映画「Color Purple」 | Happy Paceをさがして。。

Happy Paceをさがして。。

Life is a Marathon worth Running.
Life isn't a Race, find Joy in the Journey.

ミュージカルゆえに。


久しぶりに映画を観ますた。

『カラーパープル』です。

ウインクウインクウインク音符








前作 ('85) のリメイクにして

ミュージカル化された舞台を織り交ぜての

"カラーパープル" は、今の視聴者向けの趣かな。



話としては、かなり重いです。

舞台は1909年から始まるアメリカ南部。

露骨な黒人差別も描かれているけど、同胞同士の

間にも女性が虐げられている社会背景と

その環境下で育った、ある姉妹を取り巻く物語。







キング牧師が登場する公民権運動の40年ほど前の

黒人社会を描いていますが、正に女性はモノ扱い。

売買、取引、そして家の召使いであり。。

男中心。。所謂マチズモ社会の典型を

見せつける序盤から胸が締め付けられます。

その息苦しさを、ミュージカル仕立ての

ストーリー進行が緩和させる。。

まるで歌が救いであるかの様に。








重い現実と向き合いながら生きるセリー。

生き別れた妹のネティを想いながら

過酷としか表現できない現実を生きる姿は

セリーの人としての奥深さや奥ゆかしさも

きっと一部の日本人には支持されるであろうが

それは違うでしょう。







セリーは確かに心優しいのかも知れないけど。。

その器の広さは優しさではなく諦めでもあり、

現実を受け入れざるを得ない虚しさが

セリーの眼の奥に映し出されます。

セリーを演じるファンテイジアの眼には

様々な悲哀を映し出していました。






その希望は、ネティとの再会であり

平穏な日々。。自由に生きる事。

自由。。

それを現代では、ありふれた普通と呼ぶもの。








劇中歌はミュージカルで書き下ろされた楽曲が

メインに並びます。ブレンダ・ラッセル等の

手掛けた歌が、ストーリーの放つ哀しみを

包み込んでくれます。






時代背景としては奴隷制度が撤廃されている

ものの、同胞コミュニティでのマチズモ社会が

如実に描かれており、セリーの歌はブルースの如く

響くのです。

かつてブルースが生きる希望であり自由への望み

として、弾圧、理不尽な扱いから渦巻く心情を

和らげたかの様に。






しかし。。

映画、ミュージカルを組み合わせた事で

当時の時代背景、社会問題と言ったメッセージを

若干、薄められる可能性も拭えませんが、

歌が救いとなり、観る者も歌に救われる。

その歌心ある劇中歌にも拍手を贈りたくなる

作品だったなと思います。

ニコニコニコニコニコニコキラキラ









いやぁ。。

映画って、ほんとに素晴らしいですねぇ。

お願いお願いお願いキラキラ