I'm still breathing. | Happy Paceをさがして。。

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Life is a Marathon worth Running.
Life isn't a Race, find Joy in the Journey.

"I'm alive."

 

久々に当事者系アプローチ。

 

『顔ニモマケズ』出版から半年以上。

3月の誕生日にリリースされたヤホーな記事。

記事は仕方ないが、あのトップ写真はないな(やっつけ)と今でも思うが、

本の宣伝として切り込み隊長的な役割は果たせたでしょう。

 

世間には"見た目問題"というネーミングで

顔に疾患、ケガによる変形、傷、アザのある症状の人が

社会的に生きにくい状況を認知させる為の大きな括りで、

また様々な患者会の活動もあるのです。

 

これから先も、何十年も。

この活動は永遠に必要な周知啓蒙であって、

社会的な生きづらさは、と言うより

見た目に症状がある人たちが、普通に生活しているんだよっていう事は

後世にも語り継がれる必要があるのです。

間違いなく。

 

私も6年前(だったか?)のMFMSのキックオフミーティングで

同じ様に見た目に症状がある当事者との出会いにより、

自分は一人じゃないんだと気付いた事は大きな出会いであり、

なんでずっと一人なんだろうと言う、孤独な思いとも断ち切れました。

 

この出会いは友情、愛情ではなく、仲の善し悪しとは無縁の戦友という

繋がりにも思えたものです。

 

鎖で繋がった縁、と言おうか。

 

しかし、また面白い発見もあるのです。

見た目問題を意識する様になれば、

当事者意識が高まる上に、それまで封印していた

言葉にならない嫌悪感が解けてゆくものでした。

 

地中深くに沈められた筈の当事者意識で生きざるを得ない

違和感も抱える様になりました。

 

不思議なもので、見た目問題な当事者の方々と出会えば出会う程、

自分が当事者感覚を過剰に意識せざるを得なくなったのです。

 

大阪マラソンの記事、ハートネットから

記事の大小に関わらず・・・

今回の出版の一部に名を(顔を)連ねれば

それも仕方ないでしょう。

 

今までの屈辱、悔しさも飲み込んできた半生。

これ位の夕刊紙的な記事になろうが、構うものかというのが

今の心情的なもの。夕刊紙はイヤだけど。

 

そして。

「顔ニモマケズ」は読んでいません。

顔ニモマケズ

記事もさらっと読んで、こういう作品に仕上げたかという程度。

記事は出来事を連ねて、自分の分身に仕立てる作品であって

自分の事だけど、自分じゃない様なものだと思っています。

 

 

記者、作家さんが何を伝えたいか、何にスポットをあてるか

それを読んで、読み手が何を感じるかは全くの自由。

 

 

その記事を、本を、私が読むか否かは別の次元。

よくこんなに出られますね、と最近は聞かれる事も多々ありますが

自分に顔はあって、無いようなモノだとも思っていますから

その辺も気にしていません。言いましたよね、自分はのっぺらぼうだって。

 

 

誰が色眼鏡で見ようとも、自分は単純に走る事に没頭すれば

もう何も要らないと、割り切れています。

 

割り切れる理由。

それは強さかは分かりません。

 

自分の支えになっている事でもありますが、

人間的な強さは"走ること"から教わりました。

マラソンで色々な経験を積んで、人並みの強さを手に入れる事が出来ました。

マラソンがあって、ここまでメディアに出られている様なものです。

 

何より、走る事と、走る人が好き。

走る誰もが同じ条件だから、汗と、苦しみ、達成感を分かち合う練習会、レースも好き。

 

今年の顔ニモマケズ、記事をもって

何か一段落したかなという思いがあります。

 

私は逐一、自分の見た目の事でブログを更新する事は

もう少なくなるでしょう。

自分にとって必要な更新を、誰かの力になりたい時に更新をする。

それだけで十分です。

何かを漠然と分かち合うブログは、書きません。

 

私はただの市民ランナーですから。

 

10000~30000人の走る人たちに埋もれて

誰とも、顔も知らない、でも同じ目標を持つ方々と

切磋琢磨を続けたいと思います。

 

私は記録を目指して頑張る。

それだけの市民ランナーです。

 

フツーの、市民ランナーです。

 

 

しばらくは練習に没頭します。

 
 

これからも頑張ります (`・ω・´)