我慢するのがしごと | 谷口礼子オフィシャルブログ「じゃこのおもしろいこと」
アルバイト先のレストランの店長と、話をする機会がありました。

心に残ったのは、サービスのしごとは、我慢することだと、言われたこと。
私の我慢が足りないこと。
演劇では我慢することは鍛錬の一つだけど、どこかで発散することがある。でも、サービスのしごとでは、最後まで我慢し続けることのできる人が、素晴らしいのだ、と。
私が我慢できず涙目になることを見抜いていて、気にしながら営業を回していること。
店のBGMに思わず体を揺らしてしまうことに、厳しい店長。

感情を外に出すことが、常にNGなこともある。そこが、芝居とサービス業の違いだと。

そこまで分かっていて、私を使ってくれている店長を、尊敬しました。

この店にこの店長が来たのは今年のこと。
父くらいの年齢の店長が、毎日お客さんに料理を運び、にこにこして、ありがとうございました、とお礼するのを見ていて、まさにわたし、この人はどうしてこんなに、いつも平常心なんだろう、怒ったり、焦ったり、しないのが不思議で仕方ないな、と思っていたのです。

不自然なくらいの感情の安定感。

それは、この人の鍛錬と信念の賜物で、この人の一生の仕事であるサービス業に対する、決意でもあることを知りました。

人の決意は様々だと思います。
私は感情を使うしごとに就いている。そのうえ、我慢しないのが信条だ。というか、がまん、できない。
だけど、我慢するのが信条な人だっている。

常識も、理想も、人の数だけある。

店長はすごい。
自分の感情を殺して、ひとの幸せのために働いている。

それができない私は、地を這って、細かいことに怒ったり泣いたり、いままでも、これからもきっと不安定にグラグラ揺れています。

そうしかできない私は、ある意味欠陥品です。
それなのに、育って、おとなになってしまいました。

感情のコントロール、なんて、できない。
きっと、できなくてもいいと、思ってるからできないんだ。
我慢しろと言われたら泣きながらどこまでも走って行ってしまう私です。
それは、甘え、なのかもしれないし、迷惑にちがいない。

我慢することを、一生のしごとにした店長が、すごいけど、わからない。

でも、すごいことに、ちがいないと思うのです。

すくなくとも、絶対に、なくしたくないのは、他の人をすごいと、すてきだと、かなわないと、尊敬する気持ち。それをなくしたら、おしまいかも。


なんだかまとまらない文章になりましたが、ちょっとうんうん考えた、年の瀬です。