ぐさぐさの心 | 谷口礼子オフィシャルブログ「じゃこのおもしろいこと」
Twitterで少し書きかけたけど、長くなりそうでブログに書き直そうとしています。

こないだの盲腸で、生まれて初めて入院というものをした私は、人間というのは、生きてるだけでとても大切にされる存在なのだということを、初めて強く感じ、知りました。

病院では、至れり尽くせりの看護をしてくれました。痛みがあれば痛み止めを打ってくれ、身体を拭くためのタオルやおしぼりを持ってきてくれ、時間になると食事が運ばれ、夜になると電気を消してくれ、朝になるとつけてくれました。
手術をする時には、何人もの人がわたしひとりを囲み、立ち働いていました。
当たり前のことなのだろうけど、私はとても新鮮で、こんなにたくさんの人が私の命と健康のために働く、私はそれほど価値のある人間なのかと、驚いたくらいです。

手術から最速のスピードで退院させてもらい、劇場に行ってからは、共演者もスタッフさんも、演出家も、みんなが私をフォローしてくれました。
芝居以外の仕事はやるな、といわれ、本当なら劇団員の仕事であるいろいろな雑務や、掃除や準備を、客演メンバーが総出で手伝ってくれていました。
舞台に上がる時間にとにかく照準を合わせなさい、と言われ、
寝て、食べて、休んで、歩いて運動をして、本番をきちんとやるということが私の唯一の仕事になりました。
そのとき、私は、初めて職業役者になりました。

お金をもらっているかどうかは基準ではない。
これは、心の問題だと思いました。


いままでも、私は親に友人に仲間に先輩に後輩に、大切にされ、思ってもらってきた。
でも、それに気づけないぐさぐさの心に、いつしかなってしまっていた。

役者としてだって、仕事として優先したいこと、信じたいもの、絶対外せないものを持ってやってきた。
でも、それだけじゃ結局やっていけないよ、あきらめろ、という、小さな声に、
自分で、自分の心をぐさぐさにしてきた。

病気になって、公演中に入院して、そのことで、結果、私はいま、癒されたと感じています。
うまくいえないけど。

ぐさぐさの心なあなたが、たくさんこの世界にいると、私は思います。

生きてるだけでとても大切にされる価値のある存在なのだと、
周りを気にして、ことの本質をおろそかにせざるを得ないというのは言い訳なのだと、

理屈でなく、心底から納得できるタイミングが、訪れますように。
ぐさぐさの心が癒されますように。

そんなきっかけの一つに、いつか私もなれたらいいな、と、ふわっと思います。