の息吹のなかに身を置く気持ちがなんともいい。

ただ最近では京都の街中は変貌している。・・・マンションである。

 避けようの無い町屋の建て替えと変貌がそこにある。悲しくもあり、日常の中で生活のStyleを

変えざる終えない運命がひしひしとやってくる。

 ただ郊外に出ればまだまだお寺から京屋の町並みが続く街がある。自然のなかに

溶け込むような形で佇んでいる。ふと気がつくと川のセセラギと森の香りに包まれて

酔っている自分がそこにある。いつもこんな気分で仕事ができたらいいなと思うが、

現実はそうは行かない。

 いつの間にかまた都会の喧騒の中に戻らなくては行かなくなる・・・どうかしてこれを都会に

と思って料亭を造りをするものの高いだけで仮初の心地しかない。

 絶対的な風情を味わうというのはその自然の中にあって初めて味わえるものなのである。

しかし、贅を尽くす人たちはその部分だけを切り取って持ってこようとするが、

それは空虚な虚飾の空間で過ごしているだけに過ぎないのである。

  

 

SUICIDEについて

 都会生活のなかでも田舎でもあまり大きく報じられないが、

相変わらず、年々、≪自殺者≫が増えてきています。

 中央線での飛び込み自殺者が先日もありましたが、

東京のどの駅でも本当に増え続けています。

 日本全体でS57~H10までは25000人前後の自殺者だったのが、

H11~H16は34000人前後になりました。

 この増加は何を意味しているのでしょうか?

世の中、精神的に不安定になっている人が単に増え続けているという

ことなのでしょうか?

 都市においてその自殺で亡くなる方が結構多くなっているのは

どんな理由があってのことなのだろうか?

 現実を直視し過ぎてか、できずにか、それともいつも逃避しなければ

生きてゆけないのか・・・本当に孤独な気がしてならないのか?

 誰しもそんなときが在るかも知れない・・・ただそんな時、ふと物思いに

耽って往ってしまうのだろうか・・・どうしたものか・・・

 友人は?よき相談者はいないのか・・・?


 ただ人によってはただならぬ思いをもって命を絶って抗議する人もいる。

三島由紀夫のように自衛隊の論理を振りかざして割腹自殺を謀る人間も

いる。これは極端な例かも知れないが、三島と交友があった芥川も

自殺者の一人である。

 確かに文豪は各人の根底に常人が推し量れない思想を持って、

どこまでどうなってしまうのだろうと思うくらいの人もいる。

 信じられないほどのNegativeな精神的Energyがその生活の中から湧き

でてくるのだろう・・・

 悩めば悩むほど、考えれば考えるほどに底知れない方に入っていく・・・

それはまるで都市の迷宮のようだ・・・

 その究極の瞬間は、例えば、電車に飛び込めば多大なる迷惑が

掛かるということすら関係なくなっているのかもしれないが、

その迷宮の終点と同時にそばにいることになった隣人たちの運命は

とんでもないことに巻き込まれる定めになっているのを忘れていることがある。

 ある人はビルから飛び降りる、またある人は部屋で

クビを吊る・・・という具合に皆、運命のLabylinceに翻弄されて逝くのは本人の勝手だが・・・。

                                                                   

 その翻弄されてしまう側の人たちは本当に気の毒である。

私自身は中央線でまさにそんな電車に乗り合わせたこともあるし、

飛び降りの現場近くに住んでいたときも在る。

 ただ偶然にもその場、目前にいたことは無いが、トニカクその事件が

起きたお陰でその日、あるいはその後日まで色々と語り継がれる。

 落ち着かない、それらの記憶が忘れ去られるか忘れないうちに

また新たな犠牲者が必ず、NEWSとなって放送される・・・。

 事件事実は生活を乱し、結果として自殺者の家族は重い現実を

背負うことになる。

 当人にとって見れば非現実的世界に入ってしまうだろうが・・・

Processの一つに過ぎないかもしれないが、これはあまりに身勝手な

行為としか現実に写らない。

 人の世界では死を自ら選んで、かれら近親者、周辺の

人たちが被る社会的、精神的被害が大きくなるのがつらい・・・。



 

 

Energy環境

昨日、Newyork在住の坂本龍一さんがTVで・・・

『アメリカ人はインド等の人たちに比べて何倍ものECO 

Energyを費やしている。』という話をしていました。

 日本人も然りと思いましたが、恐らく、アメリカ人と比較して

明らかに何割か少ないぐらいでしょうね~

 確かにNewYorkに旅行したりしてみると

夜、摩天楼から見る深夜のBroadWayなんかのイルミエーション等は新宿の比じゃない。

 それと各家庭の家の大きさや広さ、電気製品や車の消費するEnergyは

目に余るものがあるというのは日本人のみならず見て、自明の理でしょう・・・

 地球Energyの省力化や二酸化炭素の排出ガス制限に非協力的な

社会をブッシュ大統領が率先しているくらいだから、50年後のENERGY

事情など見てみぬ振りで、関係無いのかも・・・ていうか

米国民の認識が本当に甘いとしかいえない気がしてなりません。

 涙ぐましい努力を続ける日本は車も省エネを実現し、

水素を利用する試作車も提供している。

 Europeの車Makerも種々の試作車を造り始めていると聞くが、どれも

あくまでも日本を追随するようなEnergyを持続させる為の延命処置に

過ぎないのが残念です。

 日本でも太陽電池で動く自動車もあるが、効率がまだまだ問題のようです。

 

その一方では、中国やインド等のアジア諸各国では明らかにこれらの

問題とは逆行した動きが見られています。

 上海等では超高層ビルやマンション群が既に1000棟近く建てられ、

自動車も増産され続け、新幹線や高速道路の建設が盛んに

進められようとしています。

 北京Olympicを目指して、かつての日本や欧米のように躍進を

遂げようと国家をあげて必死に頑張っているようです・・・

 が、しかし・・・ 水を注すようで申し分け無いのだが、

13億の人口を有する中国が一挙に社会を発展させ、

変貌させていくようになってしまっては現在残された化石Energyは

あっという間に費やされていくのは間違いない!

 Ecoに対する国民の意識改革がほとんど無い状態で

国づくりが進んできている現状では将来、地球規模での問題が

出てくるのは必至である。昔のアメリカや日本と同様では

元の黙阿弥である。☆

 

ではどうしたらいいのだろう・・・

国連や世界の研究機関や学術研究会がどのようにしてこれからの

Energy対策を考えてくれているだろうが、実際問題としては

我々、一人一人が地球人としての認識を持って

少しのEnergyで最大限の利用価値を得る工夫をするしかないのでしょう・・・

 

 

都市のユニバーサル化?!

 ようやく日本の都市がユニバーサル化?!となって行くのでしょうか?

 国土交通省より≪UniversalDesign政策大網≫が出されて、

早3ヶ月が過ぎました・・・

 でも悲しいかな、ようやく30年前の北欧の社会状況になりつつある

という感じです・・・

 私が26年前に北欧3国のDenmarkやSwedenを旅行で

廻っていた際、もう既に駅から、庁舎や図書館等はバリヤフリーで

車椅子利用者からお年寄りの人たちまでが自由に出入りしていました。

 日本では今ようやく、駅や庁舎等の公共機関でUDが駆使されて

バリアフリーとなりつつあり、公共建築が改築されてきています。

 バブルで浮かれて土地や建物とかが過剰に売買され、建設、

購入が異常に進み、どんどん開発されて来ましたが、

 本当に増えてきたのは官から国民への負の付け800兆円以上と

今後やってくる更なる増税社会ではないのでしょうか?!


 今後、我々を待っている社会状況は、老齢化社会と福祉社会・・・

日本の現状は厳しいものである。

 70年代以降に建設が進んだ都市のビル群はどんどん老朽化し

それらの機能がすでに麻痺し、疲弊しつつあります。

 

 世界有数の都市像を誇る東京も新しく生まれるビル群もあれば、

そのまま放置されつつあるビル群も中にはある。

 今後数十年でEnergyが涸れると言われているが果たして今頃、

超高層ビル群をドンドン林立させていいものだろうか・・・?

 ほんの目先の動きだけが良く見られて、遠い未来がなおざりに

なってはいないだろうか?

 東京の顔として湾岸に多くの高層ビル群が立ち並ぶが、

 これは明らかに空からの見世物にすぎないような気がしてならない。

 見せ掛けの着せ替えだけの都市はもう必要ないのではないか・・・?!


 相変わらずマンションの新築は続くし、住宅の建設は

続いてはいる・・・がしかし、この状況が今後50年後も続くと

思っているのだろうか?不思議だと思わないのだろうか?

 各都市に≪UniversalDesign≫が構築されて完成する間に

Energyが無くなり、都市のみならず、社会全体が老齢化

そのものに呑み込まれているなんてことの無いようにしなければ、

悲観的な社会しか望めなくなってしまうでは無いか・・・・


 都市におけるユニバーサルデザインとは、福祉やバリアフリー

のみならず、いかにEnergyを費やさないRECYCLEが成り立つ社会の

ことを意味しているのであって、相変わらずの消費社会を望んでいる

ものではないことを改めて認識しなければなるまい。



  

 



危弱な都市像

 

 各都市では、どう考えてもオカシナことがいっぱい起きてきている

ような気がしますね・・・

 いろんな所で≪軋み≫が発生してきています。≪歪≫になる前に

防ぎたいものですね。

 地震が世界を揺るがしていますが、よーく考えて見ていくと必ずと

言っていいほど、過去にその地域で何か重大な事件や

事故等が起きていることが本当に多いことに気がつきます。

 これはどうゆうことだろうか?先日のパキスタンとインドは過去に

核実験を行っています。

 カトリーナの被害に遭った地域は先住民や南部戦争等、

過去の歴史の中で大きな代償を払って来ている。

 2004年度、日本でも各地を襲った台風、中越地震ー角栄の田舎、

阪神大震災ーエイズの日本初の発見地、Europeでは、スイス、

ドイツ等の洪水、Indonesia、philipineー地震等など、あげれば

限が無いが、現実的には地球上で普通に起きていることのように

思えるが、実際では色々な深い意味があるように感じます。

 地球上の自然の動きがどうも人為的な影響を受けているように思えます。

 地球の温暖化はハリケーンや台風に大きな影響を及ぼし、

 地球への核実験等では地殻やマントルへの何らかの影響を

与えていると思われます。

 全てが直接的に関わるとは思いませんが、現実的にはどれもこれも

かなりの速さで自然を変貌させて行く要因になっていると思われます。

 地球上の化石資源のEnergyの限界は残り半世紀に迫ってきていると

言うのに人口、ゴミ問題は増加する一方で人間の高齢化は進み、

それらを見てみぬ振りか、中国やインドなどは産業発展を望み、

相変わらず、人は歴史を繰り返したいと願っているわけです。

 高齢化に伴う社会基盤の弱体化、つまり、支えるべき基盤が大きい

のにも関わらず、段々、若い活力ある人口が減少し、

Energyも減少しているのが現実です。

 太陽や風をあてにしてもおのずと限界が感じられ、かなり厳しい

Entropy的未来が、今後、我々に降りかかってきそう・・・。

 


病にかかった都市の未来 04


 

地震、ハリケーン、洪水と次から次へと世界が自然からの警告を受け続けている・・・

 日本は昔から地震国といわれているが、阪神大震災の時は明らかに被害が

大きくとりだたされた。

 建物の倒壊のみならず、火災による二次災害等が多く発生したのは大きく

NEWSにも取り上げられた。実際、その場に遭遇した方の話では、

「ほんと、一瞬のことでホテルでBEDの上で感じるや否や飛び出してきて、

5階から階段を下って出たときにはあたりがどうなったのかと思いました。」

ということをききました。

 要は少ない時間、揺れている間に何も持たずじまいで何とか外に

出れただけというのが、現実なのである。 どう考えても建物が破壊され

なかっただけでも幸いである。

 先日、パキスタンでM7.8近くの地震があったようで使者がなんと3万人と

いわれていますが、これは人災に近い状況のような気がします。何故なら、

過去にも同じような地震が起きていて

住宅やビルの強度を増したり、国としての果たすべき行動を起こしていなかった。

 あるいは援助の要請もしていなかった?何故、核実験なぞにうつつを抜かし

ていたのだろうか?

 アメリカも然りでイラクなどに気を取られてしまって肝心の自国の救助が

ままなら無いなんぞ、とんでもない失態である。

 どこも何かチグハグな国の対応の結果、被害が拡大してきたように思える節がある。

 日本は常々、地震や台風に耐えうる住宅を造り続けてはきたが、実際、

M7以上の地震に対してはまだかなりの建屋の倒壊の危険性がある。

 現実、S56年以前の建屋群は阪神大震災ではほとんどが壊れているではないか・・・

現在、それらの補強工事を初め建て替え、改築が順次行われている。

 台風に関しては建築基準法に見合った対応でかなりの部分は凌いできたように

思えるが、ハリケーン規模の風速、雨量では到底かなわないことが今回の

≪カトリーナ≫を見れば自明の理というものである。

 ではその対策として住宅や建屋をより堅剛なものにした方が良いかというと

これも個々の問題もあるし、地域の問題も在るし、一概に解決策があるわけではない。

 実際問題、建物にそれだけの金銭をかけるにも限度がある。

 ともあれ、今回のパキスタンの被害に関しては新聞や報道の状況でしか判断

できないが、どうもコンクリートや礎石の建造物に構造的な問題があるようですね・・・

 

病にかかった都市の未来 03



 元来、日本人は緑に囲まれ、包まれた生活を好んでいたはずだった。

いつからか・・・そう、西洋文明が急激に押し寄せてきたころからだろうか?

 経済を一義的に西洋化へと考えをめぐらすようになってきた車社会に

なると同時に道路を急激に建設しはじめ、Morterizationに乗じて全国に

土木建設国家を築いてきた。

 勿論、住宅建設も然り、住宅公団が造り続けてきた・・・国のため、

国民のために何百万戸という数のコンクリート造の耐震住宅を・・・

 戦後の復興と共に急激な成長を遂げたかのように思っている

多くの方がいるはずだ。

 しかし、現在、住戸公団、道路公団、さらにはJA等は解体の時期に

来ている。設立当初は多大なる期待と共に団塊の世代と共に躍進し、

湯水のごとく国民の税金を使い続け、何百兆円もの負の遺産をつくり

続けてきた。

 50年間近く政府主体で動かしてきた公団等の組織は悪しき習慣を育てるに

長く続きすぎたのである。結果、あるいい時期のまるで社会主義のごとく

過した一部の官僚だけが、いい思いをして戦後、生き続け、今になって借金が

どうにもなら無いとほっぽりだすありさま・・・この国はいったい何なのだろう!

 結果として、彼らが半世紀の間にしてきたことは国民を苦しめる

だけのことだったのか? そうです。これは事実なのです。

 結果として・・・

1:何百万戸の住宅により巣食われた公団の開発した都市はやがて

老人都市と変貌し、年金生活者であふれかえる町になりつつある。

(都市的過疎化)

2:道路が出来すぎたお陰で開発の必要の無い辺鄙な土地まで

住民が入り込んでしまい、自治体の拡大化が進み、本来、手着かぬ

自然の地まで開拓の手を加えてしまった。(田舎的の過疎の元凶)

3:公団による住宅の形態(マンション等)が原型となってしまい、

本来あるべき住環境が失われた。これは日本的大家族の姿を

壊し、核家族化へと戦後~現在の間に社会構造をも変えてしまった。

(生活社会構造の変貌)

 本来あるべき近隣のつながり、歴史すらも奪っていってしまった。

 最近、都心に建設が進んできている単身者ばかりが、住み着いている

マンション、アパート群の数は半端じゃない。何十万戸になってきている。

 これはある意味、社会構造の崩壊の序章といっていいのではないだろうか?

 今後、日本の社会の未来はあるのだろうか?

 

病にかかった都市の未来 02

 現在、自然な環境の中に作られているような都市はなかなかお目にかかれない。

 何故なら人間の都市はいつも人間が中心の計画からしか生まれない。

決して、自然の中の人間としての扱いをしないから・・・

東京は詰め込むだけ詰め込んだ人の巣食う都市と化してしまったではないか・・・

 世界中のいろいろな都市を見てくると一つの都市に1千万人以上

住んでいるところで住み心地よくStressを感じさせない都市があるだろうか?

上海然り、ニューヨークしかり、すし詰め状態になっているではないか。

世界でもっとも住みやすいバンクーバーやヨーロッパの

各都市を見れば分かりますが、本当に住み心地がいい都市は

東京のように極端に便利ではありません。

 少なくとも人間の自然な考えの速度にあった生活の出来る

都市になっています。

 CPUと同じく一つの都市環境の中で育める人の数にはある一定の

限界が在るはずです。

 それを無謀にも無視して一極に集中させていこうとするから無駄な

熱(Stress)を出すのです。

 何とかしようと首都高だの電車網だのバス網だの造りだしてよけいな

Energyを蕩尽し続けている。

 そんなに都市にStressを掛け続けていたらそのしわ寄せが必ず人に

来てしまうではないか!

 時々起こることだが、人は何故、電車に飛び込むのか?人生がイヤになったから?

 自分勝手に飛び込んだ瞬間に都市機能が麻痺するのだ~

様々な事件事故が都市を襲う。

 いやがおうにでもそのストレスが高まったところに事件事故がおきているのです。

 人生そんなに焦らずに進めればよい事象も都市にいるといつの間にか、

なんとなく早めていかなければならないような経済社会的脅迫観念に駆られる。

これは自然なのだろうか?否、Borderlessになったがために経済社会が

自ずとStressを生む様になってきてしまったのが

最大の要因では無いだろうか?

 Internetから繋がる世界は地球上の全ての経済社会の情報まで

手に入れることが自由で可能になってきた。そのお陰で本来知るよしも

無かった事柄まで目に入ってしまうし、実際の現地での動きや活動まで

手に取るように感じることもできる・・・こうゆう一連のことが、

現在の我々に課されるStressの要因にもなるのである。

 これらのStressに最も浄化効果があるのが、緑地、森林等の癒しの

効果である。ところが、都心等ではそれらがかなり不足気味である。

 しかし、なかなか土地が高くて、なんびとも緑地環境をしっかり

持つように住宅を造れない。

 日本ではいつからか知らないが、一部の人間を除き、家は2DKだの

3LDKなどという不動産屋の決めた家に押し込められている。

 地価が高いということだけがそういう結果を造るのだろうか?

 否、最初にあった政府系住宅公団の仕業なのだ。

 戦後、いつの間にか日本の家の間取りが洋物と和物が混在する

妙な形に変貌して来てしまった。

 とにかく何の抵抗も無いまま日本人は受け入れてきてしまった。

これは民族の性なのだろうか・・・

 当時の何人かの建築家は違った考え方を持っていたが、

庶民が参考にしていったのはいみじくも政府の主張する住宅の

形態だったのである。

 

病にかかった都市の未来 01

 世界の都市では様々で厄介な病を孕んでいる。

 そのなかでも「テロ」はそのもっとも脅威で悲惨な結果を齎す行為である。

 それは人間の心の奥底に見え隠れする信じられないほどの根深い「憎悪の念」と「信仰心」が起こす人類に残された産物である。

 これは国家を超えた領域で行われる様々な種類の行為の中でも人間の根源を震撼させる、無秩序で無差別な残虐行為である。

 信仰という言葉があたかもその最悪の行為である殺戮を肯定するように考えられることが根本的間違いとなるのだが、ここでは「神のもとに」という言葉にうまくオブラートにでも包んだかのように語られることになるようだ。

 「テロ」に対してはそれを抹消するのが最大の目的であるがごとく、対抗手段として更なる撲滅作戦が繰り返される。人の身体に例えるならこれはあたかも「癌」との戦いのようである。

 繰り返される攻撃、いつどこで起きるか予測が出来ない恐怖、いったいどうすればいいのだろう・・・ 社会の中で安心を得て生活が送れるのは国家が治安を維持しているからであるが、いつ何時、如何なる自体が起こるかわからない相手に対しては、皮肉にもまるで癌がいつどこで再発するか分からない状況に似ているではないか・・・

 とすればどんなに撲滅しようが、次から次へと再発するような運命が迫ってきているような気がしてくる・・・

がしかし、救いの方法は必ずあるはず・・・そういえば全身から機能を正常化させていくような方法が考えられるはずだ。では、どうすればいいのだろうか?

 正常な細胞が無いところには正常な機能が存在しない。都市で言えば自然が無くなり、都市社会が無秩序化し、人の存在する環境が明らかに危うくなっているところではもはや正常な働きを望めないということになる。

 現在、世界には正常な社会環境にならないまま都市の変貌を遂げているところがここかしこにある。

 事実、日本もその一国となる可能性が無いわけではない。徐々にではあるが分かってくることは「テロ」の温床とはStressのかかりやすい、一見秩序が保てているような都市機能に蔓延りがちであり、これとは逆の秩序正しい、自然と都市機能のバランスが取れた都市では起きにくいということが何となく分かってくる。

 それは人間で言えば精神的、肉体的にもバランスが取れた健康な身体の状態のようなものである。

さて、ではそのような都市をどのように構築して行かばいいのだろうか?

 そんなような都市であれば病も気からよくなるがごとく健全な社会となる可能性があるに違いない。