演技しない演技 | 谷口礼子オフィシャルブログ「じゃこのおもしろいこと」
アンコール公演の稽古が終わりました。
明日には茨城に乗り込み、リハーサル。
あさって、本番を迎えます。

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初演からの演出家のリクエストは「演技しない演技」。
自分を防御せず、その場に身を置き、共演者に身を任せることは、恥ずかしくて決まりが悪いものです。
普段だったら見せたくない自分が出てきちゃうだろうなとか、汚い部分がモロ見えになるだろうなとか、そういう恐怖によって、つい「人に見せるバージョンの自分」を準備しそうになってしまいます。
でも、お客さんが見たいのはそういうよそゆきの顔を作った俳優ではなくて、本当に何かしらの局面に遭遇した人間そのもののヒリヒリした感覚を、発見して追体験したいわけで。

かといって、汚くなればいいわけでも、あけっぴろげになればいいわけでもないんだとも思います。「こうすればいい」という筋書きがある時点で、そこに自信を持った時点で、お芝居は腐ってしまう。
「どうなるかわからない」という状態にぎりぎりまで身を置いて、毎回、やっとこさストーリーや台本やセリフから逸れずに進んでいき、なんとかラストシーンにたどり着くことができれば、結果、何かが伝わるかも知れない、というそんなようなものです。

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・・・・・・という、お芝居の根本のようなことを考え続ける稽古でした。
今日の昼間、人と電話したときに、自分の普段のしゃべり方が、この作品の中のとあるセリフとほとんど同じだなと感じて、自分と役との境目が少しだけぼやけるような感覚に、驚きました。

演じるということは、なにか別の次元にある、理想や想像の中の人物になりきるということではなく、自分の次元の中から発したことでしかありえないと、私は考えます。
欠点だらけですぐに怒ってしまう、自分という人間をもとにするしかないんだと思うんです。

芝居を続ければ続けるほど、演じるということは「嘘をつく」ことではなく「嘘をつかない」ということなんだなと思えてきます・・・・・・。

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今回も、短い稽古期間でしたが、愛すべき共演者(それもみんな欠点だらけ)と、一緒にもだえ、悩み、奮起し、挫折しながら稽古をしてきました。
春のひたちなか海浜鉄道でまた、お客さんのみなさんと、少しの時間ですが人生を一緒に過ごせることが楽しみです。


お席は残り少なくなってきましたが、まだ間に合います!
どうぞお早めにご予約下さい!
http://www.qublic.net/hitachinaka999sv/



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