Kの切腹 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?


   
 凡そ〝監督〟等と云う役割の下(もと)で、何かをした経験っちゅうと、ソフトボールの他に、高校のクラスで自主制作した映画がある。

 成人ソフトボール・チームで、既に30年以上も監督を務めているTもまた同級生だが、こいつは如何にも監督らしい立派な監督なので、別におもしろくも何ともない。

 自主制作映画の監督は当初、何でK如きが?だった。
美術クラスだったが故に、映画に滅茶滅茶詳しいやつや、美術的な素養が滅茶滅茶高いやつが他にも幾らでも居たはずだし、リーダー・シップを発揮可能なやつも、何名か確実に居た。
もっとも、私にしてみれば、監督なんぞよりも、何で私如きが主役なんだ?っちゅう不満の方が圧倒的に大きかったが。

 とまあ、前振りはそんなところで、2~3日前、ふと幽体離脱してみると、何だか薄暗い教室のやうな場所の隅っこにKが座って・・、否、蹲踞していて(:剣道部だったが故に、刺し子と袴!笑)、何だか思い詰めたやうな怖い顔をして、こちらを睨んでいる。
 そして、いきなし、

「おい、切腹するぞ?」
「は?何でまた。」
「いいから、こっちを観ろ。」
「やだ。」

 そんなのマジ観たくない。私は顔を黒板の方に背けて、眼も瞑っていた。

「おい、切るぞ?本当に切るぞ?切るからなっ!?うっ!」

 本当に切ったっぽい。

「映画を、映画を・・、頼むぞ?」

 かげ腹のつもりか?

「監督はおまえだろ?おれぢゃねー。」
「シルヴェスター・スタローンは監督と主演を両方やってるぞ?」

 映画を作っていたのは1978~79年で、シルヴェスター・スタローンの出世作『ロッキー』の日本公開は、その前年の1977年4月16日だが、スタローンが監督を兼任するのは、 1979年9月1日に日本でも公開された『ロッキー2』以降だから、話の辻褄がやや合わないやうな・・。
 っちゅうか、それ以前に、腹を切っているっちゅうのに、何ともタフな饒舌っぷり。

 本当に切っているのか?と思って振り返って観ると、

「!!!!!!」

 Kの腹部から何やら白い腸のやうなものがダラリと垂れ下がり、「押し込んでも押し込んでも腸がはみ出てくるんだよう」っちゅう、スタローンの比較的長めで悲痛な叫びが蘇る。もっとも、それは『ロッキー』ではなく『ランボー』(:1982)だが。

 こりゃ、本当に死んじまうな・・、と思い、いささか気の毒になり、近付いてみると、メタボ気味だったKがスリムになっている。

「切腹すると痩せるんだ?」
「おう、ダイエット効果があるみたいだな。」
「そうか、良かったな。」
「でも、腹が減ってきた。学食にカレー喰いに行かねーか?」

 何だか、緊張感や悲壮感に欠ける切腹だな・・、等と思っている内に覚醒。

 余談だが、1979年の文化祭で公開した自主制作映画は、私的には大成功だった。多人数で制作に取り組むなんぞ、滅多に体験出来る事ではないし、その一連をすべて取り仕切って進めたKを、今でも当然、尊敬していられるんだからな。


※画像出典:http://matome.naver.jp/odai/2140759079132195301/2140766400588730703