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若冲展

開基足利義満六〇〇年忌記念 若冲展  いってきました。と、紹介しますが、

もう終わったのであまり意味はなく…。

とにかくそういうことじゃなくて、絵を描くということは、○○に関して 

何か爆発的なものが心の中で発生して "ボン"って出てくる。

その"ボン"って出てきた痕跡が 絵で、

若冲という男のヴィジョンからみた鶏という対象物をこんなにも

魅力的に僕たちに伝えてくれる。

やっぱり芸術は人間にしか埋めれないんだよな。


それにしても若冲の絵って知り合いから聞いたんだけど、

当時じゃやっぱり評価されなかったみたいね。

芸術というある種異端の世界のものに値段をつけようっていうのは

馬鹿馬鹿しいことなのかも知れないが

ちょっとこの件に関してもっと知りたいなぁ。

私の詞と心の言葉

「生」じゃない言葉だが、


心は「生」でなければいけない。


野生的になればなるほど、実験はズレていく。


論理的に考えれば、心が弱くなる。


まだまだ力が足りない。

『透明人間』反省点

■透明人間反省点■

先日作成した詞「透明人間」の反省すべきところに焦点を当ててみる。


① 比喩としての「透明人間」  英語の「Invisible Man」や「透明人間」は、

  転じて比喩的に影の薄い人を指す言葉として用いられることもある。  

  ラルフ・エリソン作『見えない人間』(Invisible Man)などの文学では、

  白人から存在を無視され続けるアメリカ黒人  青年のアイデンティティを扱っている。(『wikipedia』引用)


前回の詞(透明人間)では、こうした意味での透明人間に関して指して、変身する男たちの法則を参考に



(a)男が透明人間(比喩としての透明人間)である。

→男がなんらかの神的力により

(b)透明人間に身体的になってしまう。



ということを意識して制作したが、透明人間の問題に 人からする透明人間への憧れがある。

(三月記の虎もそうかも知れないが) 足りないものは何か。心か。常態か。

男から発生する根源がクリアであっても、男の存在はもちろんそれぞれの存在がクリアであり、

クリアな状態で他者へ伝えることが出来るか。 今後の課題になりそうだ。